戻らぬ時と進む時
電車の中で、何となくタイムラインを流していた。
指は勝手にスクロールを続け、目はほとんど内容を追っていない。
そこで、不意に止まった。
「老害は確実にいるけど、『若害』も確実にいるよね?w」
笑いの記号がついているのに、少しも軽くなかった。
むしろ、その「w」が、妙に引っかかった。
確かに、と思う。
年齢に関係なく、周囲を振り回す人間はいる。
若くても傲慢な人はいるし、年を重ねても幼い人はいる。
でも、同じ「害」という言葉で括ってしまっていいのだろうか。
目の前の優先席では、
スーツ姿の若い男が足を広げて座っていた。
その前に立つ杖を持った女性は、
何も言わずにつり革を握っている。
男はスマホに夢中で、周囲を見ていない。
見えていないのか、見ようとしていないのかはわからない。
若さは、時に視野が狭い。
自分のことで精一杯で、他人の存在が風景になる。
それは未熟さであって、まだ変わる余地のある状態だ。
一方で、昔、職場にいた上司を思い出す。
長年同じやり方を通し、誰の意見も聞かず、
「俺の時代はな」と繰り返す人だった。
部下が疲弊していることも、
時代が変わっていることも、
自分の言葉が誰かを削っていることも、
きっと見えていなかった。
いや、見えていたのかもしれない。
ただ、見ないほうが楽だったのだろう。
若さゆえの未熟さと、
長い時間を経ても変わらない頑なさ。
同じ「迷惑」でも、質が違う気がする。
若い頃は、世界が狭い。
自分の正しさが絶対で、反対意見は敵に見える。
それは経験不足の副作用だ。
痛い目を見れば、たいていは少しずつ修正される。
けれど、何十年も生きて、
何度も失敗や後悔を重ねて、
それでもなお、自分以外を顧みない人がいる。
それは未熟というより、選択だ。
成長しないという選択。
耳を塞ぐという選択。
力を持ったまま、変わらないという選択。
電車が揺れる。
若い男がようやく顔を上げ、目の前の女性に気づいた。
慌てて立ち上がり、席を譲る。
女性は小さく頭を下げた。
男は少し気まずそうに笑っている。
悪意はなかったのだろう。
ただ、見えていなかっただけだ。
若さは、未完成だ。
だからこそ、変われる。
年齢を重ねることは、本来、
視野が広がることのはずだ。
他人の立場を想像できる材料が増えることのはずだ。
それなのに、それを使わない人がいる。
「若害」という言葉は、確かに存在するのかもしれない。
でも、それは成長途中の歪みだ。
「老害」と呼ばれるものは、
成長を拒んだ結果の硬直かもしれない。
どちらも周囲を傷つける。
けれど、背負っている時間の重さが違う。
時間は、ただ過ぎるだけじゃない。
学ぶ機会であり、気づく機会であり、
他人を想像する力を育てる猶予だ。
それを持ちながら使わないのは、
やはり少し、重い。
スマホを閉じる。
タイムラインの軽い笑いは、もう流れている。
害になる人間は、どの世代にもいる。
けれど本当に怖いのは、年齢ではなく、
変わらないと決めた心なのかもしれない。




