19 倉庫からの脱出ですが
どうしよう。
私は辺りを見回す。倉庫の中はまだ午前中だというのに薄暗い。日陰に保管しなければならないようなものを入れるための場所なのだろう。壁際に僅かな灯りとりの窓がある程度で、それ以外は外に繋がる場所はない。
私は目が慣れてくるのを待って動いた。まずは灯りとりの窓へ。私の体が通る幅ではないけれど、近くに人がいるなら呼べるかもしれない。こんなところに誰が来てくれるかとは思うものの、扉の前でうずくまっていたって何も変わらない。それこそ学園祭が終われば誰かは片付けに来るだろうけど、それまでただ待っているなんてできなかった。
「んっしょ……」
窓は小高い位置についている。其処まで行くにはいくつも積まれている木箱や道具類に足をかけて登る必要があった。積んであるものを崩さないように、崩れてその下敷きにならないように注意しながら私は上を目指す。あの窓が開けば。換気することだってあるだろうからはめ殺しではないはずだと思う。
御令嬢の生徒には無理だろうけれど、生憎と私は山育ちだ。木登りだってしてきたし、子どもの頃は生傷をこさえるのも日常茶飯事だった。母は青くなったけど、父は笑っていた。あれから数年経ったけど、まだ登れるはずだと思う。培ってきた勘は鈍っていない。何処に足をかけて、何処に手をついてどう重心を移動すれば良いか、まさかこんなところで役に立つとは思わなかったけど。
「んっく……かったい……」
何とか辿り着いた窓に手をかけて私は横へ動かそうとした。鍵もついているし動く構造はしているのだろうけど、誰も開けていないのか窓枠は錆び付いていて固かった。相当の力を込めないと動きそうにない。窓は埃や外の塵で汚れていて、人がいるかどうかもよく見えない。
足場が悪い中で私は細心の注意を払いながら窓を開ける。ぎ、ぎ、と固く軋んだ音を立てた窓枠は少しずつ開いているような気がしないでもない。
「はぁ、魔法が使えればなぁ」
知らず息を止めていたようで私は手を止めて大きく息を吸って吐いた。それと同時にないものねだりが頭をもたげる。あの生徒は私に実力があると言った。だから自分の気持ちなんて分からないと。でも私の気持ちも彼女は分からない。魔力がない私のことを本当には理解できない。私にはこの学園に入る資格さえないのだから。
でもだからこそ諦めたくはない。それを言い訳に彼女が悪事に手を染めないように、知ってしまった私が止めなくては。
それが私の、義務だと思うから。
「そもそも魔法が使えたってこの窓を開けられるかは分からないし」
私は手を擦り合わせて痛みを誤魔化しながら、再び窓枠に手をかける。力一杯引っ張って、窓と格闘した。
「魔法を使える方が大変そうな人だって見てきたわ」
最初のラフカ村だって、魔法を使うエルマは恐れられた。エルマの母親も魔法が使えることは秘密にしていた。魔法が使えても良いことばかりじゃないのだと思った。
その後に魔法ではないものの、魔物使いの世間的な扱いを知った。リアムが教えてくれたものだ。それでセシルが苦しむ理由が少し分かった気がした。ロゴリの村では神様の振りをした魔物が威張っていたけれど、アメリアの勇気とリアムの知識がなければきっと私はあそこで神様に踏み砕かれていただろう。
魔法とは違うかもしれないけれどウルスリーではエミリーの呪いを目の当たりにした。目の前で獣が人の姿へ戻っていく解呪を見て、呪いは想いの力だとロディが言ったことを改めて強く感じたのだ。きっとそれも魔力が必要なことなのだろうと思う。呪いをかけるのも、それを解くのも。
夢の中では虫の翅を持つ少女たちと出会った。魔力がなくても夢の世界には入り込めたのだけど、あれ以来ないからそう滅多にあるものでもないのかもしれない。ポンセは元気にしているだろうか。あの少年の夢を彼女が見守ってくれていることを願う。
フォーワイトで会ったハンナは声が聞こえると言った。あれもきっと魔力の強さによるものなのだろうと思う。ロディがおまじないを教えてくれたし、この学園で学ぶことで少しずつ大きな魔力の扱い方を身につけているようだ。
持っている人には持っている人の苦しさがある。でも持っていない人も、持っていない人の苦しさがあるのだ。魔法が使えたら便利だろうと思う。でも魔力がないから使えない。私は魔法なしで、この先を生きていく方法を見つけていかなくてはならないのだ。
「あ、い、た……!」
ほんの微かではあったけど、窓は開いた。でも細すぎてこれではコトも通れそうにない。コトを通して助けを求められればと思っていたけれど、これではできそうにない。ポケットの中ですやすや眠っているコトを叩き起こさなくて良いのは嬉しいけど、これでは。
微かに開いた窓からはそよ風が入ってくる。私の前髪を揺らして、冬が近い秋の匂いを連れて。埃っぽくてカビ臭さが漂う倉庫の澱んだ空気に慣れ始めていたけれど、新鮮な空気に私は思わず深く息を吸った。そのまま今日の劇でメイジーが歌う曲を口ずさむ。
劇も見に行く約束をしていた。でもこのままでは行けないし、約束を破ることになりそうだ。本番前に勇気づけてほしいと言われていたけど、それもできそうにない。メイジーならきっと大丈夫だと思うけど、本番前に緊張するのは判るから駆けつけてあげたかった。
そよそよと前髪を揺らす風が私の歌を連れて彼女のところまで行ってくれれば良いのに。そう思っていたら、かちり、と錠が開く音がして扉が動いた。
「……こんなところで何してるんだ」
「リアム!」
私は慌てて飛び降りながら駆け寄った。よろめいた私をリアムは眉ひとつ動かさずに見ている。ひどく不機嫌そうに見えた。
「凄い! どうして私が此処にいるって分かったの? 閉じ込められていたのよ!」
「あんたの歌が聞こえた。お節介にも連れてくるから」
リアムが視線を動かすから私もつられた。でも其処には何もない。聖堂であったことを思い出して、ハッとして顔を上げる。
「風の精霊が? 教えてくれたの?」
返事がないのを是と捉えて、私はにっこりと微笑んだ。
「ありがとう! それと早速だけどリアム、手伝ってほしいの」
私の言葉に眉を動かさなかったリアムの表情が面倒そうに動いた。