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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
7章 星屑の歌
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23 拒絶の涙ですが


「ライラちゃん、ごめん、力を貸して欲しい」


 部屋に戻ってしばらくしてから、貸してもらった部屋の扉をノックして助けを求めるジョエルの声があった。私は驚いて扉に飛び付き、急いで開ける。焦った様子のジョエルが立っていた。青褪めた顔で、全速力で走ってきた後なのか息を上げている。


「どうしたんですか」


 私が仰天して尋ねると、速い呼吸の合間にジョエルは言葉を紡いだ。


「さっきの、小物入れ、彼女に……見せたんだ。そしたら、外が」


 外、と私は振り返って窓の外を見た。すっかり暗くなっている外の様子はよく見えないけれど、浜辺が騒がしくなっている。波が荒れているようだ。でも風はない。どうしたんだろう、と私は窓辺に近寄りながら外の様子を窺った。


「レティシアはどうしてるんですか?」


 助けを求めにきたということはレティシアが普段とは違う状態になっている可能性に思い至って私はまた振り返る。ジョエルは言いづらそうに一瞬だけ言い淀み、それが、と口を開いたものの歯切れ悪く言葉を飲み込んだ。


「わ、分からないんだ。泣いて、魔力が、暴走、して」


「暴走……」


 私に分かることはほとんどない。でも此処でああだこうだ言っていても仕方がなくて、私も部屋を飛び出した。すぐ近くのラスを呼んで、ジョエルにはロディを連れてくるよう頼む。


「レティシアの部屋で!」


 走っていくジョエルの背にそう叫んで、私は驚いた様子で出てきたラスに事情を説明する。といっても私も何が起きているか分からないから一緒に来て欲しいと伝えた。


「王子はあれを見せたんだね」


 レティシアの部屋へ走りながらラスが私に確認する。そうみたい、と私は返した。討伐した海の魔物の巣にあった品の数々。その中にレティシアが持っていた二枚貝の小物入れによく似たものがあった。それを見せるかどうかはジョエルの判断に託され、そしてジョエルは見せたのだ。


 どんな結果になるかなんて誰にも分からなかった。見せない選択肢もあったけれど、ジョエルは選ばなかった。その結果、レティシアの魔力は暴走しているらしい。そして外では風もないのに波が荒れている。


 人魚の歌は天候に影響を与える。もし、歌そのもの以外にも、声にも、影響を与える力があったなら?


 想像して私は頭を振った。確かな推測ではない。そもそも、外のこともレティシアの影響かは分からないのだから。


「レティシア!」


 扉が開きっ放しの部屋に入ろうとして、バシャ、という大きな音と衝撃に跳ね返された。ラスが慌てて受け止めてくれなければ壁に体を打ち付けていたに違いない。床に座り込んで両手で顔を覆ったレティシアの周りでは大粒の水滴がいくつも浮いていた。涙だ、と思う。どうしてそう思ったかは分からないけど、咄嗟にそう感じた。


 私が弾かれたのは扉の前にあったその涙の粒らしい。弾力があって、人ひとりを跳ね返す力があるそれは間違いなく魔法のひとつだ。拒絶だ、と私は気づいた。拒絶の涙の粒が、レティシアの周りを漂ってまるで盾のようになっている。


「どうしたの、レティシア。私の声が聞こえる? 何があったか話してくれるかしら」


 ラスに小さくお礼を言って再び部屋に近づきながら、私は呼びかけた。レティシアはいやいやをするように頭を振る。海藻色の髪がふわふわと動きに合わせて揺れた。彼女が座り込んだ場所には二枚貝の小物入れが落ちており、ジョエルが見せたものと思われた。


「分かった。話したくないなら話さなくて良いわ。でも、ねぇ、其処まで行っても良い? ひとりで泣かせたくないの」


 拒絶の涙の粒を避けるように、私は屈み込みながら少しだけ部屋に入った。涙の粒が漂う数が多い。奥に入ってひとつにでも触れて弾き飛ばされたら、その先にまた涙の粒があって弾き飛ばされたなら、私はどうなってしまうだろう。でもそうしてでもきっと、レティシアの傍には行かなくてはならない。そんな気がした。


「ねぇ、レティシア。あなたいつもどうしてるの? 泣きたくなるくらい悲しいことがあった時、ひとりで泣いてるの? それとも誰かが慰めてくれる?」


 ライラ、と後ろから悲鳴のように私の名前を呼ぶ声がした。ロディの声だ。でも私はもう部屋に足を踏み入れていて、ラスが止めている声がした。私は少しずつ、空間が多い場所を選びながら進む。涙の粒はその場で留まるのではなく、ほんの微かにだけれど移動しているようだ。瞬時の判断は求められないものの、いつまでも同じ場所にいられるわけでもない。


「大人になったら泣くのはひとりのことが多くなったけど、あなた、そうしてひとりで整理をつけられる? 海の中なら泣いても分からないのになんて言ってたのって、よく泣いているからなんじゃない? レティシア、つらい時はひとりで抱え込まなくたって、良いのよ」


 ぎゅ、とレティシアが顔を覆う掌を握り込むのが見えた。私の声は聞こえているらしい。反応を見せてくれるということは言葉は届いている。


「あなたはひとりで陸に上がるだけの行動力があるから、ひとりで何とかしてきたのかもしれないわね。ひとりで何とかできてしまう力があったら頼り方は分からないかも。知らない人ばかりの陸で誰を頼るのかとも思うかしら。だけどねレティシア、あなた、陸に上がってやっていこうと思うなら頼り方は覚えないといけないわ。ひとりで何とかなんてできないこと、この先絶対にあるもの」


 目の前を涙の粒が横切っていくのをやりすごして私は言葉を続けた。


「解決なんてできないことかもしれない。それはもしかしたらもう、手の届かないくらい昔のことかもしれないから。でも今、今泣いているあなたを抱きしめるくらいなら、赦してもらえない?」


 そっと差し出した言葉に、レティシアが顔を上げた。涙に濡れた目が私を見て、私は引き攣る頬を意図的に上げて微笑んだ。レティシアの目からはまた涙が滲んで、地面に落ちずに空気中に漂っていく。ライラ、と呼ばれて私は頷いた。


「赦してくれる?」


 私が窺うように尋ねた言葉に、レティシアが頷いた。それと同時に涙の粒が床に落ちる。ぱしゃぱしゃ、と音を立てて雫が跳ねた。もう漂う涙の粒がないか確認し、私はそっとレティシアのところまで歩いて近寄った。屈んで、そっと震える肩を抱きしめたらレティシアがわっと声をあげて泣き始める。その背中をゆっくりさすって、私は視線を戸口へ向けた。ラスやロディがほっと胸を撫で下ろしているのが見えた。


「どうしたの、レティシア。魔力が暴走してるってジョエル様が教えに来てくれたのよ」


 しゃくりあげるレティシアを宥めるように背中を摩りながら私は問いかけた。ひっく、とレティシアは泣き続けながら、それでも言葉にしてくれた。


「そ、それ、その小物入れ、……アデリーヌ様の、もの、なの」


「……母上の……?」


 レティシアの言葉に誰よりも衝撃を受けたのはロディと共に駆け付け固唾を飲んで見守っていたジョエルだった。




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