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14 渡った夢の先ですが


 夢の中というのは本当に匂いも、温度も、何も感じないようだ。今はそれで良かったのかもしれない。感じるのはただ目から入る情報への恐怖感のみで、それ以上の情報を得てしまっては私は多分、動けない。


 はっはっ、と浅い呼吸が続く。そうでもしないと息ができない。一緒にある筈の焦げ付いた匂いや目に染みる煙、ぐにぐにと踏まずには歩けないほどの(おびただ)しい数の転がった人の成れの果てに、感覚はない。けれど私の感覚器官は擬似的にそれらを捉え、心臓は耳元で鳴っているかのようだ。


「ポ、ポンセ……」


 私は喘ぐようにして一緒にこの夢へ渡ってきた少女へ声をかける。ポンセは無事だった。体の何処も傷はついていない。けれど私以上に顔をしかめて目の前の光景を憎悪に染まった目で睨みつけている。


「何よ。アナタたちの世界じゃこれが日常でしょ」


 吐き捨てるようにポンセは言う。暗雲の下、赤く燃える火花に照らされた世界はこの世の終わりだった。生き残った人々の呻く声がそこかしこから聞こえてくる。耳を塞ぎたかったけれど、塞いだとしても意味がないだろうことを私は察していた。これはきっと、大きな争いの後だ。前線ではなく、人の住む場所が襲われた跡だ。身を守る術を持たない人が微かな抵抗はしてもなす術なく蹂躙された痕に違いなかった。


「ひどい……」


 思わず漏れた言葉にポンセはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。菫色のドレスが目の前の光景とは不釣り合いなほど可憐に揺れる。


 私は目を覆いたくなる気持ちに負けないように、周囲を見渡した。夜のうちに受けた襲撃は人から明かりを全て奪い去り、代わりに火の粉が辺りを照らす。建物は倒壊し、炎が生活を飲み込んでいた。押し潰された人の体を炎は容赦なく舐めていく。苦痛に、苦悶に、境遇に嘆き呻く人の声は誰にも届かない。誰もが自分を助けることで必死だった。誰かに救いの手を伸ばすことなど、出来はしない。


 呻き声に混ざってざわめきが聞こえてきた。呪いの言葉にも似た、救いを求める声に私はハッとする。


 声は勇者を、求めていた。


 医療魔術師でも、薬師でもない。痛みを緩和させることよりも無念さを託す相手と報復を求める声が多く、それを一手に引き受けるのは勇者しかいないと信じてやまない声だ。それと同時に、魔物への畏怖と憎悪が織り交ぜられる。微かに紛れる魔物使いへの恨み言を聞き取って私は顔を曇らせた。悲劇に見舞われた人々の声が求めるものが此処まで同じならば。


「この夢は、前からこんな状態なの……?」


 気分が悪くなりながら尋ねる私に、さぁ、とポンセは短く答える。アタシは知らない、と続けてポンセも辺りを見回した。


「シティスの管理場だったの。自分の担当外にはアタシたちは滅多なことでは足を踏み入れないから。でもシティスの管理する夢なんてのは、いつだって壊れていたわ。放棄されて、ただ朽ちた。でも此処を気にするなら、あの子もまだこの夢の主を完全に棄ててはいないんだわ」


 景色を眺める目に少し寂しそうな色を見つけた気がして私はそう、とだけ返した。シティスが誰なのか、明言はないけれど私には判る気がした。そうでなければ此処へ来て様子を教えて欲しいなんてきっと、言わないだろうから。


「もう何十年も、このままなのね。人の心では耐えきれなくてとっくに壊れてしまっていても……。完全に棄てていなくたって、これじゃ同じことじゃないの」


 ポンセの憎々し気な声に私は憂慮を感じて少し意外に思った。だから思い切って尋ねてみる。


「ねぇポンセ。あなたたちにとって、私たちってどういう存在なのかしら」


「はぁ? 何よ突然」


 心底呆れた表情でポンセは私を見る。真っ白な蝶の翅がこの赤く染め上げる暗闇でも真っ白に輝いているのが私には心の拠り所のように思えて仕方がなかった。どうして彼女が私の夢を担当しているのだろう。彼女にとって私はどう思われているのだろう。それが解ればきっとこの夢の意味も、彼女がこの夢を気がかりに思う理由も、少なからず見当がつくのではないかと思ったのだ。


「管理場って何? 管理しなければどうなってしまうの? ひとりひとりにあなたたちは担当としてついてくれているの?」


 疑問をぶつけてみればポンセは少したじろいだ。それこんなとこで訊く? と困惑しながら、はぁ、と盛大にため息をつく。


「カケラを見つけるにはどうすれば良いのかしら」


 女王様の依頼は夢を確認し、可能ならカケラを持ち帰ることだ。ポンセの協力なしに私が自力で見つけることはできないだろう。それにこの夢の中、ひとりで彷徨い歩くのは怖かった。呑まれてしまって、この夢の一部になってしまいそうな、そんな不安が背後から今にも襲い掛かろうとしているかのようだ。


「やーね。アナタたちって、誰かの願いを叶えないと生きられないの?」


 はぁ、と再び盛大にため息をついてポンセは面倒臭そうに口を開いた。


「管理場っていうのは、人間が見る夢そのもの。お茶会に必要なカケラを採取する場所でもあるから、餌場と呼ぶ子もいるわ。管理しないと夢は暴走して、見ている夢の主の精神に良くも悪くも深く痛手を負わせるの。傷ついた夢は色を失って、カケラの質も悪くなる。カケラは心の涙が結晶化したものだから、毎日は採れないの。良くも悪くも毎日泣いてたんじゃ、疲れちゃうでしょ」


 質問に律儀に答えてくれているのだと知って私は相槌を打つだけで我慢した。余計な口を挟んだらポンセは面倒がってもう話してくれなくなりそうだ。


「傷つきすぎる前に夢の主を起こすのも私たちの仕事。ひとりひとりについているけど、毎日夢を見せるわけじゃないから毎日来ているわけじゃないの。兼任も多いわ」


「ポンセも、私以外に誰かを担当しているの?」


 思わず訊いてしまってから慌てて口を両手で塞いだ。もう最後まで訊いてしまって塞いだって遅いのだけど、言うつもりじゃなかったという姿勢は見せる必要があると思う。話の腰を折るつもりはなかったの、と暗に示したら、ポンセはじとりと私を見るだけに留めてくれた。


「いいえ。アタシの担当はアナタだけ。アナタと兼任していた人間はもう、死んでしまったから」


「そ、そう……。ごめんなさい、そんなことを聞くつもりじゃ」


「良いのよ。アタシたちにとって人間が死んだくらい、大したことじゃないもの」


 畑で育てている野菜みたいなものかしら、と私は思う。それなら別に収穫できなくなっても残念ではあってもずっと引き摺るものではない感覚も解る気がした。そしてそれは少し、寂しくもあった。


「カケラは、その辺に転がっているわ。涙を流す夢の主の近くにね」


 ふいとこの夢の主を探すように身を翻したポンセの背中を見て、私はまた、そう、と返したのだった。



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