1 スノーファイの街へ向かってですが
「ハンナ、おまえの不安は今朝、解消された。此処を気にかけてくれてありがとう。皆を心配してくれてありがとう。今度はおまえが進み出す番だ。何処へ行っても此処はおまえの家だから、安心して行っておいで」
リカルドが優しく微笑んでハンナに言った。魔女が来る、と怯えていたハンナはだから自分が守らないといけない、だから此処を出てはいけないと震えていた。魔女と呼んでいた夫人はもう来ない。彼女を留まらせる理由はない。
「おまえは魔力が強い。それで悩んできたことも多かった筈だ。おまえの行く寄宿学校はそういった子たちが集まる場所だから、色々学んでくると良い。勿論、長期休暇の時には帰っておいで。手紙も手が空くようなら待っている。多くを学び、身につけ、それでもおまえにやりたいことが見つからなかったならこの院の運営を手伝ってくれれば良い」
「お部屋の掃除は任せて」
「いつ帰ってきても問題ないから」
ミアとリナがハンナに言う。ハンナは視線を伏せた。
「もうキミは大分、上手に閉じられるようになったよ。学校に行ったって大丈夫だ」
ロディがそっと手を差し出すように口を開いた。ハンナがロディを見、それから私を見る。私も微笑んで頷いてみせる。
「貴女なら大丈夫、ハンナ。ちゃんと送るから、一緒に行きましょう」
ハンナも微笑んで小さく頷いた。
それから院ではハンナを送り出す会が開かれ、ハンナは荷物を纏め、翌日には出発した。リカルドから入学許可証を受け取り、ハンナは馬車に乗る。院の子たち全員で見送りをしてくれる手にハンナも手を振り返した。私も手を振り、フォーワイトの院を後にする。
「シクスタット学園……へぇ、ボクでも知ってるところだ。本当に魔力が強くないと入れないんだよ。貴賎も貧富も問わない。主に魔術師を育成する教育機関なんだけど、魔力が高い者が誰でも魔法使いが天職ではないから、体術も武術も剣術も商売のことだって幅広く学ぶんだ。大体は男子だけの学校なんだけど、此処は特別。女の子だけの学校なんだ」
貴族の令嬢もいるからね、とロディは付け加えて話す。私とハンナはきょとんとしてどうして貴族の令嬢もいると女の子だけの学校になるのかと首を傾げた。ラスが御者台で手綱を握りながら笑った。
「貴族の令嬢ってのはね、隠されて育てられるんだってさ。顔どころか着ているドレスの色さえ外からじゃ判らない。選ばれた男しか令嬢とはお近づきになれないってのは、どうも貴族たちの中では大事なことらしいんだよ。それに大事な娘を目の届かない寄宿学校に入れるんだ。間違いがあっちゃいけないのさ」
「間違い……?」
ハンナと私はまだ首を傾げていた。嫁がせる前に令嬢が恋を覚えると都合が悪い人がいるんだ、とロディが続ける。まぁ、と私は驚いて目を丸くした。
「恋は素敵なものだって、父も母も言っていたわ。恋をして私の両親は結ばれたのに」
「素敵なものだよ。でもね、お互いが好きでも結ばれない人もいる。自由な恋ができないなら、自由があるなんて知らない方が良いと考えることもできる。知った後に知りたくなかったと言われても忘れさせてやることはできない。その自由のなさは男だろうが女だろうが関係ないけど、でもそうだね、令嬢は選択肢が少ないかもしれないね」
ロディは私を宥めるように答えた。私はリカルドの話を思い出す。
──これだけ様々な“適性”が診断され自分の長所をあらかじめ知ることができる世の中で、女性も自分の好きな職につけるようになってきた世の中で、令嬢は未だに人形のように扱われる。
ロディも嫁がせる前、と表現した。それはつまり、令嬢には何も権利がないという意味なのではないかと思って私は目を伏せる。そんな顔しないで、とロディが私に微笑んだ。
「それを少しでも払拭しようと門戸を開いたのがシクスタット学園だ。女性だけに入学許可を出すことで貴賎も貧富の差もなく受け入れる。ただし、現状は魔力が強い者だけ。でも優秀な研究者や冒険者を輩出している名門校として知られるようになった。当然、指導する側も優秀な人だらけだろう。
ハンナ、そういう場所へキミは行く。キミは何になるんだろうね。リカルドはキミが何になりたいと思うのか、それを聞かせてもらうことを楽しみにしているんだと思うよ」
ハンナはロディの顔を見て頷いた。頬が緊張しているけれど、大丈夫、と私も笑う。
「あなたは自分で大切なことを考えて判断できるもの。新しい場所でも大丈夫」
「そろそろスノーファイだよ」
ラスの言葉に私は幌から顔を出して外を眺める。まだ馬車道を進んでいて街は遠くに見える程度だけれど、確かに街並みが見えた。ヤギニカくらいの規模と聞いていた通り、大きな街のようだ。ハンナが行く学校もこの街にある。
「大きな街!」
思わず声をあげた私にラスが笑う。護衛として外を歩いているセシルが目を細めるのをラス越しに見て私はセシルに声をかけた。嵐のような灰色の目を私に向けてセシルは微笑んだ。
「何でもないよ、お姉さん。ただ、ちょっと気になることがあるくらいかな」
「気になること?」
「うん──ねぇ、学校に送る前に買い物、済ませておいた方が良いと思うけど。何か必要なものとかないの」
セシルが全員に尋ねた。ある、とロディが幌から顔を出した。
「宝石を見ておきたい。ラス、寄ってくれるかい」
「あぁ、言ってたね。寄ってこう」
馬車はスノーファイの街へ向けて確実に歩みを進める。私はセシルの言う気になること、が何か気になったが訊く機会を逃したまま街が近づくのを見ていた。