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12 路地での攻防ですが


 その人には見覚えがあった。ビレ村の森にある泉で初めて私の歌を聞いてまた聞きたい、と言ってくれたあの、夜のような人だ。


「あなたは……」


 私は言いかけてやめた。宵が訪れる空と同じに見えた彼の藍色の切れ長の目には今、悪鬼の光が宿っているように見えて言葉を失ってしまったのだ。艶やかな黒髪の間から覗く血色の怨念にも似たそれは、咬みついても良い獲物を見つけた獣に似ていた。


「な、何だお前……!」


 青年たちが怯えの色を隠せずに怒鳴った。笑顔を崩さなかったあの彼でさえ、眉根を寄せて逃げ腰になっている。


「それは何だ……!」


 ほぉ、と夜のような人は笑った。


「知っているのか、これを」


「ほ、本来それは争いを好まないはず……!」


 そうか、と夜のような人は冷たい声で返した。興味を失ったような声に聞こえて、ぞっとした私の背筋が粟立つ。面白く眺めていた蟻の行列が突然つまらないものに思えて関心を失った子どものような声だった。


「お前もその程度か」


 夜のような人が黒い外套の下から金属の音をさせて剣を抜いた動作を、私は彼の後ろから見ていた。まさか、と抜かれる剣に視線を奪われながら思う。まさか、それで。


「役立たずが」


 振り下ろされるそれを見た瞬間、体が動いていた。


「やめて!」


 夜のような人の腰にしがみつきながら私は叫んでいた。助けて、と発した時よりも大きな声で。


 私に止められるような力はない。それでも彼は動きを止めた。硬直したように体を強張らせて今まさに振り下ろさんとした剣を握った格好のまま。


「逃げて!」


 気づけばそう続けていた。私を売ろうとした人たちに、逃げてと叫ぶ。自分でもどうしてそんなことをしているか分からなかった。怖いしこの後どうしようなんて考えても頭は真っ白で何も浮かんでこない。手も足も震えている気がする。それでも。


 それでも、この夜のような人が、目の前で誰かを殺める姿なんて見たくなかった。

 私の歌を初めて聞いてくれた人の、また聞きたいと言ってくれた人の、そんな姿を見たくなかった。


 そんな思いだけで動いたものだから、その振り上げられた剣が私に向くことを考えたら怖くて仕方がない。恐怖で私はぎゅっと両目をつむる。誰でも良いから咬みつきたい気分だったら、私は間違いなく格好の餌食だろうから。


 風がふわりと舞う。私の髪と彼の黒い外套を揺らす風に、彼にしがみついた時に潰されまいと離れたふさふさ尻尾の小動物が私の肩を走って頬ずりする柔らかさに、私は恐る恐る目を開いた。目の前でふさふさ尻尾が揺れていて、視界の隅には夜の外套が呼吸と共に動いていて、私は一瞬とてもかけがえのないものに触れている気がして目の前がじわりと滲むのを感じた。


「……あんた、いつまでそうしてるんだ」


「ご、ごめんなさい」


 問われて、私は手を離した。けれど彼にもたれるようにしがみつくことで保っていた私の脚は自力では私を支えられなくて、膝から崩れるように地面に座り込んでしまう。腰が抜けたのだと気付くのにしばらくかかった。


「斬らなくて良かったのか」


 更に問われて、私は小さく頷いた。彼は横目に私の返答を確認して剣を鞘におさめる。私を切る気はないのかもしれない、と思って私は思い切って尋ねた。


「あの……」


 数日前にかけたのと同じ言葉を選んで声をかけた私に、彼は体の向きを変えて顔を向けた。宵の空と同じ藍色の切れ長の目に血色の恩讐は見えず、私は内心でホッと胸を撫で下ろす。すぐに何かのきっかけで再燃するものかもしれないけど、今は話を聞いてくれそうだったから。


「助けてくれてありがとうございました。でも、どうして、此処に?」


 助けるつもりが彼にあったかは分からないけど、結果的に助かったのだからお礼は言うべきだと思って伝えてから自分の疑問も尋ねた。あの日別れてから偶然進路が同じで、偶然滞在していたのか、偶然通りがかっただけなのかは分からない。それでもビレ村しか知らない私にとって知らない人しかいないはずのこの街で彼が助けてくれたことは、とんでもない偶然のような気がした。


 彼は無言で私を指差した。突然人を指差すなんて、と驚いたけれど、彼が指差したのはふさふさ尻尾の小動物のようだった。小動物が、めぇー、と小さく高い声で鳴く。


「そうだ、さっきこの子、低い声で喋って……」


 私がハッとして小動物を見ても、きょとんとした顔で小動物はめぇーと鳴くだけだった。またあの低い男性の声で話し始めるのではと思う私に、彼が言った。


「そいつが呼んだ。あんたのピンチだってな」


 彼と小動物を交互に見たけど私には理解ができなくて彼を見上げた。困った顔をしているだろう私を見て、彼は息をつく。


「そいつはオレの使い魔だった。今はあんたの方が気に入ってるらしい」


 彼が言葉を続けると、肯定するように小動物はめぇーと鳴く。まるで相槌で、私は少し笑ってしまった。


「あなたは魔物使いさんの適性もあるってことですか?」


 私が尋ねると彼は少し思い出すように遠くを見るように視線を外した。そうなんだろう、と曖昧な返事がやってきて私は首を傾げる。


「オレには記憶がほとんどない。それを探してあちこち歩いているが、分かるものは少ない。得るものよりも失っていく記憶の方が多い気がするくらいだ」


 感情のこもらない声に、逆に私の胸が痛んだ。思わず眉根を寄せた私に、彼は怪訝そうな表情を浮かべた。


「記憶、なくなっていってしまうんですか?」


 私は魔術には詳しくないけれど、そういう類の魔術もあると聞いたことがある。人を助ける魔法もあれば、人を苦しめる魔法もある。そしてそういう魔法は、人が人に対して向ける悲しい魔法だとも。


「……とある街に数日滞在しようと思っていたのに、気づいたら知らない場所にいたこともある。いつかオレはオレを忘れてしまうんだろう。いずれは、忘れることさえ忘れて、オレがオレであることも忘れて」


「名前」


 それ以上言ったら本当になってしまう気がして、私は強引に彼の言葉を遮った。彼は魔力のない私の歌に疑問を抱いた時のように驚きからか目を見開いた。


「名前、教えてください。私はライラ。あなたの名前は何ですか? 私が覚えています。またどこかで会ったなら、お話しましょう。そしてまた、私の歌を聞いてくれませんか?」


 まだ腰が抜けたまま立てないから格好は全然つかないのだけど、私は真剣に彼を見上げてお願いした。風が優しく吹いて私達の髪の毛をあの日のように揺らしていく。まだ数日しか経っていないのに色々なことが起こりすぎて遠い昔のようにさえ思えた。


 まだ二回しか会っていないような私達だから、彼は何を言ってるんだろうと不可解に思っているかもしれない。それでも私にとっては初めて歌を聞いてまた聞きたいと言ってくれた人だから、たとえ検証のためであってもその場でもう一度歌ってと言ってくれた人だから。そんな人がそんな魔法に苦しんでいるのだとするなら、私にできることはしたいと思ってしまう。


「……オレは、リアム」


 彼がかすれた声で教えてくれる。私はホッとして笑った。


「ありがとう」


 私がお礼を言うと、彼も少し頬を緩めたように見えた。


「……次会った時じゃないと、あんたの歌は聞けないのか?」


 あはは、と私は思わず声に出して笑っていた。


「そんな風に言ってもらえるなんて! 此処で歌っても良いのかしら」


 ああ、とリアムは頷いた。私は地面に座り込んだまま、何が良いかしらと尋ねる。聴衆は彼だけだ。彼の聞きたいと思ってくれる歌を歌いたい。


「この前聞いたのと同じものを」


 リアムの希望を受けて、私は歌い始めた。此処は建物が多くてあの泉のように音は抜けていかないけれど、聞いてくれる彼はあの時のように立っている。風が優しく吹いて私の歌を空へ運んでくれているような気がして、私は目を閉じた。


 この街で初めてリクエストを受けた私は、たったひとりの聴衆の前で歌姫としての一歩を踏み出したのだった。




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