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ダイイングメッセージ

僕は死人の痕跡を見ると人の死に際を思い浮かべることができるようになっていた。例えば今回の事件で言うと、壁の一部を覆った血糊だ。これに意識を集中させると痕跡を残した人の死の間際の言葉や行動が映像として頭の中に映される。具体的な時間は把握していないが、死ぬことが確定した瞬間からだと僕は考えている。

今回の被害者は腹部を刺されて死んだ。それでも逃げようとした彼女は、血の付いた掌を使って壁を這い、ポケットを探り、一言残して息絶えたのだった。


「あなたが、なぜ、鍵を」


結局、この事件は現場の合鍵があること。

犯人は見知った顔であること。それらを助言し捜査して事件は解決した。

僕はこの能力を使って、見聞きした行動や証言を元に事件を調べ、解決する事務所を経営していた。その中でも一際多かったのが人が人を殺す事件の捜査だったが、死の直前に被害者が名前を言っていれば犯人は分かった。そうやって僕は能力に頼って生活をしているインチキ探偵だ。

能力に気がついた最初は、自分も面白がって色々な痕跡を探しては人の死を見てきたが、仕事として扱い慣れた今でも気分の良いものではなかった。壁の滲み、割れた窓。気がついたものを凝視すると見えてくるのは人間の死に際。

僕はまだ血の通う人間だ。可能なら死には触れていたくないというのが本心ではあった。能力が無くなったところで残念に思うようなことは一つもない。

そんな心とは裏腹に、いつからか自分が生きる為の手段として利用していた。それどころか痕跡に気がつく悪い癖までついてしまった。残念ながら今はそのお陰で生活が出来ているのだが。

沢山の死を見てきたとはいえ、人の死から離れることを憂うほど冷めてはいないはずだと自分に言い聞かせてきた。

死人に口無し。だから死人に文句を言われることが無いのは救いだった。


「探偵っていうのは人の死に鈍感になる仕事なんだな」と言われたことがあったが、やはりそれらの影響もあったのだろう。

「僕は人の死を悲しく思うし、心が締め付けられるようにも思うよ」と言っても説得力は無かった。現場に立つことが多すぎたのだ。事件の度に、警察は僕を便利に使う。そして「手柄は私たち、君には報酬だ」と言いくるめられたまま長い時間が経ってしまった。

思えば先生が生きていた頃から警察には余計な世話を焼いてもらっていたような気がするな。




僕の先生が死に、事務所を引き継いだのも数年前の話になる。

現場は事務所の最寄り駅から数駅ほど離れた神社だった。事件は単純明解、先生は証拠を残して死んだのでその事件で僕の出る幕は無かった。

しかしその『証拠』は現場に顔を出していた僕に「君のセンセイは賢明な方だった」と言った警察官の話と同時に揉み消された。証拠は名前の書かれた警察バッジ、僕も見知った人だ。

警察と探偵の柵から発展した今回の事件は、関係を考えれば表に出すわけには行かない。君には申し訳ないが、内部で処理をさせてほしい。そんなことを言われた。

察した僕はそれからしばらくは誰とも口をきかなかった。

それでも、先生と一番身近だった僕を野放しには出来なかったのだろう。事件からしばらくの間は一人で行動することは難しかったが、無害に過ごしてきた僕への監視は次第に薄れていった。

確かこの能力が身に付いたのもそれぐらいの頃だっただろうか。先生が死に、僕は人の死を見ることが出来るようになった。

この能力に気が付いたのはそれからしばらくの間があった。

僕はここで、まだ先生の痕跡を見ていなかったことを思い出す。




僕は先生が殺された事件の答えを知っていた。にもかかわらず黙っていた。本当にそれが正しかったのかは、今でも自信がない。

ここで僕は先生の話を聞こうと思った。

それを聞いて何を善とし、何を悪とするのかを改めて考えることにしよう。



思い立った僕は久しぶりに神社へと足を運んだ。春と言われるようになってからしばらくではあったが、微かに残っていた冬の寒さがぶり返すような雨の朝だった。木々も芽生えを考える季節だったが、その枝葉は冷たい雨に打たれながら犇き体を寄せ合っていた。

社の扉を開けると、中から埃の臭いがした。

この神社は随分なボロだった。そのせいか室内のはずなのに冷たい風が体をすり抜けていくような感覚に苛まれる。社から吹く風は、お腹を空かせた犬のような唸り声をあげ僕を牽制した。

そしてその床の中央には掻き消されたはずの血の痕があった。黒々とした染みとなり、今も微かな痕跡として息を潜めていた。

僕はそれを読み取る為に神経を集中させた。今は亡き先生の声を僕は聞く。



目の前には腹部から流れる血をそのままに横たわる先生の姿があった。先生は死の間際まで疲れたような顔をしていたが、姿が消えるまで身動きはしなかった。


「なぁおい、見えるか」

「とうとう死ぬことが決まったってことだ」

「本当はな、死人は喋らないんだぜ」

「だが残念ながら俺は喋ることができる」

「金庫に行け」

「行けば分かる」

「鍵は机の引き出し」


僕が見たのはここまでだった。



言われた通り事務所に帰り机の引き出しを探してみると名札がついた鍵が出てきた。名札に書かれていたのは先生を殺した男の名前だった。

貸金庫に入っていたのは二通の手紙だった。一通は先生から、もう一つは先生を殺した男からだった。


先生からの手紙には乱暴な文字でこう書いてあった。

「もう長くないので力を託す」


僕が見に来ることを想定していたことは確かだった。でも僕には疑問が募るばかりであった。何一つの判断もつかないままでは先生が死ぬ場面を見に行った甲斐もない。僕は並んだ男の手紙も読み始める。



君の先生はもう長くないとして君にある能力を授けた

私はそれを見届けてくれと頼まれたのだ

しかし私もそれほど長生きは出来ないだろう

だから彼の手に私のバッジを忍ばせた

部下は揉み消し、君は恐らく黙る

監視が薄れたころ、能力に気がついた君は先生と同じ仕事をする

この事件があれば警察は君を反故にはしないはずだ

最後まで見届けられないことを申し訳なく思う。




男は事件が終わった後に死んでいる。

手紙を読み上げた僕は泣いていた。

善と悪の死に際まで、僕には見ることが出来ない。

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