その⑦ 往生
獰猛に踏み荒らされた草木の道。それを辿っていくのはそれほど難しいことではなかった。
「早く行かないと……!」
しかし、ポセットには焦りが見えた。走りながら、聴覚に細心の注意を払う。ナットたちをつけて行った狼はきっと仲間を呼び、大勢で襲うに違いないから。
でも、その心配はすぐに解消された。草木の道が途切れ、その先端がガサゴソと蠢いていたのだった。
どうやら、つけて行った狼は途中でナットたちを見失ってしまったようだ。
「狼がドジで助かった――」
ホッとしつつもトンファーを構え、ゆっくり後ろから近づいて、静かにスタンガンで仕留めた。
これでよし――。狼が気を失ったことを確かめた後、安堵の表情で立ち上がりトンファーをベルトに納めた。
「ナット! ミコさん! 出てきてください! 狼は退治しましたよー!」
ざわつく森。しかし返事は聞こえない。
「近くにいるわけじゃないのか……。どこまで逃げて行ったんだろう?」
ガサガサ――。
「っ! ミコ……さん?」
ガサッ。
ポセットが驚きのあまり茫然と立ち尽くした。
「お、お前は……!」
葉の擦れる音。差し込む日光が揺れる。
相変わらず森の中。草木を倒して進むのには体力がいるため、ミコもナットもうんざりしたような疲れ顔。
「ねぇ、ポセットくんどこ行っちゃったの? まさか本当に食べられてないでしょうね?」
「どこ行ったかはわかんないよ。でも、食べられてはない。絶対」
「そうなの……」
お得意のマシンガントークも出てこない。本当に疲れていた。
くすくす……。ワンピースの女の子は楽しげに笑い、何度も振り返っては愛らしくミコたちに手を振って、着いてきてとはやす。
「いや、でも、あの女の子が茂みから出てきたときにはびっくりして腰抜かすかと思ったわよ」
「抜かしてたじゃん」
「抜かしてないわよ、座っただけよ、なによやる気なの?」
「なんでそんなにケンカ腰なんだよぉ」
「疲れてイライラしてんのよ。文句あるの? やるときはやる女よ、わたし」
「猫にいきり立たないでよ。狼倒してよ」
「狼倒せたらこんなとこで迷子になってないわよ! ……ん?」
くんくん。空腹の鼻をくすぐるいい匂い。
ぐるりと首を回すと、匂いのもとはすぐそこに悠然と立っていた。
「大きいね……」
「すごい……。なんて立派な木――」
天高く伸びた身体、幾重にも連なった枝、屋根のように重なり生い茂った葉、どれも他の木々とは圧倒的に違う存在感を備えていた。そして何よりも違うのは、深緑に散らばった星を思わせる、五枚の花弁をいっぱいに開いた黄色の花々。
「あれ? この花、どこかで見たような?」
ナットが首をかしげる。
「森の中だもん。どっかで見たんじゃない?」
「そうかな」
木が作りだした巨大な影の中、地面から飛び出した太い根っこに女の子はちょこんと座りこんだ。高い木を見上げて口をポカンとする二人に向かって、女の子は早く来いと激しく手招きする。へこへこと影の下に行くと、隣に座れとポンポン根っこを叩く。
「なんだか、ここに案内してくれたみたいね」
「だとしたら、随分森に詳しいってことになるけど……」
相変わらず一言も発さないが、にこにこと花のように笑う女の子は本当に幸せそうだった。ミコが大人しく隣に座って、ギュッと手を握ってあげると、女の子はミコの顔を見て、またにっこりと笑った。
「ああ、もぉ~。かわいいわぁ~、この子~」
ミコはたまらず女の子を抱きしめた。
「なんなのミコさん? そういう趣味の人なの?」
ミコはナットに、眼光をこれ以上ないほど研ぎ澄まして睨んだ。
「違うわよ、何勘違いしてんのよ、ケンカ売ってんの? 買うわよ、やんの? やるときはやる女よ、わたし」
「な、なんでそんなに不機嫌なんだよぉ」
「人が和んでるときに横からちょっかい出すからよ。人間様なめんじゃないわよ、猫といえども食う時は食うわよ。わたし、やる時はやる女よ!」
「わかった。もう何も言わない! ごめんなさぁいぃ……」
ナットは前足で両耳を固くふさいで、縮こまったまま小刻みに震えだした。分かればよろしい、と満足げにもう一度女の子をギュッとするミコ。
幸せそうなミコの腕の中で、女の子は静かにミコの鼓動に聞き入っていた。
それは確かな、人の生きている証拠。体をめぐる命の音。
女の子はゆっくりと目を閉じた。
「あら、日が暮れてきたわね。暗くなってきたわ」
西の空は雲に隠れ、代わりに一つの雲もない快晴の東の空から、真珠のような一番星が顔を出していた。
「ポセットくん、どこにいるのかしら?」
続きます。