遠見
白雲斎は更に遠見を勧めた。山中にあって空を見る。雲を見る。そして、天候の動きを知る。翻っては、天から見る積もりで自分自身を見詰め直す。
白雲斎の蔵書は、当然に限りないほどである。千代松が許しを得て手にしたのは日本書紀と墨子であった。
それを紐解いて読み続けて、書紀の一条にその目が留まる。
『舒明九年二月、大きなる星、東より西に流る。便ち音ありて雷に似たり……是に僧旻僧が曰はく、天狗なり。其の吠ゆる声雷に似たらくのみ、といふ』
千代松は目を閉じた。暗い闇の空である。しかし、星々が輝いている。漆黒の闇と彼方の輝きの中を飛行していく。耳元で風が鳴る。
目を転じれば、眼下には巨大な青い星。見詰める。その瞳も青く反射する。海が見える。島が見える。書紀には、大八洲国とある。更には峻厳な山の連なりへと視界が接近していく。山々を覆う巨木の常緑の緑が広がる。その緑の中に一点の茶色、茅葺の屋根である。
自分が眠っている。開いた半蔀から自分の寝姿が見える。千代松は、はっとして覚醒する。座したままに眠っていたのかも知れない。
いや、唯の夢ではない。紛れもなく大空に上がったように見た。不思議な経験ではあった。
千代松は教えを受けたことに感謝しつつ、書に読み耽り遠見をして、その合間には走る。
いつの間にか一年が過ぎていた。と或る日、長閑な春の空であった。白雲斎と千代松は、庭に出た。藪の向こうから鶯の声もする。眺めやれば、霞が空に柔らかく棚引いている。
「今宵は、冷えるやも知れません今のうちに、大根でも引いて参りましょう」
確かに眺めれば、霞の奥には僅かながらも叢雲が立っている。その夕べは北風となり、千代松の見立て通りに冷えた。風呂吹きの大根を食べながら白雲斎が言う。
「東国に向かう時が来たようだの」
千代松は深く頭を下げた。




