4 思いがけない再会ですが
こんなの絶対上手くいきっこない、とラスがぶつぶつ呟いていたけれど、ロディの胡散臭い笑顔でも信じるに足る圧倒的な技量の前では学園長も二つ返事で頷いた。ボクの妹だけを残すのは心配だから、という理由で女装したセシルを学園に一時的に編入させることも承諾させたロディの手腕に私はただただ舌を巻いたけれど正直に言って何が起きているのか分からなかった。
ラスとロディは無事に教師として学園に赴任することとなり、私はといえば難色を示されつつも人が来なくなってしまった聖堂の掃除も兼ねるということで何とか学園に入る許可をもらった。秋までは長期休暇でそれぞれの家へ帰る生徒が多く、その間に予言が行われたせいで聖堂の管理者も休暇を出してしまったらしい。改装中という名目で生徒の立ち入りは禁じているものの、数ヶ月にも渡って掃除の手が入っていないというのは学園にとっても由々しき問題だったようだ。聖歌というよりは掃除や管理を目的として私には許可が出たように見えた。
そして今、私は立ち入り禁止となった聖堂を前にして思ったよりも汚れていないことに安堵していた。今頃はきっとラスたちが学園の生徒たちに紹介されているだろう。セシルの女装もほとんど何もしなくても完成したし、男の子だと知られる心配はそんなになかった。私は掃除道具を持って聖堂を訪れている。私は学園の集会には参加する必要がない。掃除が終わって生徒の立ち入りも許可されるようになってから管理人として紹介されるだろうとは思うけど。
「よーし、頑張るぞー!」
わざと声を出して服の袖を捲って私は自分に気合を入れる。人の手が入らなくなった建物は脆い。すぐに廃墟になってしまう。けれど学園の聖堂は全く手をかけられなかったわけではないようで、週に一度でも掃除されていた形跡があった。
私は聖堂の正面扉を大きく開け放ち、窓という窓を開け、埃を外に掃き出した。バケツに水を汲み、女神像や木製の椅子を拭いていく。冬の気配がしていてもひとりでする大掃除は重労働で、すぐに汗ばんだ。
「ふぅー。休憩〜」
聖堂の前の石段に腰を下ろして私は空を仰ぐ。澄んだ空が木々の合間に見えた。学園の敷地は広く、運動場や訓練場も併設しているらしい。きっとラスは其処で剣技を教えることになる。校舎の建物は重厚な石造で歴史を感じさせた。とはいっても学園としての歴史はまだ浅い。元々は前学園長の資産で、可能性のある子女のためにと提供したと聞いている。その前学園長の娘にあたる女性が今の学園長だ。
聖堂は緑のある公園のような庭園の片隅に建てられていた。遠方からも受け入れる学園は生徒を預かるからか、生徒の息抜きにも気を配って綺麗な庭を作っている。女神様が見守ってくれるという安心感は遠方から来る生徒にとって大切なものでもあるようで、早急に掃除を済ませて欲しいと私は希望を聞いていた。
「とは言っても、中は掃除できても外は限界があるし……ロディに言ったら手伝ってくれるかしら」
石段から腰を上げて私は数歩進む。聖堂の外観を眺めて首を傾けた。どうしても風雨にさらされる外観を綺麗にするのは難しい。高価な色硝子を使った窓から陽が差し込めば中はきっと綺麗に見えるだろう。あの窓だけでも外から拭ければ良いのだけど、ロディの風の魔法で何とかなるだろうか。
ひょこ、とコトが建物の中から顔を出して私の方へ走ってくる。眠ることが多くなってきたコトだけれど、冬は冬眠をするのだろうか。本来なら今は食料を集め回る時期を終えて巣篭もりをしている頃なのかもしれない。そのコトが私の温もりを求めて走ってくるから私は屈んで手を差し出した。
「ねぇ、コトはどう思う? 外から風の魔法で吹いてもらったら、あの色硝子は割れてしまうかしら」
「めぇー」
「でも力加減よね。ロディはそういう繊細な動作も得意そうだし、頼むだけ頼んでみても……でも先生の仕事で忙しいかしら」
「めぇー」
コトは私の言葉の意味が分かっているのかいないのか、絶妙なタイミングで返事をしてくれるけれど私には残念ながらコトの言葉が分からない。いつもなら肩まで走っていくコトが私の手の中で丸くなる。窓も扉も全開だから寒かったかなと思って私はコトを潰さないように抱きしめた。
さく、と落ち葉を踏む音がして私は振り返る。まだ立ち入り禁止ですよ、それとも私は今日から此処の掃除と管理を頼まれた者で、と先に話した方が良いかなと考えながら口を開いた私は其処に立っている夜に目を見開いた。
「……リアム……?」
「……何処かで会ったか?」
怪訝そうな表情を浮かべられた。ロゴリの泉の傍で何かに呼ばれていると別れたリアムだと思うけれど、彼は私を覚えていないのだろう。以前、記憶がなくなっていってしまうと話していたことを思い出す。だから彼が彼であることを忘れないうちに彼は自分の記憶に関することを探して旅をしていると。
私は微かに動揺したけれど、彼からそう聞いていたからそれは最小限で済んだ、と思う。私は彼に約束した。彼が覚えていなくても、私が覚えている約束。私が覚えていると言った、あの日の言葉を嘘にしないために。
「私はライラ。あなたはリアム。あなたが教えてくれたあなたの名前よ。私、あなたに何度も助けてもらったわ。大きな街で人売りに拐われそうになった時も、道端で獣と睨み合っていた時も、神様の振りをした魔物に踏み殺されそうになっていた時も。私は覚えてる。あなたが忘れてしまっても」
リアムは眉を顰めるように目を細めた。警戒されているのだろうと思って私は苦笑を零した。私のことを忘れてしまったならそうだろうと思う。一方的に私が助けられたと嘘を言っている可能性だってあると思うだろう。
「あなた、私の歌を聞いてくれたわ。もう一度聞きたいって言ってくれた。歌は覚えてないかしら」
私は数フレーズを音に乗せる。リアムの宵の空と同じ藍色の目が驚きに開かれた。私は安心して微笑む。
「覚えてくれてたのね」
「いや……何だか懐かしい気がして」
あれから数ヶ月しか経ってないのに随分と長い時間が経ったような気がするのは私も同じだった。私の手の中からコトが飛び出してリアムに近寄る。コトのくりっとした目を見てリアムはまた顔を顰めた。
「その子のことも覚えてる? あなたの使い魔だったけどって、あなたが教えてくれたのよ。今は私と一緒に来てくれてるの」
「お前……そうか、何となく覚えがある。歌うたいの、娘。あんたが」
そう、と私は頷いた。
「ライラよ。また会えて嬉しいわ、リアム。どうして此処に?」
リアムはコトから私に視線を戻した。感情のよく見えない目だった。夜のような黒髪の間から私をじっと見つめる。それから口を開いた。
「オレは此処の用心棒だ」




