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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
5章 美しの毒
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13 ご令嬢の努力ですが


「お手伝いしますよ」


「ありがとうございます」


 朝食の後、私が食器を洗っているとクララがやってきて隣に立った。線の細い、儚い印象を与える綺麗なクララに私は何度見ても見惚れてしまう。けれど。


「きゃあ」


 私は見てしまった。つるっとクララの手の中で滑った皿が真っ逆さまに床に落ちてぱりーんと音を立てて割れるのを。その音にリカルドも話をしていたロディやラスが振り返り、何だ何だどうしたどうしたと駆け寄ってくる。


「怪我はしませんでしたか?」


 私が慌てて問いかけるとクララは頷いた。けれどひどく不安そうに怯えた様子で震えている。


「ご、ごめんなさい。私、わたし……」


「怪我がないなら良い。危ないから下がって。ライラさんも動かずそのまま。破片は私が拾いますから」


 リカルドがクララを破片の飛び散っていない場所まで下がらせると自分は屈んで素手で皿の欠片を広拾い集めた。クララは落ち込んだ様子でごめんなさいと俯いて繰り返している。ロディがそっとクララを下から覗き込むようにして視線を合わせた。


「大丈夫だよ、クララ。誰も怪我をしていない。そんなに怯えることはないさ。此処にはキミを心配する人しかいないのだから」


「あ、う……ごめんなさい。私、私、お掃除、してきますね」


 クララは何とか取り繕うように笑うと踵を返して駆けて行ってしまった。私はリカルドやロディ、ラスの顔を見たけれど、誰ひとりとして私と視線を合わせなかった。


 あっちでぱりーん、こっちでがしゃーん、と院は騒がしくなった。子どもたちの悲鳴、クララの悲鳴がそこかしこから聞こえてくる。その度にリカルドや私たちは駆けつけ、一体どうしたことかと確認して後片付けに勤しんだ。遂には。


「もうお手伝いしてくれなくて良いわ」


「あちらで刺繍の準備をして頂戴な」


 ミアとリナに座っているように言われてクララはひどく落ち込んでいた。しゅん、と肩を落としてソファの上で言われた通りに刺繍の準備をする。私はクララが倒した箒の束を片付けながら、クララの様子を気にしていた。


「どうしてあんなに緊張してるのかしら」


 クララは緊張していた。体に余計な力が入ってしまって、それで失敗しているように見えたのだ。ミアとリナは床に溢れたバケツの水を雑巾で拭きながら、お互いに顔を見合わせて私を見上げる。


「お嬢様だからよ」


「慣れないことを上手くしようとしすぎなの」


 言われてなるほどと私は頷いた。屈んで二人に視線を合わせ、よく分かるのね、と素直に感心すると二人はまた顔を見合わせて満更でもなさそうに笑った。


「最初はできなくて当然よ。私たちだってそうだった」


「少しずつできるようになっていけば良いけど、焦っているのね」


「二人はクララにとってもお姉さん、ってことね」


 二人の優しい眼差しに感じたことを口にすれば、二人は驚いたように目を丸くして私を見る。それからふふ、と笑ってそうだったら素敵、と続けた。


「私たちの方が歳下だけど、此処では私たちの方が先輩だから」


「みんなのお姉さんなのね」


 二人はテキパキと後片付けを済ませるとクララのところへ駆け寄った。刺繍を始めれば刺繍はクララも得意なようで二人から感嘆の声をあげさせていた。あれはどうやるの、これはどうするの、と質問されながらひとつずつ丁寧に教える様子は怯えもなくなっていて、私はほっと息をつく。


 クララの刺繍教室はあっという間にミアやリナ以外の子どもたちも虜にし、昼食を挟んでも続いた。昼はすっぽかしたから夕食作りは手伝いたいと言うクララを制して私が厨房に立った。夕飯用に使える食材を並べてメニューを考える私にセシルが近づいてきて無言で手伝い始める。芋の皮を剥き始めたセシルに面食らいながら、私はお礼を言う。セシルは何故かむっとしていた。


「お姉さんはいつまで此処にいるつもりなの」


「え? うーん、とりあえずはハンナの言う魔女が来る日は傍にいてあげたいなって思ってるけど」


「そう。なら僕も此処にいる」


「? うん、ありがとう」


 ハンナはロディとおまじないの練習をしている筈だ。ラスは馬車の馬の世話をしに行っている。ハンナの言う魔女が来るのは数日後だ。それまでは此処に滞在したいと思っているのは私だけでまだ相談もしていない。でもセシルが賛成してくれるというならそれは心強い。


 二人で夕食作りを進め、途中でリカルドが手伝いに来てくれて夕食はまた皆で囲んだ。ハンナも自分から部屋を出て、私の隣に座る。反対隣に座るセシルのことを少し気にしている様子はあったけれど、セシルは何も言わない。ロディとの練習について訊けば、少し表情を和らげて、励ましてくれるから上手くいかなくてもめげずに頑張れていると教えてくれた。


「ロディは教えるのが上手だから、きっとできるようになるわ。がんばってね、ハンナ」


 私が言うとハンナは嬉しそうに頷いたのだった。


「あ、あの、ライラさん」


 夕食を終えて皆が下げた皿を洗っているとクララが朝のように声をかけてきた。


「どうしたの?」


 手を止めずに尋ねれば、クララはあの、ともじもじしていたが思い切ったように顔を上げる。何を言うのか見当もつかなくて私は首を傾げた。


「け、今朝はごめんなさい! かえって手を煩わせてしまって……その、謝りたかったのだけど……行動で返せたらと思っていたら……失敗だらけで……」


 どんどんと声が尻すぼみになっていくクララに、私は息を零すように笑った。


「ミアとリナは、貴女が慣れてないだけだって」


「え? あ、ああ、えっと、実はそんなに家のことってしたことがなかったから……見様見真似でやってみようと思って……」


 皿の泡を落としながら私は頷いた。


「私も最初の頃はお皿を割ったし水の入ったバケツを蹴飛ばした。同じよ。やっていけば貴女にもできるようになるわ。それに貴女の刺繍、とっても凄い! あれも繰り返し続けたからあんなにできるようになったんでしょう? きっと同じことよ」


「ほ、本当?」


「本当」


 顔を上げるクララは安心したように微笑んだ。笑うと美しさは可愛さに姿を変えて、私もつられて微笑んだ。


「此処は怒られなくて安心する。初対面なのに良くしてくれて……ありがとう」


 それはうっかり零してしまった本音なのかもしれない。触れて良いものかも分からなくて私は曖昧に笑う。


「此処にいる子はみんな優しいと思うわ。貴女も含めてね」


 クララは嬉しそうに笑う。花が咲いたみたいな綺麗な笑顔に私は驚いてしまった。こんなに綺麗に笑う人がいるのかと。


「あなたもよ、ライラさん。親切にしてくれて、本当にありがとう」


 そうして笑う健気なクララが、数日後に泣き濡れた夜を過ごす場面に出くわすなんて、私はまだ思ってもいなかった。




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