第32話 危険な関係性
何もない。
見渡す限り、白。
地平も空も境目がなく、世界そのものが溶けてしまったかのような、無機質な白だった。
その中心に、車椅子に座る女性の後ろ姿があった。
心臓が、ひくりと跳ねる。
――まさか。
その思考に応えるように、女性はゆっくりと振り返った。
『あら、聖司。どうしたの、こんなところで』
母さん。
変わらない笑顔。
変わらない声。
そして――何も変わらない。
動かない、その半身も。
「母さん。俺……」
『ずいぶん痩せたんじゃない? 体つきも男らしくなったっていうか』
言葉に詰まった、その瞬間だった。
ひまわりのような優しい微笑みが、ぐにゃりと歪む。
額から角が突き出し、背中から黒い翼が生え、皮膚が裂けるように変質していく。
血のように赤い三つ目が開き、こちらを睨みつけた。
『いいわね。あなたは健康そうで』
悍ましい口が大きく裂け――
化け物が、俺に飛びかかってきた。
「うわぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!」
「ブッ……?!」
「ハァッ、ハァッ……!!」
何か、殴った感触があった。
視界がぐらりと揺れ、胃の奥がむかつく。
頭の中が、ぐちゃぐちゃだ。
「セージ!!」
よろめいた俺の体を、何かが受け止めた。
鼻をくすぐる、ほのかで高貴な花の香り。
顔を上げると、ピンクシルバーの髪を揺らした女性が、エメラルドグリーンの瞳に涙を浮かべて覗き込んでいた。
「セラ……?」
「うぇ〜〜〜ん!! 良かったよぅセージ〜!!」
……ああ。
俺、気を失っていたのか。
体を起こそうとするが、妙に重い。
全身に、どっと疲労が溜まっている。
「うむ。命に別状はないようだな」
「ま、魔王グラト?!」
反射的に身構える。
「急に動くでない。また倒れるぞ」
「……どういうつもりだ?」
魔王の大きな手が、そっと俺の肩に置かれた。
「なかなかいいパンチだったぞ」
「……え?」
よく見ると、グラトの左頬が赤く腫れている。
……夢、だったのか。
そう理解した瞬間、無意識に深い息が漏れた。
「驚かせたのは詫びる。貴様の完成された肉体に興味が湧いてな」
「な、なんだって?」
グラトは腕を上げ、鋭い爪をこちらに向ける。
「肉体は雄弁だ。貴様が積み上げてきた年月と覚悟が、一目で分かる」
「そ、それはどうも……?」
「この世界の生命体でも見たことがないほど研ぎ澄まされた器。見事だ」
……褒められてる、よな?
「おいおい、とんでもねぇなセージ!」
「グラト様がここまで仰るとは!」
「ええ。本当にすごいわ」
三飽魔が口々に感嘆の声を上げる。
「ほら、神界でも話題になってるよ!」
セラがペアラSSを操作し、空中に立体映像を映し出した。
食材管理長『わぁ〜! 魔王のお墨付きなんてすごいね〜!』
財務管理室長『いつか私の専属トレーナーになってくれないかしら』
神界最高評議会会長『グラトにそこまで言わせるとは大したものだ』
……いや、盛り上がってる場合か?
魔王グラトが映像を覗き込み、寝転がったまま視聴している男性神を見つめた。
足元には長い肩書き。
主神兼神界最高評議会会長。
「誰かと思えば……貴様、アークトリアスではないか」
『おー。久しいな、グラト。元気にしているか?』
「お陰様でな」
主神と魔王が知り合いとか聞いてない。
セラは口笛を吹いて視線を逸らしている。
絶対、知ってたな。
『お主の炊いた米、こっちで大人気でな。また教えに来てほしい』
「……50ディヴァで請け負おう」
『了解ー。ディアクローネさま、手続き頼むわー』
スーツ姿の女性がため息を吐き、銀縁メガネを押し上げた。
胸元の「D」のピンが光る。
『はぁ……魔界案件は書類が面倒なんですよ』
『じゃあ一個2ディヴァの高級フィナンシェでどうだ?』
『……それで手を打ちましょう』
チョロい!!
モグリナが後ろで苦笑している。
映像が消え、グラトは何やら一生懸命メモを取っていた。
「『米の炊き方講習会』……と」
メモ帳……。
魔王、几帳面すぎないか?
「しかし困ったな。なかなか時間が取れぬ」
「忙しいのか?」
「エナドリ補充のため倉庫に寄って、その足でシガリアへ行かねばならぬ」
――シガリア。
「糖質依存の件か?」
「うむ。女王だけではない。行き過ぎた糖質は民をも蝕む。黙ってはいられぬ」
「それなら解決したぞ。結構前に」
グラトはメモ帳を落とした。
「まことか?!」
「あ、ああ……!」
揺さぶられて首がもげそうだ。
「……ようやく、あの国は真っ当になったのだな」
その涙を見て、確信した。
――この魔王、聖人だ。
「だが、一つだけ言わせてもらう」
「何だ?」
「エナドリも、立派な高糖質だ」
指を向けた瞬間。
全員、雷に打たれたように白目を剥いたーーー。
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