19 放棄した夢ですが
「戻った!」
そんな声が聞こえて私は知らず閉じていた目を開ける。私は見事な庭園に戻ってきており、見送ってくれたのと同じ翅を震わせる少女が驚いたように声をあげていた。遠くから少女たちが群れをなしてやってくるのが見える。私は慌ててポンセの姿を探した。ポンセは肩で息をしていたけれど、私の視線に気付くと、何よ、と唇を尖らせる。見た目には無事で、私は安堵した。
「大変なのはこれからなんだから」
ポンセの小さな囁き声に訊き返す暇はなく、私は目の前にやってきた女王様に挨拶するためにしゃがみこんでいた足を伸ばして立ち上がった。女王様は感情の読めない表情で私とポンセをじっと見た。
「ただいま戻りました」
ポンセが花のドレスを摘んでお辞儀をする。疲労は隠せなかったが今までの子がそうだったという壊れている様子は見られなくて女王様は意外に感じているようだった。
「カケラは」
「此処に」
ポンセが恭しく虹色のカケラを差し出す。女王様は受け取らず、別の少女に受け取らせた。すぐにお茶が用意され、カケラを更に細かく砕いたものを女王様はカップに落とす。掻き混ぜて溶かし込んだお茶を飲んだ女王様は怯えたようにカップを放り投げ、地面に落ちたカップは当然のように粉々に砕け散った。少女たちが驚き、怪我はなかったか、どうしたのかと女王様へ駆け寄った。
「あなた、とんでもないことを」
女王様は怯えた目を私へ向ける。私は理由が分からなくて困惑した。とんでもない夢だったことは確かだが、自分がとんでもないことをしでかしたとは思えなかったからだ。
「夢を、変えたのね。ポンセ、これは重大な規律違反よ」
「畏れながら女王様、彼女は人間です。フェデレーヴの規律は該当しません」
「そ、そんな屁理屈」
「ですが事実です。たとえ今、此処で女王様が規律を新設したとしても、遡っての適用はされません。それはつまり、この人間を特別扱いすることに他ならないからです」
「……っ」
女王様が悔しそうに表情を歪めた。ポンセは涼しい顔で女王様を見つめている。私はおろおろしながら二人の顔を交互に見やった。
「わ、私が勝手にやったんです。ポンセはフェデレーヴは干渉できないってちゃんと言ってました。悪いことだったならそれは全部私のせいです」
私は慌てて女王様へ事情を伝える。夢の惨劇、夢の主の状態、あんな夢ではいずれ心が壊れてしまうと思うこと。女王様は黙って私の言葉を聞いてくれたけれど、聞き終わった後にだから何と言わんばかりの冷たさで返した。
「人をやめた子の夢にどの程度の価値があるとお思いなの。ただ朽ちるに任せるだけの、血塗られた夢に」
「なん……っ」
私はあまりのことに言葉を失った。それが、それが女王の言葉なのだろうか。夢を管理する少女たちの長なのか。
「何十年もあの夢はそのままだと聞きました。あの夢を見ていたのは、子どもの心で震える男の子です。今がいくつかなんて知らないけど、あんな惨劇を毎回見てその夢の中でもがき苦しむ夢の主である子どもの心を放っておいたのは、貴女じゃないんですか」
気づけば言い募っていて、少女たちが女王に意見するなんてと言わんばかりに息を呑む。ポンセも驚いた様子で私を見ていたけれど、一度出した言葉は取り消せない。私は女王様を真っ直ぐに見つめて訴えた。
「貴女の関わった夢なら最後まできちんと面倒見てください。見捨てて、朽ちるに任せるだなんて言って、放っておいて。それでいて今どうなっているか気になるからって誰かに見に行かせるんじゃなくて、自分で!」
怒りに燃える私の目を憎悪に彩られた目で睨んで女王様は口を開く。
「わたくしは女王なの。そうおいそれと何処かへ行くことは許されない」
「それを決めたのは女王様じゃないんですか。それを変えられるのも、女王様じゃないんですか。此処では規律は、貴女なんでしょう」
ぷっと笑い声がして私は驚きから弾かれたように隣へ視線を移す。ポンセが楽しそうに笑っていた。笑う場面じゃない筈なのだけど、と困惑する私の顔を見てポンセは更に笑う。
「ああ、もう、ほんとアナタってば。ねぇシティス、アナタがもうあの夢を要らないと言って棄てるなら、アタシに頂戴」
「何ですって」
「だってアナタ、女王なんだもの。巣から動かない女王。ならアタシが代わりに行くわ。丁度他の兼任もないし、手が空いているのよ。あの夢がなくたってアナタが女王なのは変わらないわ。アタシが勝負に賭けるのは、この子の夢だけ」
ポンセは真っ白な翅を羽ばたかせると私の肩に小さな手を置いた。しっとりとした柔らかな翅が私の頬を撫でる。
「それとも、怖い? 女王の座から追放されそうに感じるかしら」
「なっ」
「無礼よ、ポンセ」
オーティが鋭い声を発する。それは女王様を庇うためのものでも、ポンセを守る警告のようでもあった。私はポンセからオーティへ視線を移す。感情を読ませないようにオーティはポンセをじっと見ていた。
「そうね、謝るわ。でもシティス、アナタが朽ちるに任せる、放棄する、と言うならあの夢の管理権限はアタシがもらっても構わないわね?」
「……好きにすると良いわ。どうせ血塗られた夢。人をやめた子の見る夢に如何程の価値もありませんけれど、あなたが欲しいと言うなら差し上げます」
女王様はそっぽを向いて私やポンセから視線を逸らしながらも許可をした。ポンセは微かに微笑んだ。
「そ、ありがと」
「けれど、彼女はいけません。一度拘束して今後の処置を決めます」
女王様が残酷に微笑んだ。ポンセの手に力が入って私の肩を強く握りしめる。私は自分に少女たちの武器を向けられていることを知って息を呑んだ。逃げようにもそんな場所はない。彼女たちの庭園で、そして此処は行き止まりだ。背後の生垣の向こうに何があるか分からないけれど、夢の中なら何処まで行ってもきっと彼女たちは追って来られるのだろう。
「ダメよ、アタシの管理場なんだから……っ」
ポンセが前に進み出るのと、武器を構えた少女たちが突撃してくるのと、私のポケットがもぞりと蠢いたのはほとんど同時で、私は思わず顔を背け、目を瞑ったのだった。