最終話 新天地は並走者とともに
晴れ渡る空と、風に揺れる青草。
泣き喚くセラと、立ち尽くす俺。
その横を、優しく微笑みながら歩いていくお婆さん。
……やれやれ。
「ほら、いつまでも泣いているとみっともないぞ」
すると、彼女はガバッと俺の足にしがみついた。
「絶対恐ろしい罰が待ってるよぉ! 私、これ以上下がるランクないのにぃー!」
今度は両手で頭を抱え悶え始めた。
そして、急に思い詰めた表情。
「まさか、神界を追放されるんじゃ……」
燦々と輝く太陽の下で、彼女はさらに喚き散らした。
アスファレイアでこれといった仕事をしていなかったのが効いてるんだろうな。
とにかくすごい怯えようだ。
「うわぁ〜〜〜ん!! 独りは嫌だよぉ〜〜〜!!」
「落ち着け。さすがに追放はないって」
確かにセラはおっちょこちょいだし、抜けてるし、あざといし、お金に目がない。
弁明の余地はないかもしれない。
健康ルーティンを守れればそれで良かったのに、結局面倒ごとに巻き込まれた。
それでも。
彼女との旅を思い出す。
セラはいつでも俺の話し相手になってくれた。
右も左も分からない異世界で、一歩間違えれば孤独だったかもしれない俺の側に居てくれた。
人にとって孤独は大きな病気の引き金になるくらいメンタルに及ぼす影響が大きく、危険な状態だ。
精神を病めば、積み上げた健康は最も容易く崩れ去る。
そう。
俺にとって何よりも大切なものを、彼女が支え続けてくれた。
その功績はあまりに大きい。
そして何より、セラが俺の魂を見つけてくれなかったら、こうして第二の人生を生きることができなかった。
「セラ」
涙で目を真っ赤にする彼女の前に、すっと手を差し伸べる。
「こんな時に握手する元気なんてないよ」
そっぽを向く彼女に視線を合わせるように膝をつく。
そして、救い上げるように、その白い手を包み込んだ。
「君はちゃんと成果を上げている。だから、胸を張って神界へ戻るんだ」
「セージ……」
セラはしゅんと俯いた。
「でも、けっきょく私は転生者のあなたを導いてないし…」
俺は静かに目を閉じた。
これまでの出来事を思い出し、それらを集めるように彼女の手を握る両手に意識を集中させる。
ゆっくりと。じんわりと温かさが広がっていく。
同時に、虹色の淡い光が俺たちの手を包み込んだ。
「これって……」
「俺に溜まっていたフォロワーを、全部セラに贈る」
セラは涙で濡らしたエメラルドグリーンの瞳を大きく見開いた。
「で、でもこれはセージの手柄だよ。私に受け取る資格なんて…」
彼女の言葉を遮るように、強くその手を握った。
「君は健康において最も大切なものを与え続けてくれた。これはそんな俺の、君に対する信仰心だ」
セラの瞳から大粒の涙が流れ落ちる。
「今までありがとう。本当に世話になった」
彼女は言葉を詰まらせ、何度も頷く。
やがて、彼女の体が光に包まれた。
「そろそろ行かなきゃ」
「ああ。神界の連中にもよろしく伝えておいてくれ」
ふわりと花の香り。
セラの細い腕にそっと包まれた。
無言でそれに応える。
「元気でな」
彼女はパッと俺から離れると、ひまわりのような笑みを浮かべた。
「それじゃ、またね♪」
優しいトーンで言葉を置くと、セラは光の粒となり神界へ戻っていった。
青空を見上げる。
輝く太陽。
少し温かい風が運ぶ草の匂い。
とても静かだ。
唐突に訪れた静寂に、彼女とのドタバタが日常になっていたことを痛感する。
「さて、行くか」
アスファレイアでの思い出に浸りながら、あの古ぼけた小屋へ向かい一歩踏み出したーーー。
ーーーあれから1ヶ月。
小屋に戻った俺は、生前に行っていたルーティンを再び習慣化し、心身ともに安定した生活を送っていた。
「ふっ ふっ ふっ!!」
『3、2、1』
『ピーーー。お疲れ様でした』
「ハァッ ハァッ ハァッ……」
地面に大の字に倒れ込み、肩で息をする。
ノルウェー式HIITも、今では1セット5分続けられるくらいパフォーマンスも上がった。
食材はシガリアまで買い出しに行けば今では栄養満点の貴重な食材も安く手に入る。
エクレールの尽力のおかげだな。
あれからセラとは顔を合わせていない。
元気にしているだろうか。
女神らしい仕事をほとんどせず帰った彼女だ。
新しい罰を受けている可能性もある。
……俺の信仰心が、少しでも役に立っていればいいが。
「さて、買い出しに行くか」
歩き出した、その瞬間――
「うっ…?!」
眩い光に、思わず目を閉じる。
鼻を撫でたのは、どこか懐かしい花の香り。
同時に、優しい温もり。
ゆっくりと目を開ける。
「やっほ〜!! 久しぶり〜♪」
セラのドアップ顔。
「近い」
「えー! いいじゃん、寂しかったでしょ?」
「そうでもなかったぞ」
「マジで?!」
顎が外れそうな顔をするセラ。
目が怖い…。
彼女は思い出したように俺の手を掴んだ。
「こんなことしている場合じゃなかった! 行こっ」
「待ちなさい。行くって、一体どこへ?」
まさか、また魔王討伐とか言い出すんじゃないだろうな。
「先に言っておくが、魔王討伐には行かないからな」
「何言ってるの? 神界ダラハラだよ」
「なるほど。神界ーーー」
………はい?
神界って、あの?
「待ちなさい。状況が全く飲み込めない」
すると、セラはパッと手を離し、俺に向き直った。
そして、ビシッと指差した。
「なんと! あなたは神々にヘッドハンティングされたのだ!」
な、なんだそれ。
「セージの健康知識を神界でも本格的に取り入れたいんだって」
本気か?
「すごいね。長らく人間を転生させてるけど、こんな事は今まで一度もなかったんだよ。皆んな大喜びしてるよ」
「俺のルーティンはどうなる?」
「神界でまた習慣にすればいいじゃん」
簡単に言ってくれる。
習慣化というのは難しいもので一年近くかかることもあるし、環境が変われば大きく崩す危険性もある。
それはこの世界に転生させられて痛いほど味わった。
セラは、恥ずかしそうに頭を掻く。
「ほんとのこと言うとね、セージが私にくれたフォロワーの異常な質と量が皆んなの度肝を抜いたんだ」
「それで、アスファレイアに置いておくのは勿体無いってなって、それで連れて行くことになったんだよ」
なるほど。そういうことか。
だが、俺は自分のルーティンを磨き上げることが生きがい。
「断る」
一瞬、セラが大きく目を見開いたと思った次の瞬間ーー、
野球選手も顔負けのダイナミックなヘッドスライディングで俺の脚にしがみついた。
「嘘だろ?! この状況で断るヤツいる?! 認めてるんだよ神々が!!」
「それはありがたいことかもしれないが、俺にはやらなければならないことがあるし」
セラは泣きまくってぼろぼろの顔をスネに擦り付ける。
「だから、それは神界でやればいいじゃん〜〜〜。頼むから一回くらい私の言うこと聞いてよぉ〜〜〜」
「そんなこと言われてもな」
すると、セラはすっと立ち上がり、静かに涙を拭った。
いつになく神妙な面持ちに、無意識に息を呑む。
「じゃあ、代わりにこれを受け取ってよ」
セラは、手のひらを前に出し目を閉じる。
すると、淡い光が手のひらに集まっていき、やがて小さな光のリングが出来上がった。
美しい。
人間で見るどんな宝石やアクセサリーよりも綺麗だ。
その神秘性はとても言葉では言い表せそうにない。
いや、それ以上に、これは無視してはいけない気がする。
そっとリングに手を伸ばす。
その瞬間、リングが一人でに宙に浮き、まるで意志を持つかのように俺の左薬指に収まった。
「え……?」
目の前のセラは、笑いを堪えていた。
「ま、まさか?!」
これは罠だ!
一度触れたら二度と離れないとか、神の言うことを聞かなきゃいけないとか、そういう類だ!
「はーはっはっ!! そのまさかよ! 最終話だと思って油断したわね!」
くそ。反論できない。
何より、こうなったら意地でも動かないのが彼女だ。
観念するしかないか。
諦めて彼女の前に手を出した。
細く白い手が握られる。
「セージはもう、私から離れないよ」
「それってどういう…」
ふと彼女の手を見ると、薬指に同じ光のリングが輝いていた。
「拘束や束縛しようなんて思ってないよ。あなたの魂を導くのは私の役目。これまでも、これからも」
「これは、その証。そして、私の想いの形。受け取ってくれると嬉しいな♪」
「どうせ拒否権はないのだろう? それなら付き合うしかない」
「ふふふ! わかってるじゃない!」
違う。そうじゃない。
これまで彼女が用意した怪しい神界のグッズの数々は、俺を閉じ込める要素は何もなかった。
なぜなら、本気で俺を肉体的・精神的に拘束しようと思えばいくらでもできるはずだから。
彼女は一度だってその力を行使しなかった。
そして、このリングも。
……ちゃんと言葉にしておくべきだろう。
「セラ。俺の魂を見つけてくれて、ありがとう」
一瞬、彼女のエメラルドグリーンの瞳がきらりと光った。
そして、ひまわりのような優しい笑みを浮かべる。
「どういたしましてっ」
彼女の握る手が少しだけ強くなった。
「さ、行こっ♪」
体が虹色の光に包まれ、ふわりと宙を浮いた。
「神界でやるHIITがどれくらいパフォーマンス上がるか楽しみだな」
「そこなの?!」
「安心していい。君用の新しいメニューもちゃんと考えてある」
「そんなの望んでなーーーーーーい!!!」
そうだ。
どこにいようと、誰がいようと関係ない。
比べる必要もない。
俺は俺の健康ルーティンを守り通す。
十分に生きられなかった母さんの分まで。
ずっと一人で積み上げてきた。
でも、今は違う。
隣で一緒に歩いてくれる人がいる。
「ほら、行くなら早く行こう。移動時間は短い方が効率がいい」
「ぎゃああああああ!! こんな最後の最後で本気出すなぁーーーーー!!」
懐かしさの混じるいつもの叫び声の心地よさに浸りながら、彼女の手を引き天高く飛んでいく。
新天地に踊る胸の高鳴りを抑えながらーーー。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、特別なことをしなくても、
淡々と続けることで世界は変わっていく、
そんな話でした。
彼らのルーティンは、きっとこの先も続いています。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。




