14 格闘家兄妹と話したのですが
翌朝、考えすぎてあまり眠れなかった気がしたけれど私は起き上がった。女性用にと取ってもらった四人部屋に、昨夜は誰も帰ってこなかった。ハルンは飛び出したまま、ラスもあの後ふらっと街へ出かけて戻ってきていない。私はふさふさ尻尾を丸めて眠るコトを起こさないようにしながらベッドから降りて、身支度を整える。
少し早いけど、早朝に出発する冒険者もいるからと開いている食堂へ私は向かった。案の定こんな早朝から食堂にいる人は二人だった。けれど、その内のひとりに私は気づいて近づいた。
「おはようございます」
「おはよう。早いな」
ハルンを追いかけて行ったキニが朝食を摂っていた。ということはハルンは無事なのだなと察して私はホッとする。
「私は山育ちだからか、早く起きる癖がついてしまっていて」
そう言って笑うと、キニも笑った。
「オレは野営中でなければ毎朝の鍛錬を日課にしているからな。何か食べに来たんだろう。今朝はパンを焼くという話だったから、そろそろ焼き上がる頃だと思うが」
キニが視線を向けると同時に厨房から焼き立てパンをバスケットに入れた給仕係りが出てきた。焼き立ての良い香りは私のところまで漂って来て、途端にお腹がぐるぐる主張を始めた。
「美味しそう! 私、もらってきますね!」
パンは食べ放題という話で、私は喜んでお皿にパンをのせて、スープをもらって戻って来た。キニの向かいに座って、一緒に朝食を摂る。
「……昨日は妹がすまなかった」
キニがぽつりと言った。パンに齧りついていた私は、え、と目を丸くする。キニは食べ終わったお皿に一瞬だけ視線を落として、私をじっと見た。
「パロッコ以外、オレたちは同じ村出身でな。ハルンはまぁ見てて分かると思うが、モーブを慕っている。モーブは出生時診断で勇者適性があると告げられて以来、村でも期待されていた。剣士の適性もあるし、いつか魔王討伐に出るのだろう、そんな期待を背負っていた。ハルンにとって、モーブは身近な“勇者さま”ってやつだった」
パンを飲み下した私はキニの話に集中するためにパンをお皿に置いた。
「いつか魔王討伐の旅に出る。誰もが信じて疑わなかった。神童ロディもいるし、剣の腕は男にも負けないラスもいる。その時が来たら、ハルンもついていく、と言い出すことはオレでも分かった」
幸か不幸か、オレたち兄妹は格闘家の適性があったからなぁとキニは苦笑する。あまり表情を変えないところしか見ていなかった私は、妹のことになるとこんなに柔らかく笑う人なのかと知って頬が緩んだ。
「ハルンにとってモーブは“勇者さま”ではあったが、同時に村からかけられる期待も見てきている。それを笑って受け流せるモーブではあった。けどそうじゃないことがあることも、ハルンは気づいていた。それだけ長くモーブを見てきた証拠だ」
いつも見ていたから気づいたことがある。ハルンにとってモーブは憧れであり、同時に同じ村に住む人間であったから。
「自分が守るんだ、って訓練に打ち込んだ。めきめき上達したよ。オレじゃなきゃ組手の相手は務まらないくらい」
勇者一行が旅に出るなら格闘家兄妹も行くのだろうと村全体が思い始めた頃、両親が死んだ、とキニはそれだけは目を逸らして言った。
「流行り病だった」
私はハッとしてキニを見つめる。それは、まさか。
「最近はこっちの方まで流行が広がっているようだが、その時はまだ流行り始めたばかりの頃だった。それをきっかけにオレたちは旅に出ることを決意した……ハルンはあんたの境遇を自分と重ねてる。だからあんたを心配してる」
キニは真剣な目で私を見た。
「同時にあんたにモーブの姿を重ねてる。ハルンはロディを目の敵にしてる節があってな……」
ロディにはロディの考えや希望がある、とキニは小さく続ける。誰もが魔王討伐を目的とはしたが悲願にしていたわけではない。やむを得ないこともある。今回はそれだ、と。
私は首を傾げた。けれど本人から直接訊くべきだと思い直して、訊ねるのはやめた。
「旅を続ける者、帰り路を辿る者、道はそれぞれが選んで進むものだ。誰かに強制されるべきではないし、強制するものでもない」
例外はいるけどな、とキニは微苦笑する。
「旅慣れないあんたに旅を続けさせるしかない結果を招いてしまったのはオレたちの力不足だ。申し訳ない。だけどモーブを無事に送り届ける役目もオレたちにはある。オレとハルンはモーブと一緒に帰る。あんたの旅にはついていけない。けど、幸多からんことを願っている」
私もです、と私は微笑んだ。無事に帰れますように、と言うとキニは驚いたような顔をしてから、ありがとな、と笑った。
食後、ふさふさ尻尾を丸めてまだまだ眠るコトを膝に座らせながら部屋で陽の光に当たっていた私に、戻って来たハルンが声をかけてくれた。昨日はごめん、といったようなことをハルンは俯きながら口にする。
「猛省。頭に血が昇りすぎた」
私はしょんぼりした様子のハルンに、ううん、と首を振った。
「心配してくれたんだって、お兄さんに聞いたから」
ハルンは一瞬、喋りすぎだとでも言うように顔をしかめた。けれど先に言っておいてもらって少し言いやすくなったこともあったのかもしれない。ハルンはぐっと顔を上げて私を見つめると、思い切ったように口を開いた。
「提案。稽古をつけても良いか」
「……私に?」
こくん、とハルンは頷く。頭の天辺で纏めた彼女の美しい黒髪が馬の尾のように揺れた。
「自衛。誰の力も見込めない時は自力で何とかしないとならない。でも圧倒的に訓練不足」
先日の魔物使いの少年に襲われた時のように、それぞれが膠着して動けない場面もまたあるかもしれない。そうなったら、私はまた震えているしかない。都合よく助けてもらえるとは限らない。心配してくれるハルンの気持ちはありがたい。だけど。
「私……格闘家の適性は“なし”なのだけど大丈夫かしら」
おずおずと懸念を口にすれば、ハルンはきょとんとした。
「疑問。踊り子の適性はあった筈」
「それは、確かに。“それなり”には」
元踊り子だった母に教えてもらったステップは踏める。いざという時に使える保証はないけれど、多少の身躱しなら覚えた。ハルンはにんまりと満足そうに笑った。
「解決。舞踏であれば会得可能」
少し屁理屈のような気もしたけど、格闘家の技を踊り子の技のように落とし込めることができたら少しは役に立つかもしれない。母も色々な武器が増えるのは良いことだと言っていたし。
「で、でもね、あの、私、司祭さまの様子から物覚えはあまり良い方ではないだろうし、決して優秀な生徒じゃないと思うの」
それでも、それでもハルンが良いと言ってくれるなら。
「それでも根気よく教えてくれるなら、どうかお願いします」
頭を下げた私の動きでコトが目を覚まして、めぇーと鳴き声ともあくびともつかない声を出した。少し間延びしたその声にハルンはくすっと笑う。それから私を見据えて頷いた。
「あ、あとね、あの……私、すぐ筋肉がつく体質なの。がっちり体型になっちゃうのは困るから、あんまりがっちりに見えない稽古にしてくれるとありがたいなぁって……」
恥ずかしさのあまり段々と声が萎んでいく私に、ハルンはまたきょとんとした。格闘家だけどほっそりとした華奢なハルンは、元々がっちりした体型にはなりにくい体質なのだろうと思う。必要な筋肉が必要なだけついていて、少し羨ましい。ううん、本当はかなり羨ましい。
ハルンはまたにんまりと笑った。
「承知。更に綺麗になるから楽しみにしておくと良い」
今度は私がきょとんとする番だった。それから思わず頬が緩む。ありがとう、と伝えればハルンは満足そうに鼻を鳴らし、腰に手を当ててふふんと笑った。だけど、不意にその瞳を翳らせて。
「……難題。何故、勇者は適性のある者しかなれない」
絞り出すように紡がれた言葉は、とても苦しそうだった。
「呪縛。なりたい者に適性なく、望みもしない者に与えられる。人の期待に押し潰されて、自己犠牲を余儀なくされる」
「ハルン……?」
私が手を伸ばすと、ハルンは私の手を両手で取った。強く、痛いくらい強く握る。何度も敵を素手で倒してきたハルンの手は、格闘家の手だった。大切なものを守りたいと自分の身を賭して闘ってきた、格闘家の。
「無力。逃げろと言えず、代わることも不可能。傷つくことも止められない」
私はハルンの両手を包むように、もう片方の手を上から重ねた。ハルンが私を見る。私は微笑んでみせた。ビレ村のみんなが褒めてくれた、両親が褒めてくれた、私の笑顔。思い描いたように笑えているだろうか。どうか、今だけは。
「適性については……私には何もできないけど、でも貴女がそうして想ってくれるなら多分、救われてる」
ハルンはどこかが痛むように顔をくしゃりと歪める。
「私は彼じゃないし、貴女でもないからこの言葉にはあまり意味がないのかもしれない。だけど、“勇者さま”をそういう風に見てくれる貴女が傍にいてくれたから、きっと彼は彼でいることができたんだと思うの」
同郷の仲間がいて、彼を彼として見てくれる人がいて、それでどうして彼が変質してしまうことがあるだろうか。真っ直ぐで、夏の青空みたいに爽やかで、だけどどこか遠く感じる彼にいつも語りかけて寄り添う存在がいるから、彼は御伽噺の“勇者さま”にはならなかった。
「だから彼、故郷に戻るっていう選択ができるのだと思う。帰る場所があるって、素敵なことだわ」
ハルンの目から透明な雫が零れた。見惚れるくらい綺麗なそれに、思わず私は目を奪われる。そしてハルンはとても綺麗に笑った。少し悲し気にも見える笑顔だったけれど。
「……感謝。でも稽古は厳しい」
ふふ、と私も笑いがこぼれた。
「お手柔らかにお願いね」
暖かな日差しが入る部屋で二人、手を取り合ったまま私たちは笑いあった。