21 指し示された道ですが
「私はまだ、旅を続けようと思います」
旅の継続を口にすればもう戻れない。自分の中で思っているだけのことと、誰かに形にして伝えてしまうことには大きな隔たりがある。一度出た言葉を戻すことはできない。
「といっても勇者が天職なわけではないから、魔王討伐とか、そういうのはいずれ天職の人にお願いすることになるんだと思うけど。誰かにこれを押し付けることになるなら、その誰かは今は間違いなくセシルになってしまうし、けれどセシルも勇者の“適性”はそれなりだと言っていたから私と同じだし。セシルの方が旅慣れているだろうし、自分を守る方法も心得ているだろうから私なんかよりよっぽど危なくないとは思うんですけど」
あなたと契約もしていたし、と私が言うと大蛇は目を細めた。
「私の知らないことがまだまだ沢山あるんだなって、思ったんです。私、考えてみれば地元の村以外のことを知らないし、勇者とか、魔王とか、魔物とか、そういうものも全然知らない。御伽噺の中のものだとさえ思っていました。今も魔王はいるのに。魔物は村を襲うのに。でもそれに対処しようとする人がいて、魔物と心を通わせられる人がいて、襲われた人が望む復讐の声があって、それを受けて立ち上がる人がいて。
分からないことだらけで、何かを判断するにも材料が足りないなって思うんです。人の夢を背負って頑張れるなんて、知らないのに無責任に頑張れるなんて言えない。けど知りもしないで頑張れないなんて投げ出すのは、また違うと思う。
まだ迷うための時間をもらいたいです。選べない私を、許してくれませんか」
大蛇は喋らない。私をじっと見て、何かを覗き込んで確かめるように頭の天辺から足の爪先まで眺め回した。少しばかり居心地の悪さを感じたけれど、私も大蛇を見つめ返した。温度の感じにくい目の奥に大蛇の考えを読み取ろうとしたけれど、何を考えているのかさっぱり分からない。
「選ばないことを選ぶ、それがお前の選択だね、娘」
「……はい」
やっぱりそんなこと駄目だろうか。緊張して喉をごくりと鳴らした私に、大蛇は、良いだろう、と言うと口を開けた。にんまりと笑ったようにも見えて私は目を丸くする。
「は、え、良いんですか」
「何だい、お前が望んだんじゃないか。不服かい」
「い、いいえ。てっきりそんなの駄目と言われるかと思って」
言わないさ、と大蛇は優しい声で返した。慈愛に満ちた温かい声だった。
「誰に言われたのでもなく、それがお前の選択ならば咎められる謂れはない。誰に言われたとしてもお前の行動はお前が選ぶのだから、それに責任を持つなら咎められる謂れは元からないがね」
此処までの行動は誰に頼まれたものでもないけれど、そうした方が良いのではないか、という助言に従い、助けて欲しいという希望に多少力添えをしたくて選んできたものではある。他の誰もない私が、そうした方が良いかもしれないと、そうしたいと願ったからだ。それがたとえ、誰かの後をついていったのだとしても。
「自分の行動を誰かのせいにするつもりは、最初からないです」
「よく言った」
大蛇は気分良さそうに言うとゆらりと頭を揺らした。楽しそうに動いたそれが笑ったのだと気づくのに少し時間がかかった。大蛇は逆向きにとぐろを向き直すと、私を正面から見つめる。私も大蛇の顔を見上げた。
「娘、お前に良いことを教えてやろう」
上機嫌に大蛇は言う。私は何となく居住まいを正し、その良いこととやらをきちんと聞こうとした。女神様ではないけれど、女神様から言葉を賜る司祭様を見守る時のような気分になる。
「夢を管理する者たちがいるように、自然のそれぞれを管理する者もいる。お前は自分が足手纏いになることを恐れているね。それを交渉次第では払拭できるかもしれないよ」
え、と私は目を丸くした。大蛇は私の反応に気を良くしたように言葉を続ける。
「お前は魔力がないから魔法の類は使えないね。けれど、魔力がなくても手を貸してくれる存在がいる。精霊たちさ」
精霊、と私は口の中で繰り返す。そう、と大蛇は頷いた。でも、と私は慌てて反論した。精霊は魔法ととても似ている筈だ。近い存在でもある筈。人間に力を貸してくれるそれは、さながら魔法のような力を得ると、父の語るお話の中では歌われていた。
「精霊は、精霊使いの“適性”がなければ……私はなしだし、手を貸してもらえるなんて思えないわ」
思わず目を伏せた私に大蛇は首を傾げた。不思議なことを言うね、と大蛇は言うけれど私にしてみれば大蛇の方が不思議なことを言っていた。
「奴らは宴が好きなのさ。お前は歌が強みなのではなかったか?」
「宴の……歌……?」
彼らの宴で歌を歌えというのか、と私が訝る表情を浮かべれば大蛇は満足そうに頷いた。
「お前は歌姫が天職なんだろう? 精霊の前で精霊が気にいる歌を歌うくらい、造作もないことだと思うがね」
造作ならある、と言い返したかったけれど言葉が出てこなかった。試しもしないでできないと言うのは先ほどの発言の手前、憚られたからだ。ぐっと飲み込む私を大蛇は見つめ、助言くらいはやろうと言う。
「水と、風と、火と、土と。魔法と同じく精霊もそれらを管理する。
風は移り気、その時々で変わるし届く前に掻き消されるかもしれない。
火の爆ぜる音に負けないよう荒々しく、喉を焼かれる前に届けなさい。
土の下、地の底まで響かせるられれば無敵の壁を手に入れるだろう。
水の中では歌えぬが、人魚の歌なら届くだろう。まずは海へ、お前は其処へ向かいなさい」
こぽ、と泡が立って大蛇の眠りが浅くなったことを知らせる。私は聞いたことを心に刻み込み、大蛇へお礼を伝えた。
「ありがとう、道筋をくれて。皆と相談して、でもきっと行くわ。私ももっと、自分の足で歩きたいから」
沢山の立ち昇る泡の中、大蛇が微笑んだような気がした。
「夢は記憶。けれどほんの僅かな未来を見せる。お前が見る未来の夢は、果たしてどんな彩をしているのだろうね」
大蛇の言葉を最後に、私の意識は泡に飲まれた。