1章2節 おとしまえ
(やっぱり、考えすぎなのかな)
あれから二週間ほど経った。メオはカレイア帝国を抜け、マルクト共和国の帝国側の国境近くの町にたどり着いていた。
やはりいつもどおりに宿の部屋をとった後、宿屋と兼用である酒場にやって来ていた。情報収集の場としては、それなりにいい場所である。
もうすぐ夕方。酒場にも仕事を終えた町の人間が姿を現し始めている。
あれから色々と話を聞いてみているが、王国について、彼が知りたいと思っている類いの噂はほとんどといっていいほどない。
『ルーンデシア?機械王国の。あの便利そうな国のことかい?
さぁ……別に何も聞かないけどねぇ』
とカレイアでは誰に尋ねても、あまり関心のなさそうな回答しか得られなかった。
戦争がどうとか言う問題ではなく、他国の人間がそういう認識を持っているというのが、別の意味で衝撃的ではあった。
うすうす感じていたのだが、目の前で言われるのとはまたそれは違うものだ。
ルーンデシアが機械技術が進んでいるのは確かだが、特段それを便利だと感じたことはないし、そこから離れても不便だと感じたことはなかった。
かの国とカレイア帝国とではあまり交流が盛んではないせいか、出入りの商人もあまり多くない。情報はそんなに多くなかったが、そのなかではともかく不穏な噂の類いは見つからなかった。
(……やっぱり、考えすぎなんだよ、な)
カレイアのはずれで会ったあの男……もう名前も朧げであるが、彼はやはり単にルーンデシア人が嫌いなだけかもしれない。
実際そういう人間に先日出会い、散々に罵られたばかりである。別に好き嫌い、信仰は本人の自由であるから、どうこう言うつもりはないが、面と向かって言われるというのはやはり、気分が悪い。
思い出して嫌な気分になったので、気晴らしに給仕をしている娘を眺めてみる。
店の娘が気付いたので笑みを浮かべて手を振ったが、彼女はじろっとこちらを睨んだ後、すぐに顔を背けてしまった。
(あらら……)
メオは苦笑いを浮かべて視線を自分の服に移した。自分が童顔であることはとりあえず頭の隅に追いやり、旅装の汚さを嘆くことにする。
(まぁ、あまりこぎれいじゃないしねぇ)
まだ旅をはじめてそんなに長いわけではないが、メオの格好はあまり綺麗とは言い難かった。
出来うる限りの清潔を努めているが、白い服を好むのが悪いのか、泥が少々目立つ。旅の間額につけていた青いバンダナもだいぶ色あせてきた。頭の後ろに手を回し、バンダナから伸びているコードを少しいじる。その先は腰に下がっている銃に接続されている。
(いい男が台無しだよねー)
やれやれ、と窓を見れば、空が段々暗くなってきているのがわかった。
旅の人間も二階にある部屋から降りてきて、町の男達もかなり集まり、酒場は賑わいだしてきた。
そのうち何処からか音楽が流れ出してくる。
この賑やかな雰囲気がメオは好きだった。この雰囲気の中で暗鬱な気分でいる自分が、妙に馬鹿らしい気がしてきてしまう。
(……でも、やっぱり国境近くまで行って様子を見ちゃおうかな)
見ても仕方のないことではあるかもしれないが、もはやメオはそうでもしないと落ち着かなかった。
ここ二週間、集中できないせいか趣味の銃の研究も上手く進まない。
何となく、腰にさげている自分の愛銃をテーブルの下で確かめる。固くて冷たい感触。
「あっと……」
考え事をしていたせいか、注ぎすぎた酒が杯からあふれ出てテーブルに広がっていた。
麦酒の泡がふつふつと小さく音を立て、すぐに消える。
ぼんやりとそれを見つめた後、店の者に何かふくものを頼もうとした、そのとき。
人々の笑い声や話し声で賑わっていた酒場に、突然ものがひっくり返ったけたたましい音が響いた。
皆は口をつぐみ、一斉に音のしたほうに視線を集中させる。
メオも反射的にそちらに目を向けた。
そこには、大柄な男達が四人ほど。
テーブルはひっくり返され、その上にのっていたであろう杯や食べ物が床に無残にも散らばっていた。
(あらまぁ、もったいない……)
「てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ!」
一人そう思ったところに怒鳴り声が響いたので、一瞬自分に言ったのかと考えてしまい、メオは思わず首をすぼめた。
四人の男達は大きな身体を振り上げてそれに見合ったかのような大声で互いを罵りあった。
メオは酒がこぼれていることも忘れ、ただ唖然としていた。
その間誰も彼らを止めることはなく、それどころかそのままおのおのの会話をまた始めだしたのだ。
メオにも止めるつもりはなかったが、店の客(ほとんどは町の者のようだ)のその様子にはすこしばかり驚かされた。何しろ、無関心なのである。見えていないのだろうか。
店の者は慌てた様子ではあるが、手を出しあぐねただその喧嘩を見ているしかなかった。もっとも、仕方のないことであった。屈強な大の男が騒いでいるのである。
すぐに男達の喧嘩はものの投げあいに発展し、皿や杯、食べ物が酒場の中で飛び交った。
さすがにこれには客達も騒ぎ出し、酒場は喧騒の渦にもまれ、男たちの周りにはほとんど人はいなくなった。
彼らはお構いなしに、ついには男のうち一人がイスを持ち出し相手に向かって投げた。
投げられた方は罵倒しつつ慌てて避ける。
そしてなんとも重い、嫌な音が響いた。
運悪く、イスを投げられた男の後方の客のうしろ頭にそのイスが直撃し、イスはごとりと床に落ちた。
そのイスは大きくはないにしろ、木を削ってつくられたものである。音の重さから言っても、かなり重いようだ。
メオは痛さを想像して思わず額に手を当てる。
(もしかしたら死んだかもしれない)
男達は未だ罵りあい、ものを投げている。かわいそうに、と思ったメオは突っ伏したまま動かないその客を見つめた。
――と。
突然、その客がすっと頭を上げた。
メオは目を見張った。周りの客もざわつき始めていた。
その客は白い頭を軽く振ると、立ち上がって足元の、先程彼に衝突したイスを片手で持ち上げた。
どうやら旅の人間らしい。見たことも聞いたこともないくすんだ水色の民族衣装なようなものを着込んだ、まだ若い男だった。
メオからはやや距離があったが、そこから見ても彼の身体は、背が高くとも暴れまわっている男たちと比較にならぬほど細い。
そしてその彼は軽々と片腕でイスを頭の位置まで持っていき……
投げた。
(えぇぇ?!)
メオの目の中で驚きと共に、イスがゆっくりと喧嘩をしている男達の一人に吸い込まれていった。
程なくして、悲鳴。大きな身体が倒れる音もした。
「てめぇ、何しやがる?!」
やられた側の男の仲間が怒気をはらんだ声で叫ぶ。
相手側はニヤニヤと笑っていたが、間髪いれず別の椅子が飛来し、そちらの方にも当たる。
あっという間に二人が倒れた。
店は静まり返る。
(あちゃー……)
メオは何ということも出来ず、溜息をついた。
「お前らがやったから、やり返したまでだ」
二つ目の椅子を投げたその若者は、手を軽く払いながら淡々と言う。
「文句あるか」
そんな馬鹿な。
そこにいる誰もが思ったに違いない。
残った男達はただ呆然としていたが、はたと気付くと、よくわからない大声をあげながら若者に飛び掛った。
同時に再び酒場にざわめきが生まれる。
目にも止まらぬ速さで若者は男を蹴り倒した。その衝撃を受け止めきれなかった男は吹っ飛ぶ。
そして、あろうことかメオのテーブルに飛んできた。
「うおっ!」
麦酒でべたべたに濡れたテーブルにだ。
メオは慌てて避けたが、嫌な音を立てて男は頭からテーブルに突っ込み、木製のテーブルは無残にも割れた。
周りの客は悲鳴をあげながら逃げる。
それを目の端に見た後、若者は残りの一人がとばした拳を避けすかさず顔面に蹴りを入れた。
彼もまた吹っ飛んでいった。けたたましい音と悲鳴が再び酒場に響く。
倒れこむ衝撃に、店内が揺れたような気がした。
その様子もきちんと確認すると、若者は足についた埃を払い、ふん、とだけ声を漏らす。
店の中にいたものは、皆言葉も無くその光景を見つめていた。
酒場の中は、異様な沈黙。
その中で一人立つ、銀髪の若者。
メオは彼を見つめながら、少し笑った。
これが、正確に言えば彼との出会いだった。






