テイマー
エヌ氏がこの世界に生まれ変わったとき、女神からさずかった力は「テイム」だった。
魔物を手なずけ、自分のしもべにする力である。前の世界で読んだ小説では、テイマーといえば、竜やフェンリルをしたがえて大活躍するものと決まっていた。
ところが、エヌ氏の力は、おそろしく弱かった。
森のウサギにも、野良犬にも、まったく通じない。冒険者組合の仲間たちは、エヌ氏を「はずれテイマー」と呼んで笑った。
ただひとつ、テイムできたのは、草むらで出会った小さなスライムだけだった。
*
それは、こぶしほどの大きさの、すきとおった水色のスライムだった。
雨上がりの森の小道で、葉っぱのしずくを、ぷるぷると体でうけとめていた。エヌ氏がしゃがんで手をのばすと、スライムは逃げもせず、するりとエヌ氏の手のひらにのってきた。
ひんやりとして、やわらかかった。
そのとき、エヌ氏の頭の中で、小さな鈴のような音が鳴った。
『テイムに成功しました』
エヌ氏は、うれしくて、その場で声をあげて笑った。
*
それからというもの、スライムはいつもエヌ氏の肩の上にいた。
朝は、エヌ氏のほおにくっついて起こしてくれた。食事のときは、パンくずをもらって、体の中でゆっくりとかした。夜は、枕もとで、月の光をすかして青白く光っていた。
エヌ氏は、スライムに話しかけるのがくせになった。
「今日は、どっちの森へ行こうか」
スライムは、返事のかわりに、体を少しだけ東へかたむけた。エヌ氏は、なんとなく東へ行った。すると、そこでかならず、いいことがあった。
*
ふしぎなことが起こりはじめたのは、それから半年ほどたったころだった。
東の森で、エヌ氏は、けがをした大きな灰色の狼に出会った。おそろしい牙をむいていた。エヌ氏は逃げようとした。だが、肩の上のスライムが、ぷるんと一度ふるえた。
エヌ氏は、なぜか、手をのばしていた。
『テイムに成功しました』
狼は、おとなしく頭を下げた。そして、エヌ氏よりも先に、肩の上のスライムに鼻をすりよせた。
それからは、まるで力がはね上がったようだった。
山の大熊。湖の大蛇。谷の巨大な鷲。エヌ氏の手がふれると、どんな魔物も、まるで長年の友人のように身をすりよせてきた。そして、どの魔物も、まず最初に、肩の上の小さなスライムにあいさつをした。
組合の仲間たちは、もうエヌ氏を笑わなかった。
*
二年目の春、エヌ氏は、北の火山にすむ黒い竜をテイムした。
三年目の夏には、魔王の城をたずねた。戦いには、ならなかった。魔王は、エヌ氏の肩の上のスライムを見るなり、玉座からおりて、うやうやしくひざまずいた。
エヌ氏のテイムは、とうとう人間にも通じるようになった。
最初は、意地悪な組合長だった。つぎは、税をしぼりとる領主。それから、王都の大臣たち。どの相手も、エヌ氏と会ったあとは、ふしぎなほどおだやかになり、エヌ氏の言うことに何でも賛成した。
四年目の秋には、国王がエヌ氏の前にひざまずいた。
国じゅうが平和になった。争いは消え、だれもがにこにこと暮らしていた。そして国じゅうのどの家にも、いつのまにか、小さな水色のスライムの置物がかざられるようになった。
*
世界でいちばんの力を手に入れたエヌ氏は、ある晩、ひとりで王宮のバルコニーに立っていた。
ふと、思った。
自分は、いったい何がしたかったのだろう。
東へ行ったのも、狼に手をのばしたのも、竜をたずねたのも、魔王の城へ行ったのも。どれも、自分で決めたような気がする。けれど、思いかえしてみると、そのたびに、肩の上のスライムが、ぷるんとふるえていた。
エヌ氏は、王宮の宝物庫へ行った。そこには、どんな者の力でも読みとれるという、大きな鑑定の水晶が置いてあった。
エヌ氏は、水晶に手をあてた。自分の力を、たしかめてみたことは、一度もなかった。
水晶の中に、白い文字がうかびあがった。
『名前 エヌ』
『職業 テイマー』
その下に、もう一行あった。
『状態 テイム済み 主 スライム』
日付は、四年前の、雨上がりの日になっていた。
*
エヌ氏は、しばらく水晶の前に立ちつくしていた。
肩の上で、水色のスライムが、ぷるんとふるえた。月の光をすかして、青白く光っていた。ひんやりとして、やわらかかった。
あの日、手をのばしたのは、自分のほうだったろうか。それとも。
エヌ氏は、スライムをそっとなでた。
ふしぎなことに、少しも、いやな気持ちにはならなかった。
それもまた、テイムされた者の、よく知られた特徴のひとつだった。




