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私の天職は歌姫のはずですが  作者: 江藤樹里
5章 美しの毒
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3 青年との取引ですが


「あんたは逃げないんだね」


 ラスの声が響いた。他には息遣いしかしなくなった此処で、ラスが誰かに話しかける。私は顔を上げてそちらを見た。ラスはまだ油断なく剣を構えたまま、青年と対峙している。ロディも表情は穏やかだけれど隙を見せない。一方で青年は武器も持たず丸腰の様子だ。それなのに視線は真っ直ぐに揺るぎなくラスを見つめている。


 青年はラスやロディとそう大差はない歳に見えた。その若さで人買いに手を染めていると思うと私は居た堪れない気持ちになる。人がいくらで売買されるかは幸いにも知らない。人を売買する人の気も知らない。けれど何故、そうするのかに興味がないと言えば嘘になる。


「私は先ほど其処の娘を大枚叩いて競り落としたばかりでね」


 青年は静かに口を開いた。私の視界の隅で少女がびくりと肩を震わせる。一際美しい、儚ささえ覚えるような見目の少女だ。見た目で値段がつり上がるならなるほど理屈は分かると私は思う。けれど胸の内はむかむかした。


 ラスも同じなのかわざと音を鳴らして剣を握り直す。そうかい、と言う声は既に怒っていた。


「残念だけどあんたに渡すわけにはいかない。人買いなんてのは真っ当な人間のすることじゃないよ。大金払っちまったんなら命代として尻尾まいて逃げるんだね」


 青年は息をついた。服装は質素だけれど、さらりと音がしそうなほど綺麗な髪から裕福さが窺われる。白いシャツは皺も染みもひとつもなく、靴は日頃から手入れしている様子でぴかぴかだった。


「攫われてきた者、家族に売られた者、様々だろうがおまえたちに問う」


 青年は少し声を張り上げた。ラスを通り越し、売られそうになっていた少年少女たちへ向けた言葉だ。何を言うつもりかと誰もが身を強張らせた。下手なことを言えば、いや、言う前にラスの剣が閃きそうだ。


「此処で助けられて行く宛はあるのか? この者たちはおまえたちを街まで送り届けはするだろうがおまえたちに帰る場所がなければ路頭に迷うのは同じだ。また人売りの手に渡り、違う場所で競りにかけられる。

 もしないなら、私と共においで。人買いの手段しかないのが歯痒いが、私はおまえたちのような者の保護をしている。娘ひとりしか先ほどは出せなかったが、買い手のいない今ならおまえたちに選択権がある。望むなら全員連れて行こう。ただ、経営はギリギリだから自給自足だ。それでも良ければ私と共においで」


 私は目を見開いた。少年少女たちもお互いに顔を見合わせる。ラスは怪訝そうにロディを見、ロディもラスを見ていた。青年の言っていることは至極真っ当に聞こえた。私たちは確かに彼らを一時的に助けはしたけれどずっと面倒を見られるわけでもないし、衣食住を保証できるわけでもない。精々が近くのスノーファイに送り届けるくらいだろう。その後の生活は彼らが何とかするしかない。


 攫われた者なら帰る家もあるだろうと私は思う。けれど、家族に売られた者がいるだなんて思いもしなかった。もしもそうなら帰る場所などある筈もない。


「あ、あんたの言ってること、本当だろうな」


 少年のひとりが声をあげた。勿論、と青年は両掌を見せて笑う。其処に嘘はなさそうに見えて、少年は意を決したように青年を真っ直ぐに見つめた。


「あんた、オレを買わなかったな。それでも良いのか」


「二度は言わんぞ。望むなら全員連れて行く。その後どうするかはおまえたちの自由だ。職を見つけて出るもよし、体調を整えてから故郷へ帰るもよし、そのまま居着いて院の経営を手伝ってくれてもよし。おまえの人生だ。おまえが選べ」


「行く、連れってくれ」


「交渉成立だ」


 青年は勝ち誇ったようにラスを見た。ラスは眉根を寄せる。少年は立ち上がるとストールを私に返して青年のところへ自分の足で進んだ。それにつられるように他の少年少女たちも自分もと声をあげ、立ち上がっては移動する。ただ、美しい少女だけは怯えたように其処を動けないでいる様子だった。


「あなたは、何処か行く場所があるのか?」


 青年は少し迷った様子で少女に声をかける。高貴な少女であることは服装から判るから言葉を選んだようだった。少女は目を逸らして小さな声で修道院へ行く途中だったと言う。その途中で襲われ馬も御者も誰も残らず逃げてしまったと。


「失礼ですが、スノーファイのクララ嬢とお見受けします。今回は突然のこと、驚かれたことでしょう。もし良ければ私のところで休まれてから今後のことを考えられてはいかがですか。あなたを買ったのはあなたを救い出すため。何も悪いようにするつもりはありません」


 え、と少女は顔を上げた。青年は微笑んでみせる。その眼差しが優しくて、私は何となくこの青年が悪い人ではないような気がした。一番に声をあげた少年が不満そうに口を尖らせた。


「オレたちを買わなかったのはそういうことかよ。お嬢様だから真っ先に買ったんだろ」


「当然だ。この世の命は平等だがな、物事には優先順位がある。何に利用されるか判らない令嬢を助ける方が先に決まってる」


「ちぇっ。何が平等だよ」


「それだけ元気ならまずは院の畑を冬に向けて整備してもらう仕事を頼もうか」


 げ、と少年は顔を顰める。


「今のなし、オレ、あんたに助けられて超良かった」


「なら、恩返しに畑仕事を頼もうか」


「えー!」


 あはは、と少年少女たちから笑い声があがった。初対面の青年ともう笑顔のやりとりをしていることに私は驚く。子どもは純粋で自分の味方かどうかの判断には聡い。この短時間でこれだけ懐くなら、やはり悪い人ではないような気がした。


「……あなたは、どうする?」


 私は少女を向いて尋ねた。少女は驚いたように私を見て、青年を見て、自分の手元に視線を落とす。握りしめてしわくちゃになったドレスに答えが書いてあるようにじっと見つめ、やがて思い切ったように顔を上げた。


「わ、たしも、行きます」


 自分の選択に少女は立ち上がり、他の子たちと同様に青年のところまで行った。それを見てラスは剣を鞘に戻し、ロディも警戒を解く。セシルがストールを畳んで私に手を差し出した。


「ありがとう」


 その手を掴んで私はラスとロディの元へ向かう。青年はひとりずつ名前を確認してから指折り何かを数え、つとラスへ視線を向けた。


「誤解があったようだがさっきは正直助かった。こうして全員迎え入れられることになったしな。けどその様子じゃまだ疑っているだろう。其処で取引を持ちかけたいんだが」


 青年は笑った。何かを企んだ顔だ。ラスが警戒しながら何だいと返す。青年は答えた。


「腕の立つおまえたちになら頼める。私たちを無事に送り届けるための護衛をしてほしい」




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