7 味方ですが
砂色の髪から覗く黒い目は怯えていて、私は感じていた不気味さが鳴りを潜めるのを覚えた。見も知らぬ相手に忠告してくれる彼女はひとりでその恐怖と戦っている。そして叶うならばときっと、味方を欲している。
「詳しく教えてもらえる?」
だが彼女は怯えて部屋に半歩、足を戻してしまう。慌てて近づこうとして、私はぐっと堪えた。性急に近づき過ぎては恐らく駄目だ。急に近づかれれば飛びかかられたのと同じだ。怖がらせてしまうだろう。私はその場から動かず、ゆっくりと話しかけた。
「貴女が、ハンナ?」
「……うん」
小さな返答があった。まだ話してくれようとはするその姿勢に小さく胸を撫で下ろし、私は世間話をするように、明日の天気はどうなるだろうかと口にするのと同じトーンで言葉を続けた。
「どうして私に教えてくれるの?」
私のことをハンナだってよく知らない筈だ。魔女が来る、と言うなら魔女は外からやって来るのだろう。この中にはいない。外から来た私が魔女の一味じゃない保証はない。それなのに。
「あなたは……天使様、でしょう?」
「天使……?」
思いがけない返答に私は目を丸くした。違うの? とハンナは怯えた声で問うてくる。何と答えたものかと私は考えた。そうと答えれば嘘になるし、違うと言えば彼女は扉を開けたことを後悔してしまいそうな気がした。
「ふわふわの髪に綺麗なお顔だわ。声も綺麗。司祭様が天使様の似姿が描かれた本を見せてくれたことがあるの。あなたはその絵にそっくりなのに」
「貴女の悩んでいることは天使様じゃなければ話せない?」
ハンナは押し黙った。そうというわけでもないけれど、天使様なら話せると思ったのだろう。
「私は残念ながら天使様じゃないの。ただの人。でも天使様に見えたとするならとても嬉しいわ。羽根はないけど、育った村では教会で女神様に歌を歌っていたの。村の人も褒めてくれた。ハンナ、貴女も女神様にお祈りするのが好き?」
「……好き。お祈りしてたら、リカルドが助けてくれたから」
彼女の事情の一欠片に触れた気がして私は、そう、とだけ返した。助けて欲しいと願うほどのことがあって、そして彼女は助け出された。此処へ来た。それは彼女にとってまさしく、女神様の救いだったのだろう。
「この家に来られて良かったと思う?」
「思う。此処では、食べるものが少ないことはあっても困ることはないから。寝る場所もあるし、多少寒くたって雪は入らない。ひとりで凍えていてもリカルドは気づいてくれる。落ち着くまで傍にいてくれる」
「そう。此処が好きなのね」
好き、とハンナは小さい声だがしっかりと答えた。でも、と続けた声が震えていて私は髪しか見えない彼女を見つめ直す。俯いた彼女の砂色の髪は細かく震えていた。
「魔女が乗っ取ろうとしてくるの。此処に来て、わたしたちを殺そうとする」
「ころ……」
物騒な言葉に私は絶句した。それは今起きていることなのか、それとも彼女が此処へ来るきっかけとなったことが思い出されているのか、私には判らない。
「だからわたし、此処を出ていけない。此処にいる時間はまだ短いけど、ミアやリナよりお姉さんだし、新しく来た子たちも小さい子ばかりだから、わたし、わたしが、守らないと」
そっか、と私は微笑んだ。どちらであっても良い。彼女の守りたいと思う気持ちが本物だと私は感じた。大好きな場所だから、恩を感じる場所だから、彼女はなくしたくないと願うのだと。
「私、ただの人間だけど一緒に護衛で来てくれた仲間は腕が立つ冒険者様なのよ。貴女さえもし良ければ、此処を守るために何か力になれることはないか相談させて欲しいのだけど」
「ほ、ほ、ほんと?」
思わずといった様子でハンナが顔を部屋の中から覗かせる。本当よ、と私はハンナに向かって笑む。私がその場から一歩も動いていないことを確かめるとハンナは頷いた。
「し、信じる。助けて」
「助けてあげられるかは判らない。でも、できる限りのことはする。約束するわ。まず、何をすれば良いかしら」
ハンナは口を開き、ぴたりと止めた。階下が騒がしくなったからだ。畑を見ていた子どもたちが戻ってきたのだろう。収穫物を置いたら部屋を案内してあげる、とミアの歌うような声が聞こえて来た。ハンナは表情を強張らせ、慌てて手招きして私を呼んだ。
「入って」
「良いの?」
「良いの、入って」
驚く私に早口で言うとハンナは部屋から出て来て私の手を掴んで引っ張った。連れられるようにして私はハンナの部屋に入る。ぎぃ、と再び軋んだ音をさせながらハンナの部屋の扉が閉まった。がちゃん、と鍵をかけてハンナは一先ずの安堵からか盛大な息を吐く。
私はハンナの部屋を見回した。女の子らしいぬいぐるみや紙人形が置いてある。物は少ないが清潔で整頓された部屋だった。
「ミアやリナの部屋は、もっと可愛いもので一杯よ。魔女が色んな物を持ってきてくれるし、あの二人は遠慮しながらも欲しいものをリカルドにねだるから」
「貴女は違うの?」
「魔女が持って来たものなんて怖くて置けない。魔女はあれでわたしたちの声を聞いているの。此処に新しい子が来たことも、あなたが来たことも、魔女はもう知ってる。近いうちに様子を探りに来る」
言いながらハンナは自分の想像に肩を震わせた。実際に魔女がいるのかそれとも他のことを魔女に見立てて怯えているのか私には判らないけれど、ハンナが嘘を言っているようには見えなかった。彼女の言う魔女は一体どんな存在なのだろう。
「いつ殺そうか、機会を狙ってるの」
「ハンナ、貴女はどうしてそれを知っているの?」
私が疑問をぶつけるとハンナは口を噤んだ。言えない? と私が助け舟を出すとハンナはぷるぷるとかぶりを振った。
「……聞こえるの」
聞こえる、と私は繰り返す。ハンナの怯えに揺れる目が何に怯えているのか私は計りかねた。
「わたしも魔女なのかもしれない。魔女は、わたしを殺そうとしてるのかも」
ハンナの言葉に私は驚き、目を見開いたのだった。