10 天使の変化ですが
「へぇ、あんたがあたしたちを?」
「全く身に覚えはないがな。その二人が言うにはそうらしい」
騒ぎを聞きつけてやってきたラスが事情とリアムが過去に私たちを助けてくれたようであることを聞いて驚いた顔でリアムを見た。リアムは肩をすくめ、私とセシルに視線を向ける。
「私には見えないけどリアムの連れている風の精霊がそうだってセシルが言うの。確かにあの時私たちを助けてくれたのは風だし、リアムが風の精霊と契約しているならそういうこともできるのかもしれないわ」
私が言うと、セシルは間違いないよと涼しい顔をして答える。
「普通の風じゃなかった。かといって魔法の風でもない。偶然、その辺にいた風の精霊の気に障ったんだろうくらいに思っていたんだけどね」
あの時何があったか私たちは口にしていない。被害者のモーブは此処にはいないし、夢の中とはいえモーブとセシルは和解した。それをロディもラスも知っていて、受け入れている。今更それを口にする必要はないという認識は共通していて、リアムも訊かないから答える必要もない。
「それはそうと、セシル。あんた何したの。ロディが連れてた生徒会の子たちからあんたの名前を聞いたよ。脅したとか聞いたけど本当なの?」
ラスは腰に手を当ててセシルを見た。まぁ、近いようなことはしたよ、とセシルが答え、ラスが頭を抱えた。
「あんたねぇ」
「セ、セシルは、悪くない。お姉さんのこと、悪く言ってたと、思うから。わたし、セシルは悪くないと思う」
ハンナが声をあげて私たちは驚いて視線を向けた。相変わらず彼女の目元は見えないけれど真剣な表情をしているのは分かる。思いがけない味方にセシルは嬉しそうに笑った。天使のようだった。
「お姉さんは言わないだろうなと思ったから黙ってたけど、ハンナが言ってくれた。まぁつまり、そういうこと。僕が怒ることなんて魔物かお姉さんのことくらい、だよ。生徒会とかいう奴ら、お姉さんに魔力がないからって馬鹿にした。此処をひとりで綺麗にしてくれたのはお姉さんなのにそれにお礼も言わないんだ。あれで良いとこのお嬢様とか言うんだろ。笑っちゃうよ」
最後の言葉を冷たい笑顔を浮かべてセシルは言う。そういうこと、とラスが息を吐いた。困ったように頭を掻いて言葉を探している様子だった。
「あのね、此処に来てる理由を忘れてないだろうね。あんたが怒るのも分かるけど、ライラはそんなことで怒らないしましてや大事になることだって望んでないし、あんたが罰則とか退学処分とかになる方が堪えるんだから。軽率な行動は控えるように」
ラスに怒られてセシルは不貞腐れたように唇を尖らせたものの、渋々頷いた。
「あんたの気持ちは否定してないから、それは勘違いしないでね。あんたが怒るのも無理はないし、ライラは自分のことを悪く言われても怒らないだろうから代わりに怒ってくれたのはあたしだって感謝してる。でもね、あんたがしなきゃならないことは他にもあるでしょう。それを忘れるんじゃないよ」
ラスのお説教は正しいから反論できない。だからただ謝ることしかできない。私にも経験があるから苦笑した。ごめんなさい、と素直に謝るセシルに私は近づいて視線を合わせるために少し屈んだ。
「セシル、代わりに怒ってくれてありがとう。あなたがそう思って怒ってくれたのが判って嬉しい。でも、私が怒るべきだったわね。あなたは悪くないのにきっと罰が待ってる。代わってあげられれば良いんだけど」
「そんなの、良いよ。僕がやりたくてやったことだ。お姉さんのせいじゃない。罰でも何でも受ける。どうせ大したことない罰則だろ」
セシルが体験してきたものに比べれば大したことないものかもしれないけど、そうは言えなくて私は曖昧に笑うだけにした。そんな顔しないで、とセシルは私に微笑んだ。
「お姉さんにそんな顔させるなんて僕、まだまだなんだね。ごめん。ラス、行こう。僕、まだ学ばないとならないことが沢山ある」
「まぁあんたがどうして生徒会の子たちを脅すに至ったかくらいはあたしも力添えしてあげるよ」
「わ、わたしも、行く!」
ラスとハンナの協力を得て、セシルははにかむように笑った。
「ありがとう」
あんなに人を拒絶してフォーワイトでだって最低限しか誰かと関わろうとしなかったセシルが素直にお礼を言えるなんて此処は凄いなと私は思う。心からのものではないのかもしれないし、人間関係を円滑にするために身につけたもののひとつかもしれないけど、そうできるようになったことは事実だから私はそれは歓迎したい。それに少なくともラスとハンナに見せた笑顔は心からのものだと信じられる。
「それじゃライラ、またね」
ラスたちに手を降って私は三人を見送る。残ったリアムに視線を向けられて、私も無防備に見つめ返した。
「良い男になるな、あれは」
「そうなの?」
「あんたに惚れてる。まだあんなに子どもの癖して男の顔をしてるぞ」
「恋って素敵なものだって聞いているわ。その相手に私を選んでもらえたなら光栄。
でも歳も離れてるし、あの子が大人になる頃私はおばさんだし、そんな素敵な相手に選んでもらえるのも今だけね。……って、え?」
違和感なく話していたけど私は気づいてリアムの目を穴が開きそうなほど見た。宵が降りる空の色。その目が楽しそうに細められた。
「あんたたちの言う“事情”があるんだろう。他言するつもりはない。あんたたちに害がないのはよく判った。だが気付くやつは出るだろうな。態度を改めるように気をつけさせた方が良い。心意気が男前すぎてすぐ気付かれるぞ」
私は頭を抱えた。リアムに他言するつもりがないのは救いだった。
「幼い上にあんたにしか今のところは興味がないようだから見逃すが、気付かれれば大騒ぎになる。大物の娘だっているんだろう。下手をすればお尋ね者だ。精々気をつけることだな」
「助言をありがとう。皆にも伝えることにするわ」
「それが良い」
楽しそうに細められた目をしたまま、リアムは踵を返すと聖堂から出て行く。私はその場に蹲りそうなほど、大きな溜息を吐いたのだった。