6 追憶の彼方ですが
王家の人には申し訳なく貧相に思える宿に泊まることにし、その夜は更けていった。私は同室のラスが少し沈んだ様子なことに気づいていたけれど、どうして良いか判らなくてさっきから口を開いたり閉じたりしている。そんな私を見兼ねてラスの方が苦笑した。
「あんたは優しいね」
「……ううん、違うわ。ラスに気を遣わせてるもの」
自分の不甲斐なさに目を伏せれば、ラスは私の肩を叩いた。優しい強さのそれは私を慰めてくれたけれど、益々惨めさが増しただけな気もした。
「ラスは知っているのよね」
ラスの優しさに甘え、思い切って尋ねればラスは微笑をそのままに返してくる。
「ロディのこと? まぁ、同郷だからね。幼い頃には同じ神学校に通ったし、指南所も一緒だった。まぁあいつに剣の才能はなかったし剣士の“適性”もないから四六時中一緒ってわけじゃなかったけど。でもロディに親がないこと、教会でシスターと一緒に暮らしていることは知ってた。小さな村だからね。誰もが知っていたし、でも別に特別なことじゃなかった。村にはもっと特別がいたから」
モーブのことだ、と思ってそれも胸がちくりと痛んだ。小さな村にあった特別な勇者、身勝手で残酷な期待。子どもの頃から背負わされたその重さに耐えてきたモーブを知っているのは、同世代の彼らだけなのかもしれない。
「あいつ、神童なんて呼ばれてさ。確かに優秀だった。今も頭は良いけど。いや、顔も良いか。子どもの頃から綺麗な顔立ちだったから一部の大人には天からの遣いじゃないかと思われていたみたい。モーブと一緒に魔王討伐に行くのは当然だと思われてた。誰も疑わなかった。もしかしたら、本人でさえ」
魔王討伐はロディの悲願だとハルンが叫んだのを思い出した。あの日、モーブが勇者としては旅を続けられないと皆の前で告げたあの日、私が代わりに勇者として旅を続ける選択肢が示された日。本人に訊こうと思って未だに訊けてはいないけれど、でも。
魔王を討伐したくなるほどの何かがきっと、ロディにはあるのだろうと思ったから。
「あんな風に笑うから気付かれにくいだろうけど、魔王討伐を一番に願っているのはロディなんだろうとあたしは思うよ。本人からそうと聞いたことはないし、モーブが立ち上がるなら危なっかしいし着いていくしかないと思ってあたしも此処まで来たけど、その辺を話したことは案外ないんだ。あたしはロディのことなんて、何も知らないのかもしれないね」
「そんな」
ことはない、と言いたかったのにラスの表情を見たら言葉を失ってしまった。ラスがそう思っているなら私が何かを言っても意味がない気がした。
私だってロディのことを知っているわけではない。ロディは優しいし何を訊いても答えてくれそうな雰囲気を持っているけれど、その実触れられたくないことははっきりとある人だと思う。だから本人に訊くべきだと思っても今まで尋ねられなかった。
「でももしかしたら、村の人に担ぎ上げられてそうせざるを得なくなったモーブみたいに、本人の中にも言われてきたからそうしなくちゃならないって刷り込みがされているだけかもしれない。理由を振り返ってみたらそういうものだったってことも、あるかもしれないよ。次に行く海辺の王国がもしあいつの本当の故郷だったとしても、それをどう受け止めるかはあいつの問題だ。あたしが口を出せることじゃないし、あたしらが何とかしてやれることでもない。でも、あいつの故郷はあたしらと過ごしたあの村だって、あたしは信じてる。それくらいなら、許されると思うから」
許すとか許されないとか、そんなこと考えなくたって良いと思うのに。でも私が触れられない何かが其処にはあるのだろうと思うから、ただ頷いた。ラスの思いやりがロディに届けば良いと願った。
「さ、そろそろ寝よう。明日は早いよ」
「……うん、おやすみラス。ありがとう」
「……やっぱりあんたは優しいよ。おやすみ」
ベッドに横になるよう促され、私は体を横たえた。眠ることが多くなったコトはもう枕元で丸くなって眠っており、私はコトを潰さないようにしながら、その熱をもらうように片手で毛並みを撫でる。すうすうと立てる呼吸で体が上下するのに合わせて私の手も動いた。
ラスがそんな私の髪を撫でてくれる。母のような優しさを感じた気がして少し泣きそうになった。ふっとラスが吹き消した手燭の灯りが消えて、ラスの手の温もりも離れていく。少し離れたベッドにラスも潜り込んだ音がして、私の意識は少しずつ闇に溶けていった。
きゃっきゃと笑う子どもたちの声が遠くから聞こえる気がした。それはきっとラスから聞いたいつかの光景。まだ村の中で恐ろしい未来に向けて生贄のように育てられるモーブと一緒に過ごしていた日々だ。魔王討伐に赴くだろうと言われ続けた毎日に、初めて剣を握った日に、研鑽を積み努力を重ねた時間の連続だ。でも其処には仲間がいた。一緒に旅へ出た皆がいた。
鐘の音が聞こえる。ロディが育ったという教会の鐘かもしれない。子どもたちの駆ける軽やかな足音。いくつもの、小さな。
目を開いた。明るい外が見えた。高い空は秋の様相で、綺麗な青色をしている。
「此処は……」
見覚えがあった。セシルと一緒に迷い込んだあの鐘楼がある場所によく似ている。駆けて行った子どもたちは何処へ向かって行っただろう。
森の沿道は明るい日差しを浴びて白い道を浮かび上がらせていた。特に何も考えずに足を進める。少しばかり進めば教会が見えてきた。鐘のある、沿道に立つ小さな教会だ。裏には畑があり、農作業用の道具が壁に立てかけられている。そろそろ収穫時期なのか、籠にはいくつかの野菜が入っていた。
ぱたん、と音がして教会の扉が開いた。白い装束に身を包んだシスターと、子どもがひとり着いてくる。にこにこ笑っているその笑顔には幼いながら見覚えがあった。
「……モーブ」
思わず声に出していたけれど二人は私には気付かずに畑へ向かった。収穫を手伝うようだ。
あぁ、と私は思い出して空を仰いだ。以前は主に止められたけれどこれは、モーブの夢だ。近づいて行ったら私のことは認識されるだろうか。今回は今のモーブ本人が出てこないけれど、私は此処にいて良いのだろうか。
また誰かの夢の中に迷い込んでしまった私は戻れるだろうか。途方に暮れてそっと息を吐いた。