その② 音のない森
大きくしなっていた枝がピンと跳ねて水平に戻った。その先からは真っ赤に熟れた実がすっかり奪われていた。
他の木にすがるように絡みつく、ツル状の植物も、その細いツルに鮮やかな紫色の実をいくつも実らせていた。
それもまたピンと跳ねたかと思うと、きれいに実が採られて緑だけになってしまった。
「たくさん採ってきたよ。ポセット!」
嬉しそうに駆けてきたナットの背に、器用に乗せられたポセットの帽子。そこには色とりどりの木の実が山のように摘んであった。
「おぉ、すごい。でも、ちゃんと食べられるのを採ってきた?」
「多分大丈夫。ポセットは?」
ポセットも上着をお腹のところで袋のようにして、そこにたくさん木の実を蓄えてきていた。
小さい実は機敏なナットが担当。ナットでは重くて採ってこられないような大きめの実はポセット担当。
大木の木陰に座り、日除けをしながらのランチタイム。
「たくさん見つかって助かったね。その日暮らしも楽じゃないよ」
ポセットはオレンジ色で楕円形の実をガブリと頬張って、幸せそうに顔をほころばせた。
「でもオイラはこの方がいいや。気楽で~……」
ナットも自分で採ってきた赤い木の実をパクリと口に入れた。途端に物凄い形相になって、真顔になって、ゴクリと飲み込んだ。
「ポセット、この赤い実美味しいよ」
「いらない」
「え! なんで?」
「今スゴイ顔してたじゃないか。どうせ渋かったんだろ」
ナットはちぇっ、と呟くと、適当に緑色の木の実を咥えてポセットに渡した。
「こっちの実は美味しいよ、きっと」
「はいはい、毒見ね」
ポセットは実を嗅いだり眺めたりした。見た目や匂いでは特に危険な感じはしない。そこで、ちょっとだけ潰してみた。実の皮が裂け、真っ白な液体がトロッと垂れてきた。
ナットが小さく歓声を上げる。
「やった、これは美味しそうだね!」
「いや、これはダメだ」
大体果汁が白いのは毒。食べちゃダメ。
「そもそも、こんなに白い果汁を見て美味しそうと思うナットがおかしいよ」
「えー」
「とにかく食べられないの。わかった? ――さてと、次はこれを見てみよう」
ナットが採ってきた木の実は大小合わせて十八種類あった。今ちょうど半分の九種類を調べ終わったが、食べられるのはその内の三種類で、美味しいものは一種類だけだった。
「なんだか残り半分も期待できないな」
「もう、なんで食べられないやつばっかりこんなに多いの!」
ナットは呆れるやら悲しいやらでかんしゃくを起こしたのか、まだ木の実が残っているポセットの帽子にバシバシと猫パンチを加える。
「動物も毒が入っているって知ってるんだよ。当然、食べられるやつは減っていって、食べられないやつは残るわけさ」
「ちぇっ、それじゃオイラが動物として劣ってるみたいじゃないか」
「まぁ、否定はしないよ」
「えぇー、否定してよ!」
話しながらも作業は続いていく。食べられないのは除けていき、全て調べ終わったときに、残っていたのはわずか四種類だった。その内、美味しいのは結局一種類。
食べられない方に避けられた山のような木の実と、食べられる方に除けられた一掴みの木の実を見比べて、ナットがため息をつく。
「これだけ採ってきたのに、こんなちょっぴりしか食べられないなんてさ。あんまりだよ」
唯一美味しい種類の木の実は三つしかなく、二つをナットが、一つをポセットが食べた。
変に酸っぱかったり、酸味が効きすぎていたりするような不味い実は、三種合わせて九つ。それでも貴重な栄養源。五つをポセット、四つをナット、全て残さず食べた。
ただ、ポセットの採ってきた実は、少ないがどれも美味しく食べることが出来た。
「ああ、なんだか、ちっとも食べた気がしないなぁ」
「ちっちゃい実は食べられるやつ少なかったもんね」
お腹は明らかに八分目以下。
「あれ? なんだかいい匂いがするよ、ポセット」
「何? 食べ物?」
期待に一人と一匹の胸が高鳴る。
「こっちだよ、ポセット!」
「急ごう! 別の誰かに取られないうちに!」
草の中を突き進む、ナットの小さい背中を追いかけて、足元に気をつけながら走っていく。苔の生えた場所で滑りかけたり、急な岩場でふらついたりしながら辿り着いたのは、たわわに実のなる大木だった。
「やったよ、ポセット!」
「いや、待て、まだ食べられるかわからない」
大木は太く立派で、前に立つだけで年季が伝わってくるほどの威圧感を持っていた。
リンゴほどの大きさの実が山ほど実ったおかげで、その太い枝もしなり、ポセットが手を伸ばせばすぐに手の届く高さだった。
匂いを嗅ぎ、皮を剥き、ちょっとしぼってみたり、眺めたり、最終的に一度舐めてから大きくかじった。
ナットが期待に胸を膨らませ、ポセットの顔を見上げる。
「ど、どう? 美味しい?」
「にっがぁ~い」
「えぇ! そんなー」
「嘘だよ、美味しい。ほっぺが落っこちそう」
ナットはやった、と飛び上がり、早速ポセットに一つ取ってもらった。前足でしっかり押さえて、ガブガブとかじりつく。
「美味しい?」
「美味しい!」
昼下がり。陽はより強くなり、同時に大木の木陰はより涼しくなっていった。
ポセットは木陰に座り込み、後ろに両手をついて、大きく天を仰いだ。葉の間から覗く日光は、木の葉が揺れるたび途切れたり、瞬いて見えたり、球体だったことを忘れたようにグニャグニャと形を変える。
「ねぇ、ポセット。オイラ眠くなったよ」
「寝てもいいけど、しばらくしたらすぐに出発……」
ナットは大きく欠伸をすると、くるくると小さく丸まった。しばらくすると、ちょっと膨らんで、しぼんで、また膨らんで……。まるで小さな黒い風船のように眠りに着いた。すっかり夢の中。
「しょうがないなぁ、もう……」
ポセットはまた天を仰いだ。目を閉じると、体を意識が満たしていった。
呼吸を止めれば、森の音が聞こえてきた。静寂という大音響。ポセットを包む、大自然の息遣い。太陽の日差しが、空を覆う木の葉の一つ一つまで染み渡り、何よりも煌めく緑が降り注ぐ。
「静かだ……」
それを前に、ポセットの声はあまりにも小さかった。
続きます。