7 夢の中の人物ですが
「アナタ、また来たの」
呆れたような声が聞こえて私は驚いて振り返った。此処よ、此処、と足元からしたから視線を向ければ、可憐な菫色のドレスが揺れる。
「ポンセ……! 無事だったのね!」
「あぁ、あの後。平気よ。女王なんて怖くないわ。
ところであの獣はいないのね。まぁ良いけど」
コトを探してホッと胸を撫で下ろす様が可愛くて少し息が零れた。ポケットの中に重みがあるのは黙っておこうと思う。
「どうして此処に来てしまったのか分からないの。ポンセ、貴女なら何か知ってる?」
「知らないわよ。アナタたちのすることなんていつだって意味が判らないわ。他人の夢に入るなんて、そんなことができる人間がいることだってアタシたちの間では原因が判ってないんだから。でもそうね、まだアオイがいないわ。この夢の主はまだ、眠っていないのね」
え、と疑問の声が漏れた。そんなことあるの、と訊ねれば、あるわよ、とポンセは何でもないことのように答える。
「夢は見ていない間も其処に在るの。ただとても曖昧で、脆くなるだけ。主が眠らないとアタシたちの仕事も多くはない。感知はするからそのうち来るでしょ」
「じゃあ、ポンセは私が眠ったから来てくれたの?」
「……まぁ、そうね。自分の夢の中じゃないところに行くなら見守ってあげるのがアタシたちの役目だし」
そっぽを向いて答えるポンセの頬が少し赤いような気がした。ありがとう、と伝えればフンと鼻を鳴らされた。
「アタシも暇じゃないのよ。管理場がひとつ増えたし。まぁ見には行けないんだけど」
それって、と私は思い出す。ポンセの管理する夢は私だけだと以前は言っていた。けれどもうひとつ増えたならそれは、あの時進言したあの夢なのではないかと思ったからだ。案の定、そうよ、とポンセは肯定した。
「シティスから賜った終焉の夢。前ほど遠くないから楽になったわ。カケラを取りに行けなくても観ることはできるわけだし。
そんなことより、アナタ、どうやって覚めるつもり? 此処もあんまり長居するとシティスがまた何か言ってくるかもしれないわよ。相変わらずお茶会に勤しんでて管理場なんて気にしちゃいないでしょうけど、アタシが黙っててもアオイは報告するかもしれないし」
夢から覚める方法は分からないままだから私は途方に暮れてしまった。ポンセたちと別れてからも何度も眠ったし夢も見たと思うけど、眠りから覚める時はいつも気がつくだけだ。何かしているわけではない。
「見当もつかないわ。でも此処に来たことにはきっと、意味があるんじゃないかって思うの」
そう答えれば呆れた溜息で返された。あるわけないじゃないそんなの、とポンセが呆れた声で答える。
「意味を持たせたいのかも知れないけど、そんなものあるわけないのよ。アナタ、迷い癖がついたんじゃないでしょうね。あっちの夢に迷い込んでも助けに行ってあげられないわよ。人の夢を渡って、人の夢を覗き込んで、人の抱えている秘密を知る羽目になっても知らないんだから──」
「シスター!」
私たちの横を少年が通り過ぎて行った。ポカンとしていたら、畑で収穫作業をしているシスターとモーブのところに少年が駆けていく。あまりに真横を通って行ったのに私たちに気づかなかったのだろうか。ポンセに引っ張られて私は沿道の茂みに身を隠す。
「夢の主が眠っていないから、これはただの記憶。干渉することはほとんどできない。でも夢の主がいないところで変に関わったら影響を与える可能性もある。此処にいたはずのないアナタは姿を見られてはいけないのよ」
夢に干渉できないわけではない。セシルを大人たちから守った時も、女王と交渉して渡った夢の先でも、私は人の夢に関わった。それがどう影響を与えたかは分からない。けれどセシルは、私を認識した。それは夢の主たるセシルがいたからなのかもしれない。モーブがまだ眠っていないとポンセが言う以上、此処にモーブはいない。
「大変だ! また喧嘩してる! ロディが魔法を使ってるんだよ!」
聞こえてきた少年の声に、私は視線をそちらに向けた。まぁ、とシスターは口を両手で覆い、モーブがすぐに行こうと収穫した野菜の入っている籠を置く。
「早く! 指南所に行く途中! お化け大木の前だよ! ラスとキニが頑張ってるけど魔法はちょっと!」
「シスター、早く!」
モーブと少年が駆け出すのに一瞬遅れて、シスターも足を出した。長衣のせいもあり子どもたちより速くは走れないものの、真剣な横顔が走っていくのを私とポンセは見守った。
「行くも行かないもアナタに任せるけど、どうする?」
ポンセに問われ、行っても良いのかと驚いた。此処にいても仕方ないでしょ、と返されて確かにと私は頷く。此処にいて自然と夢から覚めるのを漫然と待っていてもどうなるかは分からない。アオイが来てまた女王と面倒なことになっても困る。モーブの夢を勝手に見ることに罪悪感はあったけれど、夢から覚めるきっかけを求めて私はシスターたちの後を追った。
沿道の遠く、水柱が上がるのが見えた。太陽の光を受けてキラキラと輝き、虹までかかっている。飛沫がこちらまで飛んでくるのではと思ったけれど、夢の中でそれらの感触はない。
「こらー! ロディー!」
モーブが声をあげながら駆けていく。銀にも見える金糸が陽の光に煌めいて、モーブを振り返った。幼いながらに綺麗な顔をしたロディがラスやキニに羽交い締めにされながらバツが悪そうに眉を顰めた。その向こうには体格の良い、彼らと同世代の少年が蹲っている。小山のようだった。
「喧嘩はダメだ! 何があったんだ!」
「……別に、何でもない」
「何でもないわけないだろう! キミが怒るようなことを言われたかされたかしたんだろうと思うけど、それにすぐ魔法で応えるのは良くない!」
正論でぶつかっていくモーブを呆気に取られて見ていたら、追いついたシスターがロディと蹲る少年の両方の頭を拳骨でそれぞれぽかりと殴ってもっと呆気に取られてしまった。少年は泣き出してしまい、ロディは咄嗟に頭を両手で押さえる。痛かったらしいことが窺われた。
「喧嘩両成敗です! どちらの言い分も聞きません! 女神様は全てお見通しなのですからね!」
腰に手を当てて二人を叱りつけるシスターは、温厚そうな見た目の割に苛烈な性格をしているらしい。目を瞬いていたら、ポンセにまた引っ張られて私は沿道の茂みに再び身を隠す。ぽかんとして立ち尽くしていたけれど、誰かに認識されないとも限らない。
私たちはしばらく、シスターが滔々と女神様の教えを説くのを子どもたちと一緒になって聞いていたのだった。