俺の好きな人を紹介します。
俺には好きな人がいる。彼女は可愛い。そして元気だ。頗る元気だ。そして恐らく馬鹿だ。
彼女とは中学校から一緒だが、言葉を交わしたことはない。いや、一方的に言葉をかけられたことはある。一度だけ。そのたった一度で彼女に惹かれてしまったのだ。俺は単純なのだろうか。
いや、恐らく俺が彼女に惹かれたのは必然だ。何せ、俺とほぼ同じ遺伝子を持つあいつが彼女にベッタリなのだから。
教室でつまらない授業を聞きながら窓の外を見ると彼女がいた。この時間、彼女のクラスは体育なのだ。ポニーテールを揺らしながら駆ける彼女は可愛い。可愛いのだが、この蒸し暑い中、よくあんなに楽しそうに運動できるものだ。俺には理解できない。
彼女を見ていると自然にあいつが視界に入る。俺の思考回路は片割れも同じものを持っているようで、元気に走る彼女を近くで呆れた顔をしながら眺めていた。羨ましい。あいつの場所に俺が立ちたい。
「舞原くん?聞いていますか?」
おっと、いつの間にか当たっていたようだ。名残惜しいが窓の外から視線を外して前に向き直る。英語の神崎先生が口元をひくひくと動かしながらこちらを見ていた。質問の内容は分かる。外を見つつも授業は聞いていたのだ。だから答えよう。
「分かりません」
俺は勉強が嫌いなんだ。
放課後、女の子に呼ばれて裏庭へ向かった。この顔は評判が良い。頭が悪くても女性はこの顔に惹かれるようだった。中身を知れば皆去っていくが。
今日も告白を断り、裏庭でしばらく呆けていると誰かの足音が聞こえた。随分急いでいるようだ。放課後は告白スポットになっているこの場所へ急ぐ人物が気になり、足音の主を待っていた。
やって来たのは彼女だった。俺は心臓が大きく脈打つのを感じながら彼女を見ていた。膝に手をつき呼吸を整えている彼女は相当急いでいたらしい。いつもきちんと整えられているポニーテールが乱れている。膝小僧も擦りむいていて、血が滲んでいた。制服も所々汚れている。何故そんな格好をしているのだろう。咳き込み出した彼女に思わず声をかけた。
「大丈夫?」
顔を上げた彼女に心臓が止まるかと思った。可愛い。可愛すぎる。驚いた表情は、だがすぐに落胆へと姿を変えた。彼女は分かりやすい。すぐに瑠依を探しているのだと分かった。嫉妬の炎が胸中にちらちらと燃える。いや、落ち着け。これはチャンスだ。彼女と初めて話すことができるんだ。悪い印象は持たれたくない。どうしたのか問いかける。なるべく、優しく聞こえるように。
「あのっ、瑠衣、瑠衣見なかった!?」
予想以上の反応だった。俺のワイシャツを掴みながら必死に見上げる彼女は可愛い。非常に可愛い。鼻血が出そうなほど可愛い。
いや、落ち着け。この背中に回そうとしている腕を今すぐ止めろ、俺。彼女がこんなに側にいることはこの先もうないかもしれない。今日限りかもしれない。それなら少しでも長くこの時間を堪能するんだ。
「瑠衣?」
ととぼけてみせる。すがるような彼女が可愛かったが、あまり長く待たせても印象が悪いだろう。正直に見ていないことを答えた。その言葉を聞いた彼女はぺたりと崩れ落ちた。その表情は絶望に染まっていた。 違う。君は、そうじゃないだろう。
「溝内さん」
顔を上げた彼女にいつもの表情は欠片も見当たらない。君は、違うだろう。いつだって、あの時だって。だから今度は、俺が手を差し伸べよう。
「多分だけど。瑠衣はあっちに居ると思う」
俺の言葉に彼女は目を丸くする。何故、と聞かれても勘としか答えられない。大体において、あいつの事に関する勘はよく当たる。多分あちらの方にいるのだろう。俺の言葉に笑顔を見せた彼女は急いで走り出した。傷の手当てくらいすれば良かった、と揺れるポニーテールを眺めながら思った。
自分の事など省みず、他人の事に必死になる。何があっても、例えどんなに自分が辛くても。彼女は眩しいほどの笑顔を見せる。
それが溝内優香という女の子だ。俺はそんな彼女が好きなんだ。
家に帰ればリビングにあいつがいた。顔には出ていないが俺には分かる。あいつは喜んでいる。彼女に救われたのだろう。舌打ちしたくなる。どうせあいつの事だ。彼女を試したのだろう。そのせいで彼女に傷を付けやがって。言葉を交わす事もなく自室に戻った。よく考えれば、今日彼女と言葉を交わす事ができたのはあいつのおかげだ。少しは感謝してもいいかもしれない。




