10 魔女の話ですが
「お母……さん……?」
驚いたのは私だけではなかったようで、ラスも驚愕に目を見開いている。リカルドは神妙に頷き、テーブルに肘をついて両手を組んだ。
「正確には後妻だから継母にあたる。まだクララ嬢とそう歳の変わらない、美しく若い娘です。
クララ嬢のお父上はこの辺りでは名の知れた商人でしてね。前妻とはそれはもう仲睦まじく、羨望の的だった。待望の赤子も産まれ幸せそのものだった。その奥方が、亡くなるまでは」
クララがまだ両の手で歳を数えられるうちに母が亡くなってから父は商売に打ち込むようになった。娘のことは省みず、財を増やし手伝いを増やした。クララは使用人たちに囲まれて過ごし、それでも母からの教えを胸に慎ましく、親切に生きてきた。それの家が変わったのは、父が後妻を迎えてからだ。
「亡き奥方に似ているとお考えのようだった。彼女を迎え入れてあの家は変わった。クララ嬢の父上は亡くなり、実権は後妻の夫人が握った。気に入らない手伝いには暇を出し、自由気ままに過ごし、最近ではあまり良くない噂も耳にする。それでも慈善事業には援助する義務があると知っているから、この院のことも助けてくれる」
直接此処まで来て子どもたちの様子を見ていくのは彼女だけだ、とリカルドは言う。それならハンナが気にするのはその人で間違いないのだろう。誰かに褒めてもらうために、院を助けて賞賛されることを選ぶ人。それを聞いていなければ、私も何て良い人なんだろうと思う。
「ハンナの言うことは表に出ていない面でもあるだけに信用されないだろう。どんなに良くない噂が聞こえてきてもこの院は事実、助けてもらっている。良くない噂で被害を被っていることもない。現状、邪険にはできない」
「良くない噂というのは?」
ロディが静かに尋ねた。話を聞いても驚いた様子を見せないロディは、まるで最初から知っていたかのようだ。
「……武器商人と取引をしていると」
ふん、とセシルが鼻で笑った。物事を軽蔑したような冷たい目でリカルドを見る。嵐のような灰の目に、感情が渦巻いているように見えた。
「それでも、支援の手は切れない?」
「……情けないが」
リカルドは真剣にセシルを見据えた。セシルはくすくすと笑い声を漏らす。
「それって努力が足りないだけなんじゃないの?」
「セシル」
ラスが咎めるような声を出した。ラスが止めたことをリカルドは意外に思ったように一瞬だけ視線をラスへ向けたが、事実だ、と甘んじて受け止める。
「返す言葉もない。手が回らないのは事実だし、もらえる支援は心底ありがたい。ですが、今までは見て見ぬ振りをしていて済んだが、今回はそうもいかない」
「と言うと?」
ロディは楽しむみたいな声で問う。流石にちょっと性格が悪いんじゃないかと私は思ったけれど、リカルドの続ける言葉の方が気になってロディを少し睨むだけに留めた。ロディは気づいたのか気づいていないのか分からない目でリカルドを見つめ続けている。
「クララ嬢を売ったのは、その夫人である可能性が高いからです」
「な……っ」
私は思わず声をあげた。けれど誰もがその可能性には気づいていたみたいに難しい顔をするだけだ。そうでなければ良い、と懸念していたことが当たってしまった。そう言いたげな顔だ。
「クララ嬢は花嫁修行のため、修道院へ向かう途中だったそうです。その手配をしたのは夫人。馬車まで用意して、御者まで用意して。それで道中襲われ、足がつく前に売り捌こうとした連中に他の子どもたち共々競売にかけられた。
彼女はそうは言わないが、きっと自分が売られたことに気づいている。不幸な事故ではなく、仕組まれた筋書きだったと感づいている」
「それでも此処で保護を?」
ロディは尚も尋ねる。他にも色々と訊きたいことが私にもあるけれど、口を出すタイミングが分からなくて二人のやりとりを見守った。
「仮宿くらいには、なれるでしょうから」
「仮宿、ねぇ」
ロディは何かを含めた言い方をしたけれどそれ以上は追求しなかった。
「次のその夫人とやらが来るのは?」
別の質問を口にしてロディはリカルドに答えを促す。顎に手を当てて考え、リカルドは五日後、と返した。
「スノーファイで不要になった品を市民が売り買いする市が開かれるんです。それを回って、まだ使えるものをある程度見繕って此処へ来る予定になっているから、それが直近だと」
ふぅん、とロディは考えこむ。それからそれには答えを返さず、私を見るとハンナのところへ行こうか、と声をかけた。私は突然のことにきょとんとして目を丸くする。ハンナの? と返せば、そうだよ、とロディは微笑んだ。
「聞こえすぎるという話だから、少しだけ閉じるおまじないを教えてあげようと思ってね」
まぁ、耳を塞ぐ程度のものでしかないけれど、とロディは言う。それでもきっとハンナにとっては意味のあるものになる筈だ、と私は思って頷いた。
「この話は此処で終わり。子どもたちの耳に入らないように、勿論クララ嬢の耳にも入らないように、各自気をつけるんだよ。それじゃあ行こうか、ライラ」
ロディは立ち上がって言いながら異論を返さない面々に背を向けて片手をひらひらと振る。私はロディの背と食堂に残る皆とを見たが、ラスが呆れたような顔で私に行くよう見振りで示した。またひとりで判って、といった顔だったけどロディの思惑が解っていないのは私だけではないみたいで少し安心した。
私もくるりと背を向けると食堂を後にしたのだった。