21 救出劇ですが
「で、でも、本当に、ホブワラン夫人が?」
森の夜道を行きながら私はロディともセシルともどちらにも限定せずに尋ねる。答えてくれればどちらでも良かった。
「そうセシルが聞いたなら間違いないだろう」
ロディがしんがりを務めながら答えてくれた。先頭を行くセシルは振り向かないけれど間違いないよと返す。
「お姉さんは僕の魔物使いとしての“適性”を疑わないよね」
「疑ってるわけじゃないの。でもあの噂が本当だったのかと思うと、残念で」
クララの家に来た後妻が武器商人として暗躍している噂。それが明るみに出れば院の援助は打ち切られるのではないだろうか。夫人と深く関わったリカルドは、クララは、どうなるだろう。
「仕方ないよ。夫人は幼い。どれだけ大人の振りをしていたってね」
ロディが諭すように言う。それ以上言っても仕方がないことなのは私にも解るから、口を噤んだ。
セシルが動物から聞いたというのはクララの継母にあたるホブワラン夫人がやはり武器商人として武器を扱う人と交流があること、褒められたことではないと自覚があるのか人目を避けて取引を行っていること、その仲間に命じてクララを連れ出すために魔法陣の描かれた獣皮紙で小火騒ぎを起こしたことだった。
クララは小火に気づいたものの、外へ出たところを拘束された。その時の物音を聞きつけてリカルドが外へ出てクララを追い、小火には気づかなかった。小火自体はロディが気づいて消したとはいえ、危険なことだ。仲間がいつ大きな火が見えないことで戻ってこないとも限らない。だからロディはラスに残って欲しがった。
ロディは凄いし、ひとりで行っても対処できるのかもしれない。でもラスが心配していたから私はつい一緒に行くなんて口走っていて、セシルがついてきてくれると言ってくれた。ロディも解っているのだろうか。だから止めなかったし、拒否もしなかった。ロディが汲んだのはラスの気持ちなのだろう。
「そろそろだ。周りに気をつけて。音を鳴らさないように」
セシルがそう指示し、私とロディは身を屈めた。木立の向こうに時折小さな灯りが見える気がする。周囲に見張りがいないことを確認しながら少しずつ近づけば、クララとリカルドが二人並んで後ろ手に縛られ地面に転がされているのが目に入った。
「──!」
「お姉さん、動かないで。気づかれる」
思わず反応した私を制するようにセシルが小さく、けれど鋭い声で警告する。私はぐっと堪え、茂みを揺らさないように気をつけた。ロディも私の後ろについて転がされている二人を見つめた。
眼光鋭い、屈強な体の男性が二人を見張っている。夫人の姿は見えない。此処とは違う場所にいるのだろうか。私たちは周囲を見回した。夫人がいそうな場所が何処かにあると思ったのだが、屈強な男の手がクララに伸びるのを見て私は思わず立ち上がっていた。
「やめて!」
「やめろ!」
リカルドも同時に叫ぶ。リカルドは抵抗したのか顔に痣を作っていた。
知らない人の、悪意ある手に触られる恐怖を私だって知っている。売られそうになる恐怖だって。何度も彼女に味わわせたくない。見つかったって、それは譲れなかった。
私は茂みを掻き分けてクララの近くへ走った。屈強な体格をした男性が棍棒を構えて私を見るけれど、明らかに非力な私を見て拍子抜けしたように笑った。クララは泣いている。可哀想なくらい震える体を抱きしめて私は呼びかけた。
「クララ、大丈夫、大丈夫だから」
「ラ、イラ、さん……?」
ランプの灯りだけでもクララは綺麗だった。涙に濡れた目で私を見上げ、安堵したのかまた涙が溢れてくる。
「ライラさん! 後ろ!」
リカルドの声に反応して振り返った私の目に、棍棒を振り上げた男の勝利を確信した顔が映る。けれどその顔目掛けて水の球が飛び、男は森の中で頭だけ水に包まれ息ができなくなった。口からごぼごぼと空気の泡が漏れるのに水の球は崩れない。その球が飛んできた方向を見て私は絶句した。
「ロディ……」
怒りのあまりか表情の消えたロディが男に杖を向けている。十中八九、この水の球はロディの魔法なのだろうけれど、固く引き結んだ唇に怒りが滲んでいた。
「ロ、ロディ! 死んでしまうわ!」
「死んだって良いじゃないかこんなヤツ。キミを傷つけようとした」
低い声が答えてくれるけれど、本当にロディの声なのか自信が持てなかった。固く引き結んだ唇が微かに動いたのは見て取れたし、ロディに対して呼びかけたのだから返事をしてくれるのはロディしかいない。それなのに、見たこともないようなロディの表情に、私は恐怖を覚える。
「駄目! この人を死なせたら、貴方も傷つく!」
「!」
ロディの杖を握る手に触れたのはセシルだった。ロディが驚いたようにセシルへ視線を向ける。セシルは真剣な表情でかぶりを振った。
「お姉さんは本気で言ってる。誰かを傷つけたら、傷つけた方だって痛いことを知ってる人の言葉だ。あんたにだって、届いてるよね」
男が膝をついて地面にくずおれる。息を呑んで男からまたロディに視線を移す私に、ロディは一瞬顔を顰めたように見えたけれど杖をひとつ振った。男の顔にまとわりついていた水の球は弾けて地面に染みを作った。男は咳き込んでいる。けれど立ち上がれはしないようで、その背にセシルが駆け寄って馬乗りになると素早く男の腕を掴み上げた。
「許したわけじゃないんだよ」
天使のように微笑んで、セシルはその腕を人の体では無理な方へねじ曲げた。苦しげな悲鳴に続いて、ごき、と骨が軋む音も聞こえてきた。腕の中でクララが震える。きっと彼女にも聞こえたのだと思う。
「脚も折っておく? 腕を折られただけで消える戦意なら良いんだけど」
「や、やめて、セシル……それ以上は、十分、だから」
「そう? お姉さんがそう言うならやめるけど、良かったね、おじさん。本当なら僕も殺しておきたいと思ってるよ」
痛みに呻いていて聞こえているのかは判らないけれど、その殺気は伝わったのかもしれない。絶望に彩られた顔はもう抵抗する意思を見せなかった。セシルはリカルドとクララの腕を縛る縄をナイフで解き、ロディは頭を振っていた。
「すまない。我を失った。怪我はないかい?」
「大丈夫。その、ロディ、セシル……ありがとう」
色んな想いを込めたその言葉に二人はきょとんとして、ロディは決まり悪そうに、セシルは天使のように微笑みながらも、二人とも私から目を逸らした。
「まぁ、まぁまぁ、皆さんこんな夜更けにこんなところでどうしたのかしら」
場違いなほど可憐な声に、私はハッと顔を上げて声がした方を向く。木立の奥からホブワラン夫人が扇を広げ、表情を隠しながら現れた。見張りをしていた男と同じくらい屈強な体格の男性を何人も引き連れている。皆それぞれに武器を構えていて、油断なくこちらを見ているようだ。
「うちの義娘がご迷惑をおかけしたようですわね。リカルド様はその子を追って此処までいらしたとか。お可哀想に。二人とも此処で悲恋の物語を紡ぐおつもりかしら。よろしくてよ。どうせ近々、この場所は捨てようと思ってましたの。冒険者の方々にもどうぞ、華を添えて頂きますよう」
扇の向こう、目元しか見えないのにたっぷりと含まれた毒に私は息が詰まる思いがした。夫人はもう何も隠すつもりがないようだ。ロゴリで嗅いだ毒花の香りが充満した洞窟と同じような息苦しさが漂っている気がした。
「さぁ、実験台になって頂きますわ」
細められた目に、背筋を冷たいものが走っていった。