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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
5章 美しの毒
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17 夫人が訪れたのですが


 お客様をお迎えするのだ、という雰囲気が満ちていて院は朝からそわそわとしている。私は怯え切ったハンナにぴったりと張り付かれ寄り添っていて、今日になってもロディとは話す機会を持てないままだった。


 クララは今のところ、いつも通りに見えた。リカルドもクララを気にかけたように視線を向け、なるべく近くにいるようだ。私はハンナを宥めながら掃除に炊事に洗濯にと皆を手伝った。


 今日のためにリカルドが用意したおろしたての服を皆それぞれに着て、いよいよお客様を迎える準備を整えた。院の扉の前でずらりと並んで歓迎を示す。


 フィンは髪の毛を気にし、ミアとリナは二人でお互いの髪を三つ編みにし直している。リンドは関心がなさそうな顔をしているが、落ち着かないのか頻繁に腕を組み直した。ミリーとスワインはクララの傍にいて、クララは二人を気にかけながらも夫人の乗った馬車が来るのを待つように視線を門の方へと向けている。


 私はハンナがぴったりとくっついてくるのを宥めるようにしながら不安な思いで門を見ていた。馬車の車輪の音はまだ聞こえない。けれど特別行けないという連絡もないから、きっと夫人は来るのだろう。


 ロディとラス、セシルは扉の傍に立っている。三人とも特別残りたいと話していないけれど、私の意を汲んで今日まで残ってくれている。私はそれにもお礼を言えていない。


 そうこうしているうちにガラガラと車輪の音が聞こえてきた。ハッとする私にハンナがぎゅっと縋り付く。大丈夫、と私はハンナに微笑んでみせる。そうしてもハンナには私の不安な胸の内は聞こえてしまっているかもしれないけれど。


 御者台から従者が降りて門を開く。御者が馬を操って馬車を進め、門を閉じた従者がまた御者台に乗り込み、馬車は院の前までやってきた。


「ようこそおいでくださいました、ホブワラン夫人。お待ちしておりました」


 リカルドが洗練されたお辞儀を披露した。馬車の窓から顔を見せた華奢な、少女と言っても差し支え無さそうな夫人は扇を開いて顔を隠しながらも可憐に笑んだ。綺麗な人だと、それだけでも分かる。けれどクララのような儚さはない。大輪の花のような華やかさがある人だった。


「ご機嫌よう、リカルド様。遅くなってごめんなさいね。スノーファイの市で引き止められてしまって」


 構いません、とリカルドは答える。夫人はまだクララに気づいていないようだ。子どもたちの様子なんて全く気にかけていないようで私の気持ちは沈んだ。一頻りリカルドと話してやっと、夫人は子どもたちへ目を向ける。


「まぁ、今年は随分と子どもたちも増えて……」


 夫人の目がクララに止まった。驚きに見開かれる。扇に隠されて表情の全ては見えないけれど、その驚愕は何を意味するのだろう。固唾を飲んで見守る私に夫人は見開いた目を細めた。嬉しそうに見えた。


「まぁ、まぁまぁ、クララ!」


「お、かあ、さま」


 クララが何とか声を絞り出したように応える。まだ夫人のこの反応だけでは決めかねているのだろうと思った。再会を喜んでいるようではあるものの、安堵したようにも見えない。


「あなたを乗せた馬車が襲われたと聞いて心配していたんですよ。まさかこんなところでお世話になっているだなんて」


「まさに人売りに馬車を襲撃され、そのまま競売にかけられていましたよ。冒険者の方がいなければ今頃どうなっていたか」


 クララの返答を待たずにリカルドが答える。私にはそれがクララを庇ったように見えた。そう、と夫人は視線をリカルドへ向ける。ドキドキしそうなほどの綺麗な流し目に、けれどリカルドは心を動かされた様子はない。


「冒険者の方々のおかげなのですね。良かったわね、クララ。

 けれどリカルド様、この子は箱入りでほとんど何もできませんの。うちの義娘(ぎじょう)がご迷惑をおかけしていませんか」


「いいえ。失敗もしますがとてもよく働いてくれています。子どもたちにも好かれていますし」


「まぁ、そうですの」


 夫人はまた目を細める。けれど今度は背筋が凍るような表情が見えた気がして私は小さく息を呑んだ。ハンナが身を震わせるのが伝わってくる。


 子どもたちも夫人とクララが親子らしいと察して不安そうにリカルドを見ている。クララと夫人との顔を交互に見る子もいた。


「まぁ良いでしょう。働きぶりを見せて頂けるかしら。この子にもホブワラン家としての責務はありますものね」


 馬車の扉が開いて豪奢なドレスを纏った夫人が降りてきた。リカルドが手を差し出し、夫人がその手に華奢な手を乗せる。お姫様のよう、とは思うし大輪の花のようとも思うけれど、何処か毒を含んだような華やかさを感じた。ロゴリの村で嗅いだ、毒の花のような芳醇さ。美しく香りも良いけれど、周りを蝕む、そんな花。


「案内してくださるかしら、クララ」


「は、はい。おかあさま」


 クララは緊張した面持ちでくるりと振り返ると院の中へ進んだ。子どもたちからの心配そうな目は視界に入っていないのか、クララも夫人も二人だけで進んでいった。ミアとリナが顔を見合わせ。手伝おうとばかりにすぐに駆け出した。それにフィンも続く。リンドは顔をしかめ、ミリーとスワインはその場に立ち尽くす。ラスは私を見、私はリカルドを見た。ぎゅっとハンナが私の服を掴んで握りしめる。


「あの人を、助けてあげて」


 ハンナが私に言う。砂色の髪の間から覗く黒い目は切実だった。怯えているけれど、それ以上に助けを求めている。私が彼女の重ねて見る天使様なら良いのに。それなら簡単に助けてあげられるのかもしれない。


「できる限りのことをするわ」


 私はそう言ってハンナに向かって笑ってみせる。子どもたちの後を追って私も院に舞い戻った。中からは早速カップを落とす音が聞こえてきていて、緊張したクララが取り落としたのだろうとことが窺われた。


 ソファに座る夫人に会釈をして私は食堂へ向かう。ミアやリナがクララを宥め、落としたカップをフィンが拾っていた。クララは可哀想なくらい震えている。


 足音を聞きつけて顔を上げたクララが私を見ると、彼女の綺麗な目から涙が零れ落ちたのだった。



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