24 続行された学園祭ですが
一番星発表の時に今回の魔物が這入り込んだことについて説明を行うと学園長が明言し、学園祭は続行した。つまり劇は上演されることになり、私は応援のために舞台袖へ駆けつけていた。
「大丈夫よ、沢山沢山練習してきたもの。あなたならできるわ、メイジー。客席で見てるわね」
メイジーは緊張した面持ちだったけれど頷いてくれた。私はそれを信じて客席へ戻る。ハンナが私に気付いて手を振ってくれた。
「ハンナ、ありがとう。人が多いけど大丈夫?」
気遣って声をかければハンナは頷いた。少し顔色が悪いような気もするけれど、メイジーの晴れ舞台を観たいという気持ちの方が強いようだ。
「お姉さん、わたし、魔法を使ったの。初めて、生き物にむけて」
「……ええ」
ハンナが私にしか聞こえないような声でぽつりと言った。長い前髪で表情はよく見えない。どんな感情が飛び出してくるか判らなくて、それでも受け止めようと思って私は頷く。
「魔物を見たのも初めて。声を聞いたのも初めて。あんなにこわいものがあるなんて、思いもしなかった。全然、動けなくて。どうやって魔法を使ったのかも、覚えてなくて。あんなにこわいものがメイジーに向かったと思ったら、勝手に、動いてた。でもそれで、生徒会長に、矛先が、向いて」
「そうなの」
メイジーもそう言っていた。向けられた攻撃にではなく、続く攻撃にあの獣人は意識を向けた。きっと彼女の、悪意に。初めから討伐目的で喚ばれた魔物だ。それに対処できると彼女たちは思っていたし、出てきたのが獣人だったとしても何とかしなければならなかった。向けられた悪意に、殺意に、きっと本能で反応したのだろう。防衛本能で動いたハンナにではなく。
「わたし、もっと上手に、できなかったの、かなぁ……」
「ハンナ……」
マーガレットに危険が及ばないようにできたのではとハンナは思うのだろうか。もしもそうならそれは、なんと素晴らしいことだろうかと思って私は息を零した。
「あなたはまだ入学してそんなに時間が経ってないのよ。大切なお友達を守るために咄嗟に動けたことも凄いこと。それなのにもっと先のことを見ているのね。今はできなくても、きっと。そう考えられるあなたならきっと、いつかなりたい自分になれるわ」
「なりたい自分……?」
ハンナが顔を上げた。長い前髪で見えなくても目はこちらを向いていると分かるから、私もハンナを真っ直ぐに見て頷いた。
「そう、なりたい自分。こうできたら良いのに、と思うならそれは理想を描いているの。次に考えるのは、どうしたらなりたい自分に近づけるか、よ」
「わたし、なりたいもの、見つかったんだ」
ハンナが嬉しそうに笑う。つられて私も嬉しくなった。
「それに固執する必要はないのよ。きっともっと沢山学んだら、他にもなりたいものが見つかるかもしれないから。でも諦めなくても良いの。きっと同時に追いかけることのできる夢もあるわ」
「お姉さんも、そう?」
「え?」
問われて私は目を丸くした。考えたこともなかった。私はただ、歌姫になりたいだけだったのだけど。
「……そうね、そう。私もなりたいものはあるわ。それに向かって努力しているところ。他のものになる日がもしかしたら来るのかもしれないけど、それでも、諦めたくないから」
幼い頃からの私の夢。届けたい人にはもう二度と聴いてはもらえないけれど。それでもきっと応援してくれていると信じられるから。
私の答えにハンナは頷いた。上演開始のお知らせが入って、私たちは舞台に目を向ける。会場にはメイジーの両親も来ていることだろう。生徒にも来場客に怪我人は出なかったようだから、きっと聴いてくれている。彼女の晴れ舞台を一緒に祝ってあげてほしいと思う。
幕が上がって始まった舞台に、私たちはすぐ釘付けになった。
* * *
「ライラとラスの話になっていたね。ボクかと期待していたのに残念だ」
「もう、ロディったら調子の良いことばっかり言って」
メイジー主演の舞台が大盛況で終わり、一番星の発表を待つばかりになった頃、一足先に聖堂を訪れて準備を手伝っていた私は一緒に手伝うロディにそう言われて思わず笑っていた。
「ロディやリアムに近い印象の子がどうしても生徒の中にはいなかったそうよ。ラスなら女生徒ばかりの学園だし、似ている子が探せたみたい」
女神像の傍にある燭台の蝋燭に、火を灯して私は答える。女騎士に歌姫の旅は観客にも受け入れられた。特にメイジーの歌が綺麗で、あれなら何処かの劇団から声がかかるかもしれない。
「ボクとしてはライラが抜擢されなくて本当に良かったと思うよ」
「え? ロディが言ったのよ、私を選ばない生徒たちが偉いって」
マッチを振って火を消し、燭台の位置を整えてロディを振り返る。薄暗くなってきた聖堂でぽつぽつと灯る燭台で陰影を変えながらもロディが穏やかに微笑んでいた。いつもの優しい目が細められる。
「うん。でもキミの歌声を聴いたら座長や団長から声がかかって引っ張りだこになってしまう気がしてね」
キミの夢は応援しているけど、とロディは言う。少し寂しそうに見えた。
「彼女も魔力はあるけど非冒険者向きの“適性”ばかりだ。声に魔力を乗せられるようになれば“戦歌姫”としてお呼びがかかるかもしれないから、早いうちに劇団に移ってしまえれば良いね」
戦歌姫という単語に私は目を伏せた。そういう職業もあることは司祭さまから聞いて知っていた。魔王軍と人間の軍が戦う戦場において士気を高め、時には癒しを与える魔法の歌を求められる歌姫。けれど戦場に立つ特性から狙われることも多く、冒険者向きの“適性”がないと怪我をしかねないどころか、命を落としかねない危険な仕事だ。だからこそなり手は少ない。
「ライラ、キミに魔力はないけれど、それと同じくらいの歌をキミは歌えると思う。戦歌姫の話が来ても断るんだよ」
「……ええ。自分の身を守れない歌姫なんて邪魔なだけだもの」
私は頷いた。ロディが私を案じてくれるのは分かるから、求められたとしても応えてはいけないと思う。
「ボクがいる限りはキミを守ると誓う。あの日ヤギニカで決めたんだ。改めてこの女神像の前で誓おう」
「え? どうしたの、突然」
「誓ってはいなかったなと思ってね。ボクの気持ちを新たにしただけだと思ってくれて構わない。今まで通り、何も変わらないよ」
私は驚いたままだったけれど、ロディの表情がいつもと同じだったから困惑しつつも頷いた。ありがとう、とロディは穏やかに微笑む。さぁ、と視線を扉へ向けて外で待つ生徒たちや来場客を迎える準備の最終調整に入る。
「今年の一番星は誰になるだろうね。さっきの顛末を学園長に話しておいたから、土壇場でひっくり返っている可能性がある。楽しみだ」
にこにこ笑うロディは他の先生のところへ手伝いに行ってしまった。私は女神像を見上げる。色硝子からはもう光が入らず、燭台の灯を受けて女神像は優しく微笑んでいた。どうか、と私は願う。
どうか、未来が明るくありますようにと。