6 ハンナの部屋へですが
そんな風に言われたら断るわけにはいかない、と私は困惑してラスとロディを見やった。キミが打診されている依頼だからキミが決めると良い、と穏やかにロディに言われ、ラスもセシルも不服そうながらもそれが道理とばかりに頷かれてしまっては私は自分で決めるしか無くなってしまった。
断る理由はない。話だけなら、とまずはそれを受け入れた。
「でも、その、理由を聞けるという保証はできません。それはご承知おきくださいね」
リカルドは頬を緩めた。充分です、と言いながら。
「人を見る目はあるつもりなので引き受けて頂いた後のことは心配していません。感謝します」
少なからず重圧を感じ、私は口を噤んだ。リカルドは知ってか知らずか、さて、とロディやラスを見やる。
「ライラさんもこう言ってくれたことだし、今夜は泊まっていかれては如何ですか。報酬の相談もしたい。子どもたちに沢山食べさせてやりたいし、食事は大勢の方が楽しいでしょう」
「やぁ、それは同意だ。ご相伴に与ろう。ラス、セシル、キミたちも良いね?」
ロディの言葉にラスもセシルも頷いた。不満そうではあるが断る理由もない。今から野宿の場所を探すには時間が経ち過ぎている。それに実際まだどんな場所かも判っていないから此処で充分ですさようならとはならないのも現状だ。
「私は食事の準備があるのであまりお相手できないが、院の中は好きに見てもらって結構です。ハンナの部屋は入ってすぐの階段を上がって左に進んで突き当たりにある。頼みます」
馬はこちらに、と自分の馬と馬車の繋ぐところを案内しながらリカルドはロディと一緒に向かった。私とセシルは馬車を降り、ラスとその場に残って再度建物を見上げた。ハンナの部屋はもう人影は揺れず、白いレースの日除けカーテンが微動だにせず佇んでいる。クララは馬車に乗ったままリカルドやロディと一緒に行ってしまったが、ロディと一緒なら怖いこともないだろう。
「子どもたちのための家、ね」
押し黙っていたセシルが口を開いて小さく漏らした。私はセシルを向いたけれど、セシルは肩を竦めると院の正面扉を開いて中へ入っていった。
「ライラ」
セシルの後に続こうとしていた私をラスが呼び止める。振り向いた私はラスの堅い表情を見た。何かを思い詰めたような深刻な顔をしているラスに何と声をかけたものかと言葉を探しているうちにラスが続けた。
「こういう場所、ロディの方が厳しい見方をするから。少し気にかけてあげてほしい。あたしだけじゃ手が足りないかもしれない」
「え」
驚いて目を丸くする私にラスは苦笑するように表情を緩めた。唇を歪めた、気がかりなことがあるようなあまり上手ではない笑い方だった。
「あんたの依頼もあって大変なのは重々承知してるんだけどさ、頼むね」
「え、ええ。できる限りのことはするわ」
「うん、ありがとう」
理由が分からないまま頷けばラスはホッとしたように息を吐いて足を進めた。あたしらも入ろうか、と通り過ぎ様に私の頭を軽く撫でながら。
院は外も古ぼけていたけれど中も古かった。床板はぎしぎしと歩く度に悲鳴をあげ、誰かが通ればすぐに分かりそうだ。正面玄関を入ってすぐ、ホールになっていて二階へ続く階段が螺旋状に伸びている。階段は補強したのかぎしぎしとした音は鳴らず、床板を踏み抜くこともなさそうだ。壁はごく最近に塗り直した跡があるものの、素人が塗ったのか色むらばかりだ。
窓硝子も古くくすみがあるけれど綺麗にしているのか陽の光が入って明るい。雰囲気は明るいためか、怖くはなさそうだった。
私は周りを眺めつつも真っ直ぐにハンナの部屋へ向かった。ラスとセシルはそれぞれ好き勝手に眺め歩いているようで、私とラスが玄関を抜けた後にはもうセシルの姿はなかった。ラスは一階部分を見てから二階を少し眺めると言って別れ、私は階段へ足をかける。二階も明るい陽の光が入っているが、壁はまだ塗り直されていないようで所々で色が剥げていた。
二階は寝室なのか等間隔に部屋が並んでいた。元はどういう目的で建てられたのだろう、と思いながら私は突き当たりの部屋を目指した。二階の床もぎしぎしと音が鳴ったが、一階ほどではない。一階は地面からの湿気が早く床板を腐らせていくのかもしれない。
私はハンナの部屋と思しき扉の前に辿り着いた。固く閉ざされた扉の前で一度深呼吸をする。ハンナはきっと出てはこないだろう。知らない人がいきなりやってきて扉を叩けば私だって閉じこもる。だから今日は、挨拶だけだ。
「こんにちは。リカルドさんに護衛の依頼を受けて新しい子たちとやってきました。いきなり沢山の人が来て驚いたと思うけど、少しの間、お世話になります。私はライラ。どうぞよろしくね」
私は開かない扉に向かって話しかけた。中からは何の音もしない。じっと、息を潜めているのかもしれないと私は思う。此処には色々な事情の子どもたちがいる。ミアやリナにも事情があるのだろう。それならハンナにもきっと、事情がある。それを知らずに入り込むことはできないから、私ができるのは表面的なことだけだ。でも、それを知らないからこそ見せられるものもあるのかもしれない。そう思うから、リカルドは敢えて頼んだのではないか。私はそう思っていた。
「今日はリカルドさんが沢山料理作るって言ってたわ。大勢で食べた方が楽しいって。食事の席で会えるかしら。楽しみにしてるわね。此処へ来る時には皆で歌を歌ってきたの。あなたたちは歌が好きかしら。一緒に歌えたら良いわね」
言っても問題なさそうなことを言い尽くしてしまった私はそれじゃぁ、と中途半端な言葉を残して踵を返した。その時、ぎぃ、と床板と同じ音をさせて扉が開く音がする。信じられない思いで振り返った私の目には、半開きになった扉からそっと顔を覗かせた少女の姿だった。
「気をつけて……この家には魔女が来るの……」
地面を這ってくるように落とされた声は私の元まで辿り着くと、ぞくりと背筋を凍らせた。砂色の髪の間から覗く黒い目が爛々とこちらを見ているのも怖かった。
「魔女……?」
何とか拾った言葉を返すだけで精一杯の私に、ハンナと思しき少女は小さく頷いたのだった。