お辞儀する狐
京の都。
とは言え、洛外。
夕暮れ時の寺からの帰り道。
気配に振り返ると狐であった。
千代松が見詰めると、狐が目を細めている。
更に尾も振るではないか。狐も尾を振るのかと見れば、笑ったような気もするので一目散に家に走った。
帰ると顛末を話した。父の竹松、笑って聞く。しかし千代松が臥所に下がると、母親の、しげと顔を見合わせる。
「やはり、そうなるものでしょうか」
「いや、そうと決まったわけではあるまい」
利発な童で、勧めもあって畑仕事をさせるのではなく寺に通わせている。蔵書の史記や論語を読む。
初めは和尚の手解きであったが、今では自ら苦にせず読む。和尚としてはいずれは跡継ぎにしたいと考えるようだ。
狐はたびたび姿を見せた。初めは薄気味悪くもあった。が、狐が前足を揃えているので、親しみも感じて独り言の積もりに離し掛けた。
「随分きちんとした狐だね」
「有難うございます」
千代松は驚いた。
「お前は、人間の言葉が分かるのかい」
「いえ、若様が狐の言葉が分かるのです」
驚いたが、千代松は話に耳を傾ける。
「わたしは野狐でございますが、ハヤテと名乗らせて戴いています」
「若様とは、何のことだい」
狐は前足を揃えたままである。
「我らは、女化の原に住いしております」
深々と頭も下げた。
「女化の原の狐の長の娘に、八重様がございます」
狐の話が始まった。
「或る日のの頃、八重様が物陰に眠っておりますと……」
「大概、狐は夜に歩きますので、午には眠っておるものです。それで、狡賢い狩人が居りますから、寝場所を探されてしまったのです」
「狩人は弓矢を構えた。そこに偶さか、忠五郎という方が常陸の国の土浦のからの帰り道に通り掛り、狐が不憫と思い「えへん」と咳払い。八重様は目覚めて素早く身を隠したのです」
「獲物を逃がした狩人は怒り責めました。忠五郎様は仕方なく幾何か銭を払って許しを乞うたのです。そして、その夜の事にございます。忠五郎様の家をうら若き女人が訪れました」
「旅の者にございます。雨の道に迷って難儀をしていますとのこと。忠五郎様は優しき方、心よく宿に貸したのでございます」
「明くる日は、お礼にと家事に立ち働きます。折あしく雨模様で、翌日も宿を借りて働きます。その後は旅立つこともなく、何時しか二人は夫婦となり、子宝にも恵まれました」
「ところが、と或る望月の晩に、その月に酔ったのか八重様は、つい尻尾を出してしまいます」
「八重様は実は狐。それを見た幼子が、母親に尻尾と泣きます。ようやくに気を取り戻しますが、今は隠すこともなりません」
八重様は涙ながらに語りました。
「命を助けられた恩に人の姿で忠五郎様にお仕えしようと思いましたに、月につい過ちました。もはやお側には居られませんと、家を出たのです」
「後には、美しい玉が一つ残されました。不思議なことに、この玉は乳房代わりになりますもので、幼子は健やかに成長したのです。その子こそが、あなたの父上の竹松様に御座います」
「ところが、此の女化が原も戦乱に焼かれて、女化稲荷も荒らされて居ります。どうぞ、我々をお助け下さいまし。若様」
「若様は、やめてくれないかな」
「はい……千代松の……若様」
ハヤテはまた前足を揃えて、深々と御辞儀をした。
「それじゃあ同じだよ。まあ、いいや」
千代松は家に帰ると両親に報告した。
「本当でございましょうか」
聞き終えると、竹松は笑って頷いた。母親の、しげは俯いていた。
「わたくしは、女化が原とやらに参ってみたくなりました」
「参って、如何にする」
「分かりません。ただ、古里の助けに何かしらなりたいとは思います」
「そなたは私などと比べて実に賢い。寺の和尚も目を掛けてくれる」
父は暫し言葉を探し、また話を続ける。
「恐らくは狐の智恵を特に受け継いでしまったかも知れない。しかし、だからと言って、世を司る侍の家などでもなく一体何が出来ようか」
今度は、千代松は俯くしかなかった。
ところが、
「いえ、千代松なら出来ると思います」
そう言ったのが意外にも母の、しげ。
その声は小さくはあったが、千代松を奮い立たせるものであった。
千代松は顔を上げる。
「孔子は、十有五にして志を立てたと寺で学びました。ならば、わたくしも十五になるまでは学問を続けます」
「その後は、女化の原に参ります」
千代松は我が思いを定めて、それはハヤテにも語って聞かせた。
「十五の立志の歳には、女化が原に参ることを決めたよ」
「それは何時になりましょうや」
「あと、一年半だよ」
聞いて、ハヤテの尾は心なしか垂れた。しかしすぐに思い直したように前足を揃えてお辞儀をした。




