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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
5章 美しの毒

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14 怒りの矛先ですが


 クララの失敗は収まらず、使われる食器は木製の物に変わり、掃除はひとりでさせず、子どもたちはクララの扱いが上手くなった。最早どちらが年上か分からないほどクララを気遣い、世話を焼く。フィンはクララが失敗しても笑い飛ばした。ミリーはスワインの面倒を見るようにクララを気にかけた。リンドの口数は少ないものの無言でクララを手伝うことが多い。ミアとリナは見守るようにクララに助言をし、スワインはミリー以外に初めてクララと手を繋いだ。


 けれどハンナはクララには近づかなかった。ロディとおまじないを練習する時間の方が長かったしクララよりも私といることを選んだ。クララの周りにはいつも子どもたちがいたから近づきづらかったのもあるのかもしれない。私はそう思ってあまり気にしていなかった。


「あなたの傍、とても落ち着くの。おまじないが上手くいかなくてもあなたからは歌が聴こえるから。ずっと聴いていたいくらい」


 セシルがいると怯えた様子は見せるものの、ハンナは私の近くに来てはそう言う。別に何もしていない私はどうしたものかと思うけれど、ハンナがそう感じるならなるべくそのままでいたいと思った。


 ハンナは引っ込み思案なところがあるけれど、新しく来た子たちとは交流も少なからずある。リカルドのする畑仕事を一緒に手伝い、それを手伝うフィンやリンドともクララは話せるようになっていた。ミリーやスワインとは生活に必要な最低限の会話だけではあるものの話すことができている。ミアやリナとは元々長く過ごしていることもあって問題なさそうだ。どうしてクララだけ、ハンナは避けるのだろう。


「ハンナ、クララとはお話しづらい?」


 ロディとの練習を終えて畑仕事を手伝いに出てきてくれたハンナと今日の夕飯に必要な分を収穫しながら私は尋ねる。なるべく何でもなく聞こえるように尋ねれば、ハンナは少し身を固くしたけれど小さく頷いた。


「あの人が一番、怒ってるから」


「怒ってる?」


 怒り、とクララは最もかけ離れているように思えて私は意外に感じた。けれどハンナが言うならそうなのだろう。声が聞こえると、彼女が言うなら。


「魔女とは違う怒り?」


 更に尋ねればハンナは頷いた。


「魔女は周りに怒ってるけど、あの人は違う。フィンとかスワインに近くて、自分に怒ってる。自分のせいだって、凄く、怒ってる」


「自分のせい」


「おーい、呼んだか?」


 自分の名前を聞きつけたらしいフィンがこちらに声をかけてきたけど、私たちは首を横に振った。なんだぁ、とフィンは笑ってまた土を耕し始めた。


「クララがそういう風に考えてるって私には分からなかった。ハンナ、貴女は凄いのね」


「!」


 私がハンナを見て言うとハンナは息を呑んだ。う、あ、としどろもどろになって視線を彷徨わせ、窺うように私を上目遣いで見上げた。


「気持ち悪いって、思わないの……?」


「思わないわ。凄いなって思うだけ。でも貴女は、そう、言われたことがあるのね」


 切ない思いでハンナを見て目を細めれば、ハンナは俯いた。微かに頷いたように見えたから、抱き締めたくなった。でも畑仕事の途中でいきなり抱き締めたらフィンたちがどうしたと驚くだろう。私はぐっと堪えた。


「自分には分からないものをそう思う人も一定数いるのは確かだわ。それはその人たちの感覚だから、それをとやかくも言えない。だから貴女にできるのはそれを言うか言わないかだけ。誰に言うか言わないかを選ぶだけ。その後どんな反応が返ってくるかは、その人次第だから」


 私が言うとハンナは頷いた。ロディも同じことを言っていたと教えてくれる。そう、と私は微笑んだ。


「教えてくれてありがとう。私からは貴女がそう言っていたなんて許可なく誰かに話したりはしないけど、貴女が私を信じて話してくれたんだというのは分かるから、それはきちんとお礼を言うわね。ありがとう」


 ハンナはふるふるとかぶりを振った。そのまま何も言わずに収穫を続けるから、私も言葉を続けることはせずに手を動かした。


 フィンやスワインは、自分に怒っている。同じように、クララも自分のせいだと責めている。ハンナに聞いたそれは言われてみれば解るような気がした。


 フィンは大人に騙されたと話していた。働き口を見つけてやると言われてついていけば人買いに引き渡された。パンを盗む悪事は働いたけれど、それを叱るでもなく親切な振りをして売られたことが彼を傷つけただろう。大人を恨んだだろう。けれど彼はそれ以上に、自分の考えが其処に至らなかったことを責めたような気がした。周りの空気を読んで自分がおどけて雰囲気を盛り上げる子だ。人の失敗を責めるでなく笑い飛ばしてくれるような子だ。他者への怒りが屈折して自分へ向いたとしても不思議はない気がした。


 スワインは姉のミリーに面倒を見てもらっている。声を発さず、指をしゃぶって赤子のように世話を焼いてもらうことで何とか生きている。外界との接触を極力断ち、自分からは関わらない。後妻を迎え、父は前妻との子である二人を捨てた。ミリーは正当に怒りを言葉にできていたが、スワインはそうではない。そしてその弟を見てミリーの怒りも屈折したように見えた。それをスワイン自身が気にしていないとは言い切れない。弟を溺愛に等しく甲斐甲斐しく世話を焼くことでミリーは自分を保っている可能性もある。そうさせたのが自分だと、幼心にスワインが思っていれば。其処から少しでも脱却しようと行動したのが、クララと手を繋ぐことだって、あるのかもしれない。同じ色を感じたからこそ伸ばせた手だって、あるのかも。


 それなら、と私はクララに思いを馳せる。彼女は何に怒ったのだろう。自分自身の何に。此処に来て失敗続きの自分に腹を立てているのはあるだろう。けれど私は彼女から聞いた言葉がずっと引っかかっている。


 ──此処は怒られなくて安心する。


 親切にしてくれてありがとうと笑った彼女の、愛される筈の可愛い笑顔が胸を痛めた。此処へ来る前から彼女にだって何かはあった。彼女も後妻と同じ家で生活し、そしてその人に、売られたかもしれない思いを抱いて過ごしている。それがどれほど胸に重く伸し掛かるものであるかは、私には想像することしかできないけれど。


 怒るに充分な理由ではないかと私は思ったのだった。



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