15 夢の中で出会った少年ですが
何にせよこの夢の主を探す必要がある、というところに行き着いて私は再度辺りを見回した。崩れた建物、転がる人の残骸、踏み荒らされた地面、赤い炎に照らされた暗闇。何処に夢の主がいるのか見当もつかないし、誰が主なのかも判別しようもなかった。
ひどい悪夢だ、ということだけが私には解る。夢の主はこんな光景を見たことがあるのだろうか。一方的な蹂躙は魔物が個別に行ったものなのか、それとも組織だった系統の元行われたものだったのか、私にはこの惨劇を見ただけでは判らない。魔物との戦闘なら、今となっては私にも身に覚えがある。けれど魔王軍となると規模が大きくて私の生活には関わってこなかった。冬を越すための十分な食糧を確保するために日々を過ごすことの方が忙しかったし、重要だった。旅に出てからも魔王の話題が出たことは少ない。魔物に困らされることの方が人々の生活には影響が大きいし、それは同時に人間側の防衛機能が優秀であることの証明にもなるのだろう。魔王討伐を目指す勇者一行はその限りではなく、そういう人たちがきっと前線を守っている。けれどこの夢がもしも、現実にあったことなら。
「夢って、私たちが現実で見たものが反映されるの?」
私はポンセの背中に尋ねる。ポンセは菫色のドレスを揺らして、そうよ、という返答だけをこちらに寄越した。
「でも現実で起きたこと全てが正確に記録されて全く同じものが何度も繰り返されるわけじゃないわ。夢はあくまで、アナタたち人間が見る必要のあるものを選択しているに過ぎないから」
「見る必要のあるものを選択?」
私はポンセの言葉を繰り返す。そうよ、と返したきりポンセはそれ以上は教えてくれなかった。私はポンセの言葉の意味を考える。それではまるで、夢は選ばれているかのようだ。夢を見せるのがポンセたちならば、その夢を選択しているのもポンセたちということになるのだろうか。けれどこの夢はもう誰も管理していない。ポンセの言葉通りなら暴走し、夢の主に痛手を負わせていることになる。色は最早、赤と黒の二色ほどしかない。失われた他の色は、この二色に塗りつぶされてしまったのだろうか。
夢の主はひどく傷ついていることだろう。けれど私は其処ではたと気付いてしまった。夢の主を見つけて、傷ついていることを知ったとして、私にできることは何だろう。カケラを集めて、夢の様子を女王様に報告することだけが私が頼まれたことだ。夢の主が傷ついているから、また手を貸してあげてくださいなんて言ったとして彼女は聞き入れてくれるだろうか。そもそも夢に渡れなくなったから管理ができなくなったのに、私とポンセが無事に帰れる保証だって何処にもないのに。
其処まで考えて私は頭を軽く振った。なら余計にこの夢について知る必要がある。夢を渡れなくなった理由も、この夢だけがそうならこの中にある。無事に帰れるかどうかは分からないけれど、無事に来ることができたのだから帰る方法だってきっとある筈だ。
「!」
私は足を止めた。ポンセ、と名前を呼んで耳を澄ませれば振り向いたポンセの耳にも届いたらしい。人々の暮らす集落の中心から少し離れた外れ。村ほどの大きさしかないこの人々の生活から少し足を向ければ、其処には森が広がっている。恐らくは人の生活を支えるために恵みを分けてもらうこともあるだろうその森の奥から、悲鳴が聞こえた。
駆け出す私にポンセは驚きの声をあげながらもついてくる。夢の中でなんて助けられないわよ、という声が後ろから聞こえてきたけれど私は無視する。セシルの夢では、セシルを襲った大人を助けることはできなかった。ポンセの言葉は正しいかもしれない。けれどだからと言って聞かなかった振りはできない。
バッ、と開けた場所に飛び出した私の目に飛び込んできた光景は、蹲った少年に覆い被さるようにした大柄な魔物と、横たわる大人だった物言わぬ肉塊だった。うっ、と追いついたポンセが呻く。私も同じ思いだった。
狼のような造形をした魔物は震える少年の頬をペロペロと舐めている。私はそっと近づいた。魔物は私をチラリと気にするように目を向けたけれど、威嚇はしない。私は此処でも脅威には捉えられていないようだ。ちょっと、とポンセが止めたけれど、私は確かめなければならなかった。襲われたのはどちらなのかを。
「大丈夫? 怪我はない?」
私はそろそろと声をかける。魔物が飛びかかって来ても避けられると判断した距離を保ちながら、少年へ話しかけた。この場所からでも肉塊の様子は見えた。短剣を握り締めたまま絶命しているそれの胸には勲章が光っている。軍人だろうか。魔物を襲おうとしたのか、少年を襲おうとしたのか分からないが、その魔物に返り討ちにされたことは想像に難くなかった。
「何があったの?」
少年は十歳くらいに見えた。黒い服を着ているせいか、夜の暗い森の中で完全に同化している。黒髪が揺れて私を見た気がした。蹲っているのは、何かを大切そうに抱えているからのようだ。
「お、オレ」
うん、と私は頷いた。少年が言葉を続けやすいように。魔物が懐いている点からもきっと彼はセシルと同じく魔物使いの適性があるのだろう。
「助けに来たのに、助けられなかった」
「誰を?」
「あの村の、人」
村の惨劇を目にしたのか、と私は眉根を寄せた。こんなに幼い彼の目には衝撃的に映っただろう。
「そいつから何か聞き出せるかもと思ったのに喰い殺しちゃったし」
「この人が誰か知ってるの?」
「知らない。けど魔王軍の服だから」
魔王軍、と聞いて私は言葉を失った。この軍人が魔王軍。人のように見えるけれど、魔王側に人もいるのだろうか。そして短剣を持って彼を襲おうとしていた。それを魔物が庇ったのだろうか。
「あなたは大丈夫?」
「オレは平気。びっくりした、だけだから」
震えながらも起き上がって少年は私を安心させるためにか笑おうとした。抱えていたものが剣だったことに気付いて私は胸が締め付けられるような気がした。それを持って彼はこの村の人を助けようとしたのだ。そしてそれが叶えられなかったことに更に胸が痛くなる。
「どうしてひとりで助けようと思ったの?」
抗議するように魔物が吠えて、ごめんなさい、と私は慌てて二人で、と訂正した。彼らの様子からきっと一緒に行動しているのだろうと判断したのは間違っていなかったようで、人の言葉が分かるのか魔物は満足そうに先ほどとは違う声音で吠えた。
「オレ、勇者だから」
真っ直ぐな目で見つめ返されて、私は言葉を失ってしまったのだった。




