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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
6章 絢爛の花園
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22 愚かな愛おしさですが


 学園の中庭では悲鳴が溢れていた。授業で良い成績をおさめる生徒も実践を経験したことはない。魔物さえ目の当たりにしたことがないのだから、当然だろうと思う。


 ラスとロディがいち早く戻ってきて二人で凌いでいた。他の教師は生徒や来場客を守るための魔法をかけているようだ。


「ラス! ロディ!」


 私が声をあげると二人はちらりと視線を向けた。ラスが口の端を上げて応え、ロディは安堵したように笑う。狼の魔物と向かい合うから隙は見せられないけれど、こちらに気付いたと示してくれる様子には余裕がありそうだ。


「ライラ、キミは皆の避難を。聖堂を開けてある。できるね?」


 ロディに任されて、私は頷いた。良い子だ、とロディが微笑む。


「皆さん! 皆さん、大丈夫、大丈夫です! 魔物はこちらに来ません! けれどどうぞ、聖堂へ! 女神様の傍へ!」


 私は声を張り上げた。怯えた目が私を向いたけれど、生徒も来場客もとても信用できないといった不安が揺らいでいる。私の言葉には何の意味もないとばかりにすぐ逸らされてしまった。私の言葉は届かない。実際に魔物の声が聞こえて、魔法や斬撃の音が聞こえる場所にいれば無理もないかもしれない。学園の教師陣も不安そうな表情を浮かべているのも良くない。


「──あんたに貸してやる。オレにも聴こえるように頼むぞ」


 リアムが言い置いて私の隣を駆けて行った。ラスたちに加勢するのだろう。宵闇が降りる空色の目が細められた気がした。貸すって何を、と思った私の足元を柔らかい風がくすぐる。見えないけれど、もしかしてこれって。


「お姉さん、よろしく。僕もちょっと懲らしめてくるから」


 セシルも鋭い視線を目前の戦場へ向けながら言う。けれど私を見上げる時の目は優しかった。


「僕も聴きたいな」


 にっこりと天使のように笑ってセシルはリアムの後に続くように足を出す。その後ろ姿を見送って、私はまた不安に惑う人たちを振り向いた。足元をくすぐる風は、リアムの言うことを聞いてくれるだろう。リアムがどう言い聞かせてくれているか判らないけれど、倉庫にいることを彼へ伝えてくれたのもこの風なら。


 背後から聞こえる命のやり取りを、唸り声を、駆ける足音を、鋼と牙とがぶつかり合う音を耳にしながら、私は深呼吸をした。舞台が静かではないことも往々にしてあるだろう。それをこの風が助けてくれる。


「お願いね」


 姿は見えないけれど、小さく囁いて。私は口を開く。女神様へ祈りが届くように。不安に惑う人たちを安心させてほしいと願いながら。この人たちの安全のために戦ってくれる彼らが無事であることを願いながら。


 リアムの風が優しく舞い上がった。私の服の裾を揺らして、私の声を届けてくれる。何かがあった時にロディが私へ求めたこと。私にできること。いつもと違う今日だから、いつもと同じ歌を。


 目の前にいた人が驚いたように私を見た。私はただ微笑んで聖堂へ向けてゆっくりと歩き出す。背後ではまだ剣戟の音がしているけれど、まるで聴こえていないかのように。私が動けば不安そうな顔をしていた生徒たちが一緒になって動き出してくれた。ぞろぞろと、人波が動き出す。さっきまで不安に怯え揺らいでいた人たちがその波に乗って動き出す。


 人が近くにいたのではラスたちだって思うようには戦えないだろう。私は避難対象となる人たちの先頭に立って、聖堂を目指した。気は急いたけれどあえてゆっくりに。急な動きは不安を掻き立てるだけだ。ちぐはぐに見えたとしても、笑って、穏やかに、進んで。きっとそれが最も早い。


 周りの人についていくように、怯えていた人たちも学園の教師陣も一緒になって聖堂へ向かう。そうしてやっと聖堂へ辿り着き、扉が開いていることを確認した。内心ではドキドキしていたけれど、扉をゆっくりと押し開いて中が無事なことを確かめる。完全に開け放って、人々を招き入れた。


「どうぞ、女神様のご加護がある聖堂に」


 生徒たちが足を踏み入れる。続々と中に入る生徒たちの中にも見知った顔を見つけた。全生徒が難なく入れる聖堂だけど、来場客もいて普段より人数が多い。全員が入れる保証はない。顔に出ないようにしながら、早くラスたちが魔物を何とかしてくれることを願う外ない。


「きゃあああっ!」


「助けてーっ!」


 遠くの方からそんな声が聞こえて私は首を伸ばす。校舎の向こうから走ってくるのは二人の生徒だった。魔物が出た方角とは違う。何だろうと思って私は彼女たちに近づいた。聖堂に入る人たちはもう残り少ない。校舎にいる人たちもいるのかもしれない。全員が外に出ていたわけではないのだろう。


「どうしたの」


 息を切らせながら走ってきた少女たちには見覚えがあった。聖堂を開放した日、セシルと揉めかけた生徒たちだ。青い顔をして怯えているのはこわい目に遭ったのだろうと思わせた。


「ま、まもの、出て」


「知ってるわ。今ラスたちが対処してくれてる。聖堂の中は安全よ。先生たちも守りの魔法をかけてくれてる。あなたたちも早く入って──」


「生徒会長が、まだ、中に」


「魔物と、戦ってて、わたしたち、早く、行くようにって」


「逃がして、くれたんです」


「……何ですって」


 私は彼女たちが走ってきた方へ顔を向けた。


「中って、何処なの。校舎の中に魔物が出たの?」


「う、う、対処、できると、思って。わたしたち、勉強して、たし。あ、あんなの、あんなのが、出るなんて」


 要領を得ない返答に私は困惑した。そして彼女が握りしめているものに目を止める。獣皮紙に見えた。見覚えのある、魔法陣が描かれたもの。


「これって」


 フォーワイトの院で見た、()()騒ぎの原因を思い出して私は彼女の手からその獣皮紙を引っ張り出した。驚いた彼女の手からするりと引き抜いたそれは、炎の魔法陣とは違うように見える。魔法陣はきっと魔法に応じた数だけあるのだろうし、私にはそれが何の魔法かは判らないけれど、少なくとも火の手は上がっていないと思う。


「ほ、ほんの、余興のつもりだったの。あ、あんなものが、出てくるなんて」


「出てくる? 何の話をして……」


 困惑しきりの私に、だから、と彼女は大声をあげた。


「魔物! その魔法陣から、魔物が出たの! 召喚術だったの! それを倒して、わたしたちが一番星になるつもりで──」


「ばか、全部喋っちゃ……っ」


 もうひとりの生徒が慌てた様子で釘を刺したけれど私はもう聞いてしまった。ロディの懸念が当たったのだろうか。大きな出来事を起こして、まだ決まりきっていない一番星になる。まさかそんなことを、本気で。


「で、でも、無理だもん。もう手に負えない。会長だっていつまで持ち堪えられるか──あんな、あんな、獣人、だなんて」


 青ざめた彼女の言葉に、私は絶句した。入り込んだのは狼の魔物だけではない。他にもいる。しかもそれは、喚ばれたものなのだ。


 けれど見て見ぬ振りはできない。知ってしまったからには助けに行かなくては。


「校舎の、何処に、会長はいるの」


 短く区切らないと息ができなくなりそうだった。屋上、と聞こえたと同時に私は顔を上げる。聖堂へ、と彼女たちに指示をして笑んだ。


「女神様のご加護があるから。会長のところへは私が行くわ」


 足元を風がくすぐっていく。リアムが貸してくれたという風の精霊はまだいるのだろうか。それならどうか、と私は願う。


 ひとりの死者も出さずに、予言には外れてもらう。そのために私は走り出した。



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