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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
7章 星屑の歌
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18 憧れた王妃様ですが


 脚など持ったことのない人魚が初めて脚を得て歩き方を覚えるのに、三日は少ない。


 レティシアは痛みに泣いた。転げて両手をついた衝撃も、立ち上がるだけで込めなくてはならない力も、全てが痛いようだ。水の中なら浮いていたのに、と言われてようやく私は海の中と陸の上の違いを知る。


「折角憧れのドレスを着せてもらったのに……」


 踊るなんて夢のまた夢、とソファに座りながらくすんくすんと泣いてレティシアは言う。ドレスを着せるのも泣いて暴れるから四苦八苦したのだけど、女性の使用人が宥めすかして何とか着せてくれた。靴は更に足が痛むから嫌だとレティシアは言う。歩くどころか立つだけで嫌がるのだから、無理に履かせる必要はないとラスが頷いた。


「でもね、人間になるって、こういうことなんだと思うよ。あたしらには人魚みたいなひれはない。ずっと陸の上で自分の体を支えながら、自分の足で歩いて行きたいところに行くしかないんだ。もしもあんたが人間になって王子様と一緒にいるって言うなら、それは避けられない。綺麗で楽しいことばかりじゃないよ」


 ラスがソファに座るレティシアに視線を合わせるために屈んで話しかけた。レティシアは大粒の涙を零しながら両手で顔を拭っている。


「あんたにそれができる? あんたの憧れの王妃様は、それを全部やったんだろう?」


 三日どころの話ではない。アデリーヌ王妃は人の体を手に入れ、人として王妃になった。痛みに耐えながら立ち、歩き、時には踊っただろう。レティシアの様子を見ているだけで、それがどれだけ大変なことか想像できる。彼女の様子では三日ももたないのではと思われるけれど、王妃はこの先ずっと、そうであることを受け入れた。二十年前の事件がなければ今もきっと。


「やっぱり無理って思って海に帰っても、誰も責めない。それだけ大変なことで、覚悟が要ることだってさっきの使用人も分かってる。産まれたばかりの赤ん坊だって歩けるようになるまで結構かかるんだから、今日人間になる薬を飲んだばかりのあんたが歩けないって泣き喚くのは仕方ないことだとあたしは思う」


「うっく……ひっく……泣き喚くなんて、恥ずかしいわ」


「でも痛いんだろう?」


「痛い……」


 素直だね、とラスは笑う。人間って凄いのね、とレティシアが私とラスを交互に見て言うから、私もラスも息を零した。


「凄いのは貴女よ、レティシア。魔物の出る海を渡って、王子様に会いたいってやってくるなんて中々できることじゃないわ」


「お転婆も良いところだけど、ひとまずはその熱意、ジョエルには伝わってると思う。後はあんたたちがそれをどうするか、あんたがどうするかだけど。頑張るってんなら応援するよ」


 私たちの言葉をレティシアは目を丸くして聞いた。拭っても拭ってもぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙がまたじわりと溢れ出し、ありがとう、としゃくりあげながらレティシアは言う。勢いできたは良いものの、脚は痛むし知り合いもいるはずもないし、心細いだろうと思うから、私は微笑んだ。


「な、涙だって、水の中なら判らないのに、陸では全部判ってしまうのね。知らなかったことが沢山ある」


「そうね。どう捉えるかは貴女次第だけど、でもどうか、楽しんでほしいわ」


 やっぱり海の中が良いとレティシアが戻ってしまうとしても、痛くて苦しいことばかりだったと思ってほしくなくて、私は願う。祈りにも似た言葉を、それでもレティシアは嬉しそうに聞いてくれた。



* * *



「え、魔物討伐にはやっぱり行くの?」


 ロディとリアム、セシルから聞いた話に私は驚いた声をあげた。レティシアはお城の使用人に任せて、ラスと一緒にお城の一室に来たのだ。


「早い方が良いと思ったんだ。悠長にしている時間もなさそうだし、考えなきゃいけないことは山積みだろう?」


 ロディが微笑んで私に諭すように言う。レティシアのこともあるし、兵士たちの疲弊も心配だし、ロディの言うことはもっともだ。


「大丈夫。昨日の感じならそんなに強い魔物じゃないし、大きいのがいるならそれこそ何とかしてあげなくちゃ。此処の国は二十年前からずっと海の魔物と戦い続けている。いつ来るか判らない敵に備える防衛戦は、長期化するとキツイからね」


 冒険者らしい着眼点に理由だ。私はモーブの夢を思い出す。誰かを助けること。勇者に限らず冒険者なら多かれ少なかれ、誰かを助けることは有り得るし求められることだ。その責務を果たそうとしているだけだと分かっているのに、喉が少し狭くなったのが自分でも分かった。


「セシルは行かないと言うから置いていく。ライラ、キミにはあの人魚の子をお願いして良いかな」


「レティシアを? 良いけど、どうして?」


 首を傾げた私は当然ながら理由を尋ねた。私たちはいずれこの国を出ていく立場にある。レティシアがどうするかは判らないけれど、長く関われないからこそ彼女のことはお城の使用人にお願いした。せめて立てるようにはなりたいという彼女自身の希望のもと、今は立つ練習についてもらっている。お城のことも手が回らない状態なのは分かっているけど、お客様が来ているなら、まして王子の婚約者だという存在なら放置しておくわけにもいかない。冒険者に相手をさせておけるものでもないはずだ。


「人魚は歌が得意だそうだよ。レティシア嬢とキミの声は似ているし、人魚の歌を覚えておいて損はないんじゃないかい? 教えている間きっと彼女も気が紛れる」


 ロディは目を細めて笑った。胡散臭いその笑顔の裏に、教わっておけ、という意図を感じて私は頷く。そうだ。私は大蛇の助言に従って人魚に会うため海まで来たのだ。


 ──水の中では歌えぬが、人魚の歌なら届くだろう。まずは海へ、お前は其処へ向かいなさい。


 人魚の歌は必要になるものだ。海の中にいる人魚が陸へ来ることは珍しくなった今、レティシアが偶然にも来てくれたことは幸運だ。利用するみたいで心苦しさはあるけれど、人魚の歌には興味がある。私はもう一度頷いて、魔物討伐へ向かう皆をセシルと一緒に見送ったのだった。



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