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15 優しさの裏側に痛みが見えた気がしたのですが


 ヤギニカの街に来てから、三週間が経とうとしていた。


 モーブの腕は何度も日常生活で使う範囲の動きを繰り返し、徐々に、それでも確実に動くようになっていった。その間、私はハルンにしごかれながら、遂にはキニにも相手をしてもらうまでになっていた。ハルンの教え方は端的で分かりやすく、長所も短所も教えてくれるから自分がどう動いているのか、咄嗟にどう判断できているのかが客観的に見やすい。


「時間。そこまで」


 ハルンが特訓終了の時間だと教えてくれる。私は少し物足りなさを覚えていたが、ハルンに言わせればそれだけ余裕が出てきたことのようだ。そこで無理をすると体を壊す、私がどうしても避けたいがっちり体型になってしまう、とハルンはにんまりと笑って言うから、私はハルン師匠の言いつけをしっかり守ることにした。


 ハルンが当初言っていたように、必要な筋肉が必要なところについてきたからか体型が少し綺麗になってきたような気がする。適性が“それなり”でも踊り子として多少は通用するように私だって母に教わりながら努力はしてきた。けれど格闘家の目線から教えてもらう舞踏も、学ぶところが多かった。


 母に教えてもらったものはひとりで踊るものだった。例えば魔物に遭遇しても身を躱せるように、例えば舞台で聴衆を魅了できるように、一方通行で私だけを助けてくれるもの。けれどハルンやキニに教えてもらう舞踏は必ず相手がいた。相手の呼吸を感じて読み取りながら相手の出方を窺い予想し自分が次に踏むステップを判断するもの。時に相手を傷つけないように、時に相手を傷つけてでも自分を守れるように、さながらそれは諸刃の剣のようで。


「最初に比べて立ち回りが上手くなった。踏み込む度胸もついたな。そのうち実戦で試してみるか」


 キニが笑って言う。私は驚いたけど、ハルンは同意するように頷いていた。


「無論。場数を踏んでこそ磨かれる技」


 魔物相手にやってみようということなんだろうな、と思うものの師匠が見ていてくれている間にやれることはやってしまった方が良いような気がした。いつでも訊ける人がいるのはありがたいことだと、私は既に十分知っているのだから。


 日取りは後で相談することとして、私たちは宿に戻った。汗を流して美味しい食事を頂いて、以前はくたくたに疲れてしまったからすぐに眠っていたけれど、最近は体力もついてきたからかまだ起きていられそうだ。ハルンもラスもパロッコも何処かに出かけてしまって誰もいない部屋で、私はふさふさ尻尾のコトを膝の上で撫でながら窓を開けて星空を眺めた。


  ひんやりとした夜風が首筋を撫でていく。抜けてきた森の近くにある宿だからか、部屋が森側に面しているからなのか、明るいヤギニカの街でもこの部屋からなら星空はビレ村にいた時と同じように見えた。


 小さく、私は歌を紡ぐ。父が語り聞かせてくれた多くの歌は、私の中に残っている。吟遊詩人の適性が残念ながら“なし”の私には楽器を扱うことはできないけれど、耳の奥では父の奏でる楽器の伴奏が聴こえていて、父が歌うのと同じように私は私の声でその声を追いかける。いつか自分の歌にできるように。


 それは勇者さまの冒険譚のひとつだった。巨大な魔物に挑んだ勇者さまに恋をした風の精霊の娘は、彼の頬をいつも優しく撫でた。勇者さまには精霊の姿を見ることはできず、声も聞こえない。娘は勇者さまに触れることでしか自分の存在を伝えられなかった。吟遊詩人の爪弾く竪琴に想いを乗せて、空から降る雨粒に寂寥を溶かして、遠く遠く勇者さまについて旅をした。恋い慕う娘の届かぬ歌は、満点の星空の下で空気を震わせる。たとえ勇者さまに想いが届かないとしても、娘はそれで良かったのだと。


 父の奏でる竪琴の綺麗で悲しい旋律が私はとても好きだった。覚えたくて、何度も父にねだった。父は何度も歌ってくれた。思い出の中でしか聴くことはできなくても。


「ライラ」


 声をかけられて、私は我に返って歌うのをやめた。でも部屋には誰もいない。窓の外に目を向けて、私はモーブが外に出ているのを知った。下からこちらを見上げて左手を大きく振る。


 ああ、そんなに振ったらバランスを崩して転んでしまう――そう思う私の懸念通りモーブはおっとっと、とよろめいて尻もちをついた。私は慌てて窓から身を乗り出す。弾みでコトが私の膝から滑り落ちそうになって、めぇーと抗議した。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 モーブは恥ずかしそうに笑うが、私はすぐに部屋を出てモーブがいる場所へ急いだ。コトが抗議をしつつも私の肩に飛び乗ってついてくる。モーブは座り込んだまま私が来るのを見ていた。


「どうしてひとりで出歩いてるんですか」


 私が焦って問うと、モーブは頭をぽりぽりと掻いた。日常生活を送れるようになるには確かに部屋にこもりっきりではいけないけれど、日が落ちてからこんなところを歩いて何かあってはと私は心配だった。


「ちょっと散歩を、と思って出たら歌声が聞こえてきたものだから……出所を探していたら此処に来てしまったんだ」


 私のせいだった、と私がしゅんとするとモーブは慌てて大丈夫だよと言う。


「ちょっと転んじゃっただけだから」


 そう言って立ち上がるモーブに少しだけ手を貸して、私はモーブを支える。穏やかな声でありがとう、とお礼を言ったモーブは私をじっと見つめた。


「あの歌は……」


 父に教わった曲だと答えると、そうか、なるほど、とモーブは頷く。良ければ散歩に付き合ってくれるかな、とモーブが言うので私も頷いた。


 賑わっている方ではなく、静かな道を選んでモーブは進む。道すがら、ハルンに見てもらっている特訓の話になった。


「ハルンが言っていたよ。キミは教え甲斐があるって」


「え、それは物覚えが悪いって意味でしょうか……」


 司祭さまも辛抱強く私に物事を教えてくれた。ハルンも辛抱強く教えてくれているのかもしれない。教えてもらったことがすぐにできるようになれば良いのだけど、どうしても頭で理解することと体が動くことはすぐに結びつかないから難しい。


 違うよ、とモーブは苦笑した。


「むしろ逆かな。理解しようとする、って言ってた。ハルンもキニも体で覚えてしまう方だったから、どうしてそうなるかは後から考えたんだって。でもキミは違う。理解しようとしながら体でも覚えようとする、らしいよ」


 そういえば、とモーブは思い出したといったように唐突に声をあげる。


「賢者の適性は“天職”だと言っていたね」


 よく覚えているのだな、と私は瞠目した。ちらりと話しただけなのに、彼は些細なことも覚えてくれている。彼にとってはただ次の街に送るだけだった村娘なのに、覚えていてくれるのは何だかとっても嬉しかった。


「でも魔力もない私では賢者にはなれないし……」


 賢者は魔術師や神職の上級職だ。更に研究しようと熱意を持った魔術師や神職が賢者になると教わった。いくら適性があっても、私には縁のない職業だと思っていた。


「ライラ、キミは“知ること”自体を大切にしているんじゃないかな」


 モーブは優しい声で返した。え、と思わずモーブを見つめる私に、彼は同じように優しい眼差しを向けている。


「いずれはそれが知識になるんだろうね。知ること、考えることが賢者って本質なんじゃないのかな。もしかして、そういう本質的な部分が“天職”と診断されたのかも」


 私は目を丸くしてモーブを見ることしかできなかった。言葉がすぐに出てこない。


「知って、考えて、理解して、自分の中で消化して、そうして初めてキミはそれを自分のものにできるのかもしれないね。それまで時間はかかるかもしれない。でもそうして得られたものが知識になったなら、それはキミの財産になる。きっとお父上から聞いたという歌も、お母上から学んだという踊りも、そうしてキミの一部になっていったんだろうね」


 モーブがそう言うと、とても素敵なことのように聞こえた。それと同時に私はラスやハルンの言葉を何故か思い出す。


 ――あいつはさ、そういうところが上手いの。だからきっとあんたにも、怪我が良くなって話せる状態になればあいつは同じようなことを言う。あんたが村を出なければ良かったなんて思わないように。


 ――呪縛。なりたい者に適性なく、望みもしない者に与えられる。人の期待に押し潰されて、自己犠牲を余儀なくされる。


 彼のそれが無意識だとしたら、何て恐ろしいことだろう。私にとって耳触りの良いその言葉は、きっと今、私が言って欲しい言葉だ。彼がそれを察して言葉(カタチ)にしてくれたものであったなら。


 それはハルンの言うように、呪いだ。


 私は思わず足を止めた。モーブも合わせて止まってくれる。どうしたの、と言うように小首を傾げる姿はどこまでも穏やかで優しくて、とても怪我をして命の危機に瀕した人とは思えなかった。


 ハルンも心配になるはずだ。彼はどこで、自分の感情に折り合いをつけているのだろう。


「私にも、ハルンは言っていました。勇者はまるで呪いのようだと」


 ふ、とモーブの表情が少し翳ったように見えた。


「人の期待に押し潰されると、自己犠牲を余儀なくされると」


 そう、とモーブは笑う。どうして笑えるのか私には分からない。


「あなたは、人の期待に押し潰されて、自己犠牲を払ってきたんじゃないですか」


 だから傍で見ていたハルンが、そういう風に言うのではないですか。


「優しい言葉で、とても嬉しいです。それなのにこんなことを言うのはおかしいのかもしれない。でも、訊かずにはいられなくて」


「……良いんだ、何でも訊いてと言ったのはボクだから」


 モーブは相変わらず優しい表情のままだ。だからこそ、次に発された言葉が私には重く圧し掛かってきた。


「ハルンの言うように、確かにこれは呪いに近いものだと思うよ。そしてそれは、ライラ、キミも同じだ」



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