9 馬車の揺れに揺蕩いながらですが
「よく眠れなかったのかい、ライラ。目の下が真っ黒だ」
翌朝、当のロディに気遣われて私は自分の頬が引き攣るのを感じた。何とか苦笑して誤魔化しながら、そうなの、と頷く。
「ここしばらく色々なことがあったからね。馬車の奥で横になると良い。よく眠れるおまじないは必要かな?」
「……ええ、お願い」
馬車の奥へ向かい、体を丸めて横たわる。毛布くらい使っても良いんだよとロディに止められ、毛布を敷いてその上に寝転んだ。
とてもじゃないけどロディに見た夢の内容なんて話せるはずもなくて、誰に言えるはずもなくて、私は自分の中に呑み込んだままだ。コトが鞄の中から顔を出して寝転んだ私のところまでやってくる。顎の下、胸の前に空いている場所に尻尾をくるりと丸めて横になるから、私はコトの体を掌で覆うようにして包んだ。上下する温かさが愛おしかった。
「おやすみ、ライラ。多少揺れても気にならないようにしておくからね。今日中には海辺の王国へ着くだろう。国境を越える前には一応声をかけるから」
「……ありがとう」
ロディの顔を見られず、私は微睡むフリをして目を閉じる。
衣摺れの音がして、ロディが小さく何かを呟いた。耳慣れないそれは呪文なんだろう。眠るのは怖い。また同じような夢を見るかもしれない。夢の主がいなくても夢は其処に在るのだろうから。魔術師であるロディなら夢に対して何かしらの対策も知っていそうだけど、当のロディが出てくる夢を話さなくてはならなくなりそうで、訊く勇気はなかった。
とりあえず、ひとりになりたい。誰にも邪魔されない場所で自分ひとりで考えたい。
そう思うから馬車の奥で眠るフリをした。ロディの魔術は眠気を誘うものではなく、本当にただ静かに眠る環境を作ってくれただけのようだ。下から伝わるはずの振動はほとんどなく、心地良い揺れにさえ感じる。物音の遮蔽もされているのか前にいるラスやセシルの声も聞こえてこない。ゆっくりと考えることができそうだ。
あの、夢は。
思い出そうとすると体が震えた。恐ろしい夢だ。陽だまりのような明るい日常から文字通り一転し、夜は世界を変えた。恐らくはロディとモーブの二人の世界を。日常を。
それにはラスやキニも多少なりとも関わっているのだろうけど、より直接的に影響を受けたのはあの二人だろう。だから強い絆で結ばれていた。この先の進退を考えたのが二人であり、皆にはただ決定事項として伝えたのが何よりの証拠だ。私が迷子になっている間に皆で話し合ったのならハルンがあんな姿を見せることはなかっただろう。ハルンだけが仲間外れだったことも考えにくい。二人が考え、二人で出した結論なら、とあの時ずっと一緒に旅をしてきた仲間達はそう受け入れたのだ。それはきっと昔からそうで、だからあの場でも躊躇せず私に見せた。パロッコも何も言わなかった。そうするのが皆の中では自然で当然のことだったから。
あれから概算で十年くらい経っている。あの夜の出来事がどれだけ彼らの中にあるのかは判らない。でも少なくともモーブは、大切な夢だと思っている。勇者として魔王討伐を意識した出来事であり、もしかすると誰かを守ることがどんなことか、具体的になった日かもしれない。彼が守りたかったのはきっと、ロディだ。他の誰でもないロディのために、見も知らぬ誰かのためではなくてロディのために、モーブは旅に出た。今はもう、道を違えたけれど。
ロディは。私は意識をロディに向ける。胡散臭いけれど柔和に、優しく微笑む印象が強いロディにそんな体験があるとは思わなかった。でも、と私は考えてコトを撫でた。
解る部分もある気がする。
ロディにはどう見えただろう。娘のために解呪方法を探すオリビアの姿は。拾われたその恩返しのように身寄りのない子どもを世話するリカルドの姿は。姉妹ほどの歳の近さで義理とはいえ、娘を捨てたホブワラン夫人の姿は。家族の在り方は、彼には。
ロディが魔物を憎み魔王討伐を悲願にするのは解る気がした。私も両親が流行り病ではなく魔物によって見送ることになっていたなら、冒険者向きの“適性”はひとつもないとしても志したかもしれない。きっとシスターは彼の家族で、孤児だと言っていた彼は二度、家族を失ったのだろうから。モーブが旅に出た理由も知っているかもしれない。キニの話ではロディは元々モーブについていくだろうと言われていた神童だというから、二人で何度も何度も話し合った可能性はある。知らないフリをしていることもないだろう。
やっぱり何処かで、ロディと話そう、と私は思う。夢の中でモーブと会ったことは既に一度話している。その夢の中の出来事のことも、ロディが魔王討伐に注力する理由も、そうだと思うことを話そう。私は“適性”がそれなりにあるだけで、モーブみたいな勇者にはなれない。でもきっと、ロディが求めているのはそういう人なのだろうから。自分でもこの先どうしたいのか、考えたいと時間をもらった私が出せる結論はない。それでも、進まないとならない時はあるから。
それから、モーブにも謝っておこう。モーブがいない時に見てしまったことを。きっと許してくれる、と言っていた意味も解るけれど。あれは、彼の夢だから。
ポンセにももう一度会いたい。あれが甘い夢ってどういうことなの、と訊いてみたい。フェデレーヴの感覚は違うのかもしれないけど、苦味を大人の味と称し、塩味を涙の味、といった表現からは其処までかけ離れている印象は受けない。それなのにどうしてアオイの甘い夢は、あんな状態なのか。カケラは心の涙の結晶だという話でもあったから、そもそも楽しい夢は存在しないのかもしれないけれど。それなら甘さは、何処からきているのか。
分からないこと、明確にしたいことを考えていたら知らない間に眠っていたらしい。夢は見なかった。ラスに揺り起こされて私は目を開ける。
「そろそろ国境を越えるよ。起きれそう?」
コトと同じように欠伸をして、私は頷くと起き上がった。