16 同じ者にしか分からないモノもあると思うのですが
私は返事を持たなかった。“適性”故にそうだと言うなら、きっと私もそうなんだろうと思っていたし、何となくは分かっていた。
「ボクはね、剣士の適性も、勇者の適性も、どっちも“天職”なんだ」
モーブは静かに言った。私を向いてはいるけれど、私に言っているようには見えなかった。遠いあの日々に馳せた想いは彼を過去へと容易に連れて行く。
「出生時診断の結果は基本的には親にしか伝わらない。でもボクの場合は少し特殊でね、誰もが期待していたんだ。僕の両親は割と名の知れた冒険者だったから」
誰もが結果を聞きたがった。両親は嬉しかったのだろう。剣士としても、勇者としても適性が天職の息子が生まれたと村人に話してしまった。村は大いに沸き上がった。幸いにして村の外に漏れることはなかったため魔王側に知られることもなく育ってこられたが、村の中の期待はいつも自分にかかっていた、とモーブは苦笑する。
「いつか両親のように旅に出て勇者討伐に向かうんだろう。村の宝だ。他の子よりも多めに食べたって良い。他の子よりも長く稽古をつけてもらったって良い。他の子よりも好きに過ごしたって良い。その代わり、その時が来たなら」
モーブは目を伏せた。翳った瞳に普段は隠される想いが滲んでいるように見えた。
「村に多大な恩返しを頼む、と言われ続けている気がした」
それだけで私は息を呑んでしまった。彼の置かれた立場と、自分の境遇を想起して、その先が読めてしまうような気がしたからかもしれない。それなのにどうしてこの人は、こんなに優しく笑えるのだろう。
「他の子よりも多く食べて良いのは体を作るため。長い旅にも耐えられるように。
他の子よりも長く稽古をつけてくれるのは自分の身を守るため。魔物に容易くやられないように。
他の子よりも好きに過ごして良いのは」
モーブは息を吸った。何でもないことのように言うための準備みたいだった。
「長く生きられる保証がないから。せめて楽しい思い出を抱えて生を終えられるように」
そんな、と口を動かしたけれど私の口からは息しか漏れなかった。そんなのは、あんまりだ。どうして誕生を喜んだのに、そんな風に。そんな風に扱えるのか。
「悪気はないんだ。でもみんな、自分のことで精一杯だから。魔王を討伐すれば魔物は人里を襲ったりしないって、確証がなくても信じたい。村を守ってくれる人はいて欲しいけど、折角“天職”なら大元を断ちに行ってほしい。そう思うものなんだろうね」
それでもモーブは優しく笑う。その中にいながら、どうして彼はそう思えるのだろう。
「信じて疑わないんだ。“天職”なら生まれ持ったものが違うと誰もが信じてる。魔術師が“天職”なら他の人よりも魔力が桁違いだとか、そういうことと同じだと思ってる。
ねぇライラ、キミも勇者適性は“それなり”にあるけど、自分は何か違うと思うかい? 人と比較して明らかなほど?」
モーブに尋ねられて、私はふるふると首を振った。髪の毛が合わせて揺れる。
「ボクも同じだよ。だけど他の人には分からない。勇者の適性なんてないから。
それがあるだけで何だか凄いことで、何だか色んなことができるように思えるんだろう。確かに同じ適性を持つ者からじゃないと滅多に大きな傷はつけられないけど、でもそれだって訓練して回避が上手くなれば同じことのように思うんだ」
「……求められてしまうんですね。“凄い人”であることを」
私の言葉に、モーブは頷く。そして彼は何年も何年も、その期待を受け止めてきた。幸か不幸か、彼にはそれに応えるだけの力があった。それは間違いなく彼が努力して掴みとってきたものであるはずなのに、勇者だから、で片付けられてきたかもしれない。それでも彼はこうして笑うのだ。
私は違う。勇者適性はあるけれど司祭さまと両親しか知らなかったし、口外しないでいてくれた。村の人たちはみんな、私は歌うことが得意なだけの村娘だと思って接してくれていた。冒険者として向いている職業はひとつも適性がないのに、勇者の適性だけが“それなり”にあると知られていたら私はどんな扱いを受けただろう。ビレ村の人たちがひどいことをするとは思えないけど、モーブの村だって決して悪意ではなかった。むしろ善意しかなかっただろう。それでもこんなに、胸が痛い。
「どっちだったかなんて、分からないのにね。凄いから勇者になったのかもしれないけど、勇者になるほど頑張ったから凄いかもしれないのに」
それでもボクは勇者だから、とモーブは笑う。もう魔王討伐には赴けなくても、村のみんなの中では勇者だし、勇者以外の生き方を知らないからと。
「みんなはがっかりした顔をするだろうな。親には張り倒されるかも。怪我をしておめおめと戻ってくる勇者なんて、誰も望んでいないからね。でも、ふふ、ちょっと楽しみなんだ」
照れ臭そうにモーブは笑う。私は分からなくて首を傾げた。その村に帰ることもやめた方がいいのでは、と言いかけた矢先だった。
「魔王討伐ができなくなったことでボクは勇者としての価値を失ったんだ。適性はあってももう勇者じゃない。腕一本で勇者でいられなくなるなんて、呆気ないものだけど。勇者じゃない元勇者のボクをみんなが受け入れてくれるかどうかだって分からない。
でもね、ライラ」
モーブがまだ合点のいかない顔をしている私の目を覗き込むように屈んだ。その目はいつものように優しくて、穏やかだった。
「これでみんな、勇者じゃないボクがいることに気づいてくれるかもしれない」
新しい自分としての道にモーブはワクワクしているんだろう。だけど私の背を襲ったのは悪寒だった。彼がそう思うほど誰も彼のことを見てこなかったのだろうか。少なくとも旅を一緒にしてきた仲間は違うだろうけど、彼が故郷に求めているのは“勇者じゃない自分”を受け容れてくれる村なのだと思うと私は笑えなかった。
そんな私には気づかないのか、キミにも同じ苦労をかけてしまうことになる、とモーブは一転して暗い声で言った。
「勇者としての道を進まざるを得なくなってしまったキミは、同じ期待を周りから受けることになるだろう。勇者だから、勇者なんだから、という期待は自分が潰れてしまってもおかしくないくらい重たい。ロディもラスも傍にいるから大丈夫とは思うけど……キミは優しいからその期待に応えようとしてしまうと思う。だけどどうか、無理はしないで」
勇者の適性があるだけで周りから凄い人に違いないと願われてしまうこと、それを払うだけの強さをモーブでさえ持たないことが、呪いだとするなら。私はきっと簡単にその呪いに負けてしまうのだろう。歌で世界が救えるわけがない。誰もが口を揃えて言うのだと思う。だから、両親も司祭さまも勇者の適性があることを黙っていたのだろう。
歌で誰かが救われることはあるかもしれない。けれど世界は、歌を聞いてくれるわけではないから。
「私は、あなたがあなたとして生きられることを願います」
思わず口を衝いて出た言葉に、モーブも私も驚いた。でも私は思い切って言ってしまうことにした。
「あなたにもハルンやキニがいてくれることをどうか、忘れないで。私についてきてくれるロディやラスもあなたのことを大切に思っていることを覚えていて。パロッコはどうするのかまだ分からないけど、一緒に過ごした時間はきっと、勇者じゃないあなたもいたはずだから。
それに、短い時間だったけれど、私もいたことを」
視界が滲んでいく。ぼやけるモーブの姿は、それでも優しく笑っているような気がした。
「あなたも、どうか無理はしないで」
勇者になりたいなんて、望んだこともなかった。きっとモーブも同じだ。産まれた時から既に適性があるから望んだことなんてないのかもしれない。適性がない人からしてみれば羨ましいことなのかもしれない。魔力のない私が、魔法で簡単に竈に火をつける隣に住むニーアおばさんを羨ましく思ったように。
「そういうところなんだよ、ライラ」
困ったように苦笑するモーブが、そっと私の肩を抱き寄せてくれた。