1 はじめましてですが
「少しの間で良い、勇者になってくれないか」
十八年生きて来て、こんなお願いをされる日が来るなんて思わなかった。
戦場の真っただ中、お日様が柔らかい光を投げかけて優しい木漏れ日が落ちる森の中。地面には利き腕が千切れかけて剣も握れず蹲る勇者と、その腕をくっつけようと治療魔法を施す魔術師、それを邪魔しようとする魔物を退ける格闘家兄妹、少し離れたところで剣を振るう女剣士が必死の形相でこの危機的事態に対処している。
私はというと、馬車の前で戦闘に不慣れな女商人に守られながら呆然とその光景を眺めているだけだった。
誰もが満身創痍で、魔術師が叫んだ言葉を聞いた私は自分の運命を呪った。
私の天職は歌姫のはずですが!
話は、数日前に遡る――。
魔力なし、身体能力はそこそこあるが剣技の適性はなし、楽器演奏の適性なし。歌の才能は飛び抜けており、集中力もある。
それが出生時診断で司祭さまから私の両親が言付かった診断内容だ。母は出産を終えたばかりで憔悴していたが、父と顔を見合わせて喜んでくれたという。
吟遊詩人の父と踊り子だった母との間に生まれた私は英才教育を受けて歌の才能をぐんぐんと伸ばし、幼少期から小さなビレ村の人気者だった。
「おやライラ、今日もご機嫌だねぇ」
「ライラちゃんの歌を聴くと今日も頑張ろうって思うんだよ」
「天使の歌声とはまさにこのことだ」
教会で司祭さまのお話が終わると、たったひとりの聖歌隊の歌が始まる。村の人たちは誰もが私の歌声を褒めてくれた。それは十八歳になった今でも変わらず、変わったことといえば都で流行ったという病が行商人によってビレ村にももたらされ、私の両親も犠牲になったことくらいだ。
たった三日、高熱で寝込んだ両親はあっと言う間に私をひとり残していなくなってしまった。
村の人たちはとても良くしてくれる。司祭さまも私にことあるごとに頼みごとをしてくれる。私は笑顔でみんなの善意に甘えていた。
もう随分と高齢になった司祭さまから頼まれた薪にする枝を拾い集めるために、私は村はずれの森を訪れていた。
山の中腹にあるビレ村は周囲を森に囲まれている。人の手が届かない場所は魔性の領域だ。だが精霊や魔物や獣が息づく森は司祭さまのおかげか女神さまのおかげか、一度も誰かが襲われたという話を聞かない。だから私はひとりになりたい時も、この森を訪れる。
今までは歌の練習をするのに丁度良かった。誰にも聞かれないし、歌っている間は魔性の存在も息を潜めていてくれる気がした。警戒心の薄い獣は近づいてくることもあった。村の人はなるべくなら森に近づきたくないみたいだけれど、私にとって森は決して恐ろしいところではなかった。
私はいつもの場所を訪れていた。湧水が溜まって小さな泉になっている、綺麗な場所だ。陽光が降り注いで水面がキラキラと反射している。少し出ている風が水面を揺らし、美しさが際立った。森の獣も喉を潤すために訪れる場所だから、足を運べば遭遇することもある。姿は見えないけれど、魔性の息吹も感じるような気がする。
ここで歌うと木々がない泉の上に広がる青空へ私の声が昇っていくような感覚がしてとても気持ちが良い。森の中だと音が吸い込まれてしまう気がするけれど、泉の傍だとのびのびと歌うことができる。
今日は先客が誰もいなかった。私は泉の傍で少し足を開いて立って、背筋を伸ばす。目を閉じて大きく息を吸い込んだ。
あー、と真っ直ぐに声を発して、喉の調子を整える。それから小さく歌うのは、記憶に残る一番古い歌。揺籠の中で聞いた慈しみの歌。父が考え、母が私のために歌い聞かせてくれた愛の歌。私がこの歌を忘れない限り、父も母も私の中に残り続ける。
亡くしてすぐには歌えなかった。ここでひとりで泣くことしかできなかった。村の人も司祭さまも何も言わないけれど、気づいていたかもしれない。だからここで練習した。笑い方も、振る舞い方も、以前はどうしていたっけと思い出しながら練習した。両親のように私を大切にしてくれるみんなに心配をかけないように。
悲しみでこの歌を歌わなくて済むように。温かい気持ちで思い出せるように。同じようにあの二人を慈しめるように。
目を閉じて歌っている私の右肩に細い重さがかかった。鳥が止まりに来たようだと想像する。まだ幼い頃、そうして予想して目を開けたら魔物の怪鳥だったことがあった。驚いて泣きながら帰ったことを思い出して少し口角が上がる。父さんも練習中に魔物が寄ってきたことがあるよ、と父は笑って頭を撫でてくれた。危険を感じた時は教えたステップを踏むのよ、と母は現役さながらの足さばきを見せてくれた。
ああ、きっと、大丈夫。
少し痛む胸を両手でそっと押さえながら私は歌い終えて目を開けた。少し視界が滲んだけれど、零れることはなかった。そして肩に止まったのは綺麗な羽根をした小鳥だった。
小鳥は私が身じろぎしただけで羽ばたいて行ってしまった。名残惜しくて小鳥が飛び立った方を目で追って初めて、私は木立の陰に人が立っていることを知った。
夜のような人だと思った。
背の高い端正な顔立ちの青年だ。艶やかな黒髪が、木漏れ日を浴びていて目を引いた。旅装束の外套も黒くて、陽が落ちた頃に出会えばどこにいるか分からなくなってしまいそうだ。宵が訪れる空と同じ藍色の切れ長の目は驚きにか見開かれている。
いつからそこにいたのだろう。歌は聞かれてしまっただろうか。誰かに聞いてもらうために歌ったわけではない、自分のための歌を聞かれるのは気恥ずかしかった。
「あの……」
気まずくて声をかけると、青年は目を何度か瞬かせた。
「もう一度」
風が撫でていくような耳に心地良い、落ち着いた低い声だった。
「もう一度、歌ってくれないか」
静かに懇願され、今度は私が目を丸くする番だった。けれど、藍色の目が真剣に私を見つめるから私は軽くお辞儀をして目を閉じると息を吸った。
今度は彼に、慈しむ歌を歌う。たったひとり聴衆としてアンコールをくれた彼に。初対面だけれど、歌を望んでくれる人ならきっと悪い人じゃない。私の歌を聞いてくれた人がどうか、幸せでありますように。願いを込めて、彼に届くようにと歌う。
長い歌ではないから、すぐに歌い終わった。再びお辞儀をした私に、彼は考え込むように目を伏せ、視線を外した。
「……何故」
どうしたものかと困惑していた私に、彼は問う。え、と聞き返せば藍色の視線を私に向けて、彼は真剣に尋ねた。
「何故、魔力もないのに魅了される?」
そんなこと訊かれましても、と私は思うけど、彼は深刻とも思えるほど真剣に考え込んでいるようだった。よほど魔力に耐性があるのか、彼は本気で理解できないといった様子だ。私の歌に魔力が込められていないと判っているようでもあるから、魔力感知能力も持っているに違いない。
歌に魔力を乗せる人もいるにはいるのだと、司祭さまに聞いたことがある。そうして癒しや赦しを効果的に人へ伝える歌姫もいると。そういった者は教会に重宝される。だけど魔力のない私には、そんなことできない。伝わる保証もない。それでも、歌いたいなら努力を重ねるしかないと司祭さまから教わった。
「もし、魔力の乗っていない私の歌に魅了されたとあなたが感じてくれたなら、私にとってこんなに嬉しい褒め言葉はありません。私の歌に、何か残るものがあったということなのかもしれないから」
今まで村の人ばかりが聞いてくれて、褒めてくれて、勿論それは嬉しいけれど身内からの評価ではあってしまうから、本当に私の歌う歌が良いものと感じてもらえるのか自信がなかった。でもこうして見ず知らずの青年が不思議に思うほど何かを感じてもらえるなら、少し自信を持てそうな気がする。
「私の歌を聞いてくれてありがとう。見たところ旅人さんですよね。あなたの旅が幸多からんことを」
私が祈りの言葉を口にすると、彼は少し驚いたようだった。一瞬きょとんとし、そうか、と目を細める。
ざぁっ、と風が吹いた。木々の葉と水面を揺らし、ざわめかせ、私の茶色い髪の毛を数束掬ってなびかせる。私に精霊の声は聞こえないけれど、もしかしたら風の精霊が近くを通ったのかもしれない。なびいて頬にはりついた髪の毛を耳にかけながら、私は彼に微笑んでまたお辞儀をしてから踵を巡らせた。
「また、あんたの歌が聞きたい」
彼の声が背後から追いかけてきて、私は足を止めた。そう言ってもらえることが嬉しくて、私は頬が緩むのをそのままに振り返って、ぜひ、と返す。彼の口元も少し綻んだような気がした。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
思いついてまた書きはじめてみました。
完全異世界ファンタジーは色々なものをゼロから積み上げる必要があるので苦戦しそうですが、
恋愛も冒険も絡めて描いていければと思います。
いつもキーワードが分からないんで結構てきとーに選んでるんですが、
間違っていたりもっと良いものがあれば教えて下さると嬉しいです…。