2章 序 接触
五百年前、あの声を聞いてから。
僕と、その周りの人たちの人生は大きく変わった。
『アーネスト』
それは僕の名前。
はるか昔にその名の重みは変わってしまったけれど。
その名を持つ僕自身ですら、変わってしまったけれど。
僕がアーネストであることは、死ぬまで変わらない。
変わらない筈だ。
「アーネスト」
水のせせらぎだけが支配していた静かな白の間に響くは、涼やかな声。
もうずっと聞き続けて来て、慣れきってもいいはずなのに。はっとするような、美しい声。
まるで夢の中でそれに呼ばれたような心地がして、彼は自分の名を呼ばれても暫く反応しなかった。
「アーネスト?」
「……何?」
もう一度呼ばれ、白の玉座に身をうずめていたアーネストはのろのろと顔を上げて返事をした。
玉座から離れた、階段を下りたところに声の主が立っていた。
もう彼と三百年の時をともにしている「クレーネのセパラ」………リララ。
アーネストと目があうと、彼女はそのゆるくウェーブのかかった薄い水色の長い髪を揺らして、微笑む。
ちりん、と髪飾りについた小さな鐘の音が静かなこの間にゆっくりと響いた。
「よかった。大丈夫?」
「……ああ」
気のない、草臥れたような彼の返事に彼女は少し顔を歪め、大丈夫なんかじゃないわ、と言った。
しかし彼はそれに答えず、再び顔を俯かせる。
「声が、聞こえた」
せせらぎにまじって、アーネストがぽつりとつぶやく。
「あいつの声だ」
そのつぶやきに彼女は答えることなく、ただじっと彼を見上げた。痛ましげな表情を浮かべて。
「笑ってた……笑ってたんだ」
彼は自分が震えていることに気付かなかった。いや、気付こうとしなかった。
ただ彼は、アーネストは白の玉座に深く座り込み、俯いているだけ。
「でも、あれを阻むものも、生まれている」
彼から滲みでるどす黒い負の気配が部屋を覆う前に、それを翻すように強く、しかしそれでいて静かにリララは言った。
「まだそれの力は微弱だけれど、育っていくわ」
彼女はアーネストが言う意味をすべて理解していた。これから起こり得ることも、それに彼が怯え…そして高揚していることも。
「だから……今はしっかりと休んで。来るべき……我らの使命のために」
そして彼女は子供に言聞かせるように、優しく言葉をつむぐ。
「わかってる…」
リララに言われてやっと落ち着きを取り戻したのか、彼の震えは消えた。
そして、沈黙。
白の間に流れるのは部屋の中に引かれている水のせせらぎの音だけ。
白い衣に身を包んだ彼らは、お互いまるで彫刻のように動くことなく、しゃべることなく。
その間にゆっくりと溶け込んでいくようだった。
そう、わかっている。
僕らはそのためにこうして生きているのだから。
たとえ僕……アーネストが消えようとも。
使命のために、生き続ける。