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その⑩ 絶体絶命




 狼はだんだん数を増し、気がつけば下は見渡す限りの狼たちで埋まってしまった。吠えたてる者、なんとかよじ登ろうとする者、様子をうかがってぐるぐる回っている者。色々いるが、どの狼も狙っているものは一緒。


「もぉいやぁ~」


 半ベソをかくミコ。まるで干された洗濯もののように両手両足で枝にしがみつき、頬を枝に着ける。ナットも枝の上にちょこんと座りこんで、世にも奇妙な光景を目の当たりにしていた。


「どういうこと……?」


 空腹のあまり、木に登った一人の人間と黒猫に我先に食いつかんとしている凶暴な狼の群れ。しかし、その群れのまんなかにただ一人立ち尽くす女の子には、どの狼も見向きさえしない。女の子が完全にそこに居ないかのような、始めから存在すらしていないかのようなその様子は、不気味以外の何物でもなかった。


 ミコは女の子に必死になって呼び掛ける。


 ミコは、狼たちは自分を追うがあまりに目先の女の子に気付いていない、ばかめ。その程度に考えていた。


「早く逃げなさい! バカ狼が気付いていない、今のうちよ!」


 ところが女の子は獰猛に動き回る狼たちの波を掻き分け、大木の下まで歩み来ると、すっとミコへと手を伸ばした。


 途端に狼たちが動くのをやめ、しんと空気が冷たくなった。


 ナットの髭がピンと伸び、耳がピコピコ駆動する。ナットの中にざわざわとした嫌な気分が湧きおこった。


「待ってて、今引っ張り上げるから!」


 動きを止めた狼を見て、ミコはこれ幸いと右手を伸ばした。


「ダメだっ!」


 ナットが言うが早いか、女の子の小さな手が、ミコの細い指を越えて、その白い手首をがしりと掴んだ。


 ガクッと急な重さがかかって、ミコは今にも枝から落ちそうになりながら、女の子を引き上げようと力を込める。


「ダメだ、放して! その子を引き上げちゃだめだ!」


 奥歯をくいしばる。自分でも驚くほどの力が湧いて、女の子が少し浮いた。その時。


 がくん――。


「えっ?」


 視界が大きく揺れて、強い衝撃が背中に走った。


 気付けば大木がミコを見下ろし、ミコは仰向けで地面に倒れていた。


「何で……?」


 もちろん、誤って落ちたのではない。大木から、小さな女の子の手によって、引きずり落とされたのだった。


 女の子はまるで石で造られたような冷たい表情でミコを見下ろしていた。唖然とするミコの周りを、飢えた狼が取り囲んでいく。


「何してるの! 早く登って! ミコさん!」


 何をしていいのか分からなくなって、ミコはただ唖然としていた。低く鳴る狼の喉。


 一瞬の動き。ふと見れば、ミコの左肩には灰色の狼ががっちりと噛みついていた。ベージュの服に鮮血が一筋垂れ、不気味な赤の模様を作って落ちて行く。


 狼はそのまま二、三度首を大きく振った。ミコは体ごと揺さぶられ、肩からはさらに血が噴き出し、声も上げられないほどの恐怖と痛みが頭を駆け巡った。


「あぁ……! あ、うぁ……」


 喉から絞り出すように発した声は、言葉になることなく狼たちの騒ぎ声に消えてしまった。


 口をミコの血で赤く染めた一匹が、とどめを刺そうとゆっくり歩み寄ってくる。その後ろには、舌なめずりをして待つ狼の群れと、にこりともしなくなった女の子。


 ミコは一つの絵の中に居た。這い寄る狼どもはよく見れば黒い霞でかたどられていた。ついには狼の形を崩し、うずまき、大鎌を振るう死神へと変わる。そんな幻想に囚われた。


「ミコさん逃げて!」


 幻想を切り裂く救いの声。霞が消える。


 空から舞い降りたのは救いの天使ではなく、逆転の女神でもなく、ただの真っ黒い猫だった。


 ナットは前傾姿勢をとり、毛を逆立てて狼をにらみつける。獲物を前に邪魔に入られた狼の乱暴な前足をかわし、続けざまの牙もかわした。そして、剣と言うにはあまりにも微弱な、さしずめ花の棘のようなその小さな牙を狼の土臭い鼻に突き立てた。


 しかし、微弱な棘が多少刺さった程度では、狼が首を振っただけで振り下ろされてしまう。着地したナットを払う狼の前足。転がるナットを押さえつける牙。狼のほうはまるでサーベルのような、戦いの武器。ナットの体を引き裂くことなく、甘噛みの要領でがっしりと捕まえた。


「うわっ! くそ!」


 バタバタと体をよじらせ、牙から逃れようとするが、あまりにも力不足だった。後ろで見ている狼たちのざわめきが、愚かな猫を嘲笑っているように聞こえる。


「ミコさん、逃げてぇ!」


 そう言った後、ナットは背後の狼たちに向かって投げ捨てられた。その後、遠くでナットの悲鳴と、お手玉のように放り上げられる小さな黒いものが見えた。


 ミコは肩の痛みも忘れ、頭の中が真っ白になったまま、後ずさるように足を動かしていた。近づいてくる狼がただただ恐ろしく、残酷に見えた。


 ドンッ――。


「あ……」


 背が何かに当たった。背を伝う僅かな感触で分かる。どうやら、捨てるほど立ち並ぶどれかの木に当たったようだ。


 狼は一足飛びでミコの視界を掌握した。ミコの目の前にはもはや、狼の牙と深く暗い喉が見えるだけ。




お腹すいた。


まだ続きます。

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