転生したのにテンプレが始まらないー溺愛して良いんですよ?ー
今回はちゃんと名前付けたよ!
転生令嬢 レクサンドラ・ロックフォード
執事 セイビス・チャントス ←こっちが主人公だよ
侍女 ジョセフィン
短編にしては長めなので、サクッとは読めませんが、楽しんで頂けると嬉しいです。
輝くシャンデリアに照らされた大広間。煌びやかな衣装を纏った貴族達が集い、その年のデビュタントとなる若い令息や令嬢達が優雅にダンスを披露していた。
「皆、聞いてほしい」
音楽が終わると王太子が声高らかに宣言する。その隣には可憐な令嬢が寄り添っていた。彼女は本来ならば、この場に立つ事は許されない。
「私は、ここにいる美しい令嬢に真実の愛を捧げ、民草の父となり、彼女と共に生涯、国に尽くす事を誓う!」
その言葉が終わるや否や、会場は歓声と拍手、そして真実の愛によって結ばれた恋人であり、婚約者達への祝福で包まれた。
令嬢はこの国に三家ある公爵家のうちの一家の長女で、王太子よりも二歳年下だ。本来ならデビュタントは二年後ではあるが、王太子の婚約者として、この夜会へと招かれた。妖精のような可憐な容姿とは裏腹に芯が強く、教養もマナーも完璧だと言われている。
王太子と令嬢のそばには、側近の一人である護衛騎士の令息と、その婚約者の子爵令嬢の姿がある。また、留学先から帰国したばかりだという、もう一人の側近の令息は、留学先で出会った伯爵令嬢を連れており、婚約目前だという。側近の二人は実力も人格も優れており、彼らの隣に立つ令嬢達も才女も名高い。
素晴らしい、めでたいことだ、我が国は安泰だ。
そんな、お祝いの空気が充満する会場の中に、ただ一人だけ顔面蒼白でブツブツと呟く人物がいる。
レクサンドラ・ロックフォード公爵令嬢。
「どして?こんなのおかしい。何でアタシじゃないの?さすがに、ここはアタシでしょ?」
華やかなドレスに身を包んだ金髪の令嬢が独り言を垂れ流していた。
彼女の背後に立つセイビス・チャントスは、この不審な令嬢の執事だ。
薄ら笑いと、分厚いレンズの眼鏡の奥にある、死んだ魚のような目が標準装備の若い執事。彼はお嬢様に尊敬という念は持ち合わせていない。
「裏ルートでも始まってるのかしら?」
またレクサンドラの奇行が始まってしまった。直ちに、隔離せねば。セイビスはさりげなくレクサンドラを休憩室に誘導する。部屋の扉を閉めた途端、お嬢様は絶叫した。
「やっぱり変よ!攻略対象っぽい男が誰もアタシにプロポーズしてこないなんて!」
部屋の壁を確認すると防音がしっかりしてそうな部屋だった。これなら外に声は漏れないだろう。
「コウリャク?王太子殿下方の事ですか?ハハハ、皆様、婚約者がおられるのに、他の令嬢に求婚するなどイカれた方々ではございませんよ」
「でも恋には抗えないのよ!」
「なるほど、あの方々はお嬢様に恋などしていないのでしょうね」
「分かった。あの人達、仲良いから、友達のために身を引こうとしちゃったんじゃない?友情を優先させるとか馬鹿じゃないの」
「不敬罪で斬首されますよ」
いい加減、その口を閉じろ、アホ令嬢。
セイビスはロックフォード公爵家に仕える一族出身だ。公爵夫妻も後継者の若様も素晴らしい方々だ。ロックフォードの臣下である事はセイビスの誇りだ。
しかし……
「王子に騎士、宰相の息子。絶対、全員、アタシのこと好きなのに!」
ロックフォード夫妻の娘レクサンドラだけは何かがおかしかった。
「お嬢様に惚れる理由などないでしょう」
「小さい時、何度も会ってたじゃない。子供の頃から思い続けてるってのが定番なのよ」
そんな定番聞いたことねぇよ。セイビスの心の声は少々乱暴であった。それは長年のストレスからくるものなので、頭の中で粗野に振る舞うくらいは許している。
「ああっ!」
「今度はなんです?」
「そうよ、三人は親友なのよ。抜け駆けなんてするはずないのよ……」
レクサンドラはニヘラァとした笑いを浮かべたので、セイビスは嫌な予感がした。
「アタシ、三人に監禁されちゃうかもぉ」
んな訳ねぇだろ。
次代の国王と側近達を変態扱いするな。
「そっかぁ、そうきたかぁ。困っちゃうなぁ。でもぉ、一人に決めたら他の人が可哀想だしぃ」
「……はぁ、では早く屋敷に戻りましょう」
「そ、そうね!帰りましょう、帰りましょう」
珍しく、ただをこねずに馬車に乗ったかと思ったら、タウンハウスに到着するとレクサンドラは顔をしかめた。
「何で、ロックフォード家なの?」
「他に行く所なんぞ、ないでしょう」
「普通、使用人は途中で入れ替わってるか、買収されるかしてて、愛されお嬢様は誘拐されるのよ。気付かずに馬車を降りたら“キャ!ここはどこなの?”みたいな感じで。その後はアタシのために用意された隠れ家で、めくるめく三人に愛されちゃうはずなのに」
「お嬢様はお疲れだ。すぐに寝支度を」
セイビスはレクサンドラを無視して侍女達に指示を出す。使用人達もレクサンドラの不可解な発言を気にする事なく、粛々と準備を開始する。
この通り、レクサンドラのおかしな言動は今に始まった事ではない。物心付いた頃は、幼児にしてはしっかりとした受け答えをし、学問、特に数学に関しては目を見張るものがあった。しかし、突如レクサンドラは学習を放棄する。
「アタシの優秀さがバレたら頭脳労働奴隷にされちゃうわ!」
公爵夫妻も兄の若様も、公爵家の者として必要な教養を得るべきだと諭したが、聞く耳を持たず、自室にこもって妙な工作を始めた。
酸っぱいタレ、質の悪い石鹸、肌荒れしそうな化粧品や入浴剤、見たことがあるような玩具など。
既にもっと品質の高い品々が世に出回っている。酸っぱいタレは具なしのタルタルソースだろうし、石鹸などは形状は異なるが自分でも使っているはずなのに、何故気が付かない。
特に小さな丸く平たい白と黒のパーツを盤上でひっくり返す遊戯を見た際の、公爵夫妻の動揺は酷かった。既にリバーシと呼ばれる赤と青の遊戯は存在しているし、例え玩具でも白と黒が争うなど好ましくない。
かつて、この国は二つの巨大派閥による諍いが激化しており、その争いのせいで国内情勢は悪化。このままでは国は衰退していくと、中立であった王家とロックフォードが建て直しを行ってきた歴史がある。
その二つの派閥を象徴するのが白と黒だ。現在でも白も黒の組み合わせは「不和」の象徴だ。ロックフォードの令嬢が白と黒を戦わせる玩具を世に出そうとするなど許されない。レクサンドラは教養と歴史の講義を拒否しているため、知らなかったのだろうが、それで済まされないのが高位貴族だ。
公爵夫妻はレクサンドラに理由を説明し、発明を禁止した。これを機に勉強を再開させようとしたが、レクサンドラは講義から逃げ出し、こっそり出入りの商会を呼び付け、共同開発と販売を持ちかけていた。既に存在している商品を、あたかも自分が考えたように、説明する幼いレクサンドラに商会の者達は戸惑っていた。幸い、当時の執事であったセイビスの父が止めたのだが、レクサンドラは何を勘違いしたのか、それはもう得意げな顔で言った。
「アレ?アタシ、何かやっちゃいましたか?」
何かじゃねぇわ。
当時、侍従としてレクサンドラに仕えていたセイビスは不覚にも怒鳴りそうになった。
レクサンドラは止めても聞く耳を持たず、周囲を困らせ、段々とそれは公爵家以外のもの達にも及んだ。
親子での参加が可能な園遊会。母親が刺してくれた美しい刺繍のリボンを友人達に褒められていた子爵令嬢がいた。リボンには可愛らしい小鳥が舞っており、沢山の少女達が見せて欲しいと、集まってきたのだが、一人の令嬢がリボンに触れた際、解けてしまった。謝罪する少女に対して、持ち主の少女は、また結んでもらうから問題ないと答え、和やかな空気に包まれていた。
しかし、それをレクサンドラはぶち壊した。
「今すぐ、そのリボンを返しなさい!」
レクサンドラはリボンを奪い取ると、持ち主の令嬢に「髪飾りを買ってもらえないからと言って恥じる必要はないわ」などと言い出した。レクサンドラの物言いの方が失礼だ。さらに周囲の令嬢達に「この子がリボンしか持ってないからと言って馬鹿にするなんて酷いわ!」と的外れにも怒鳴り、令嬢達を怯えさせる。また乱暴に取り上げたのでリボンには握った跡が残り、刺繍もほつれてしまっていた。だが、公爵令嬢に文句を言う事はできず、可哀想な子爵令嬢は涙目でレクサンドラに礼を言う他なかった。
他にも、幼いながらも常に笑顔を絶やさず、周囲への気配りに長けた令息には「貴方の笑顔、変よ。無理して笑う必要ないのよ」などと宣った。その時、彼は親しい友人達とチェスに興じていた。少年は格下ではあったが侯爵令息で、多少は物申しても不敬ではない。彼は自分は友人達と心から楽しいと思って過ごしていると、反論を述べたのだが、レクサンドラは「可哀想な人」と言って去っていった。可哀想なのはお前の頭だ。
問題が起きるたびに、公爵夫妻もレクサンドラの兄も側仕え達も諌めたのだが、何故かキリリとした顔で言うのだ。
「わたくしは、わたくしの正しいと思った事をしてるだけですわ!」
普段、注意しても「アタシ」と言うくせに、格好付ける時だけはレクサンドラの一人称は「わたくし」になる。
そんな歩く不愉快令嬢レクサンドラは、さらにとんでもない事をしてしまう。王宮で開催された王妃殿下主催の茶会で王太子殿下に妄言を吐いたのだ。
「わたくしとの婚約がご不満なら、いつでも辞退しますわ」
王太子とレクサンドラの婚約の事実はない。おまけに、この物言いではロックフォードが王家を格下だと侮辱するしているようではないか。
王太子はさすがに少し驚いたようで、しばらくレクサンドラを見つめ返すと微笑んだ。
「そんな必要はないよ」
レクサンドラは王太子の言葉を聞いて満足そうな顔をつくると、その場から立ちさった。レクサンドラの姿が見えなくなると、王太子は周囲の側近候補達に言ったそうだ。
「婚約などしていないのだから、解消する必要もないな」
その場には未来の王の側近候補だけでなく、いずれ中央政治を担う優秀な令息達がいた。当然のごとく、公爵令嬢の意味不明発言は彼らの家族にも共有され、王家はもちろんの事、高位貴族からの縁談もなくなった。
公爵夫妻はこの不敬と不始末のために、各方面へ奔走する。そして、これ以降はレクサンドラの外出を控えさせるようになる。
愛国心に溢れ、忠義に厚い誇り高きロックフォードの令嬢が次代の国王を侮辱した。
奥様は自分の教育が悪かったのだと泣いていた。気丈で気高い奥様が涙したと知った使用人達には、自分達の不甲斐なさに打ちひしがれる者が続出し、レクサンドラ付きの執事であったセイビスの父は責任を取って公爵家を辞すと言い出した。
父の献身を知っている公爵閣下は辞職を留まるよう伝え、配置転換とする事とした。そうして、セイビスがレクサンドラの執事に抜擢されたのだ。それはセイビスが18歳時だ。だが、セイビスの役目はお嬢様に尽くすことではない、ロックフォードの怪物を抑えるのが役目だ。
王太子や側近の令息に求婚されるかもと、めかし込んで出向いた夜会の翌朝。
「目が覚めたら“知らない天井だ……”とかなると思ったのに」
美形の男達に攫われる設定は続いていたようだが、セイビスは無視を決め込んでいた。
「でも攻略対象が三人って少ないわよね。他にも美形がアタシに恋焦がれていても良いはずよ。そもそも、アタシの相手は、あの三人じゃないのかしら……」
「朝食の準備が整いました」
「皆んな、聞いてちょうだい」
レクサンドラが畏まって何か言い出す時は、大抵がろくでもない。
「しばらく、一人で考察したいの。良いと言うまで部屋に誰も入らないで。良いわね、セバスチャン」
「セイビスです」
レクサンドラは何故かセイビスをセバスチャンと呼んでいる。曰く、執事はセバスチャン以外は認められないらしい。親しい使用人を独自の愛称で呼ぶ風習もあるが、セイビスはレクサンドラに親愛の念もないので、その都度、訂正している。
しばらく外で待機しているとすぐに報告が入った。ロックフォードの怪物を本当に一人きりにするなど、あり得ない。常に、その動向を監視しているのだ。
一見すると、レクサンドラは部屋で独り言を呟いているようだったが、よく聞けば何者かに話しかけていると言う。
「一体誰と話していると言うのだ」
「それが……」
「なんだって?」
レクサンドラは潜んでいるであろう影に声を掛け続けているらしい。
「しかも、お嬢様は影を心に傷を負った孤独な青年だと思っていらっしゃるようで、励ましておられます。また、その影は常に一人でお嬢様を見守ってきたらしく、お嬢様は彼の瞳を見て感謝の意を述べたいので姿を現して欲しいと」
「新しい妄想か」
ちなみにレクサンドラの自室に配備している影は複数おり、殆どが女性で交代制だ。しかも、今現在、レクサンドラが話しかけている影は大ベテランで子沢山のマダムだ。
「他害の可能性がないようなら放っておけ」
若いご令嬢というのは恋に憧れがちだが、レクサンドラの場合は自分が相手に恋をするのではなく、自分に関わった男達が自分を愛しているという妄想を繰り広げる。その相手は、容姿が整っており、高い能力を持つ優秀な高位貴族の令息や王族、大商人の息子や高名な若き神官や芸術家など。公爵家としては、間違っても迷惑をかけたくない相手ばかり。
無駄に男を見る目はある。
今回の妄想相手は、影として生きる天涯孤独の薄幸の美青年だ。存在しない相手なので、ひとまず安心だろうと思った矢先。
「大変です、妄想内容が変わりました!」
「なんだと!」
おまけにレクサンドラは急に自室を飛び出したというではないか。
「何処に行った!?」
「恐らくですが……」
セイビスは使用人専用区域を走り抜ける。使用人のみが立ち入る場ではあるが、公爵家の屋敷は広大だ。使用人専用と言えども、ちょっと小走りすれば外に出られるなどと可愛らしい広さではない。
「お嬢様暴走中、お嬢様暴走中!レベルC!直ちに、確保せよ!」
セイビスの言葉を聞いて使用人達は直ちに動き始めた。レベルCは場合によってはロックフォードに大きな被害が出てしまう規模である。
「今回のターゲットは誰なの!」
「若様だ!」
「何ですって!?」
「血の繋がった兄君だぞ!」
レクサンドラは10代半ばを過ぎてから、行動力が飛躍的に上昇、妄想の翼を広げるだけでなく、自分を愛していると決め付けた男の元へと飛び立ち、勝手にラブロマンスを繰り広げるという奇行を繰り返してした。
ちなみにレベルSの相手は、二年前に訪問した同盟国のトゥティモ・ヤヴァ・イ帝国の若き皇帝である。その時は侍女達の制止を振り切って突撃しようとしたので、やむ無く睡眠薬を仕込んだ得意の吹矢で仕留めた。
レクサンドラはいつまでたっても反応のない影の男に痺れを切らし、新たな妄想に舵を切った。
そもそもロックフォードという高貴な血を引く若く美しい令嬢に縁談の一つもないのは異常だ。もしや、誰かが邪魔をしているのでは?そんな事が出来るのは、両親だが、彼らがそんな事をする理由はない。他に可能なのは、後継者である兄だが、兄が自分を家から出さない理由は何だ?兄の小言はうるさいが、可愛がられている自覚はある。
「ハッ!ま、まさか兄妹物なの?」
そう言えば、親戚のオバハンから兄妹なのにあまり似てませんねなどと言われた記憶がある。もしや、兄と血縁関係はないのか?
「確かめなきゃ!」
レクサンドラの目から見ても兄は非常にカッコ良く、物腰は優雅で気品に溢れ、公爵家の跡取りとして申し分のない能力を兼ね備えている。まさにヒーローに相応しい男性だ。どうしても好きだと言うなら考えてやらんこともない!
「お兄様はどこ!?どこにいるの!?」
レクサンドラが令嬢とは思えぬ速さで屋敷を爆走している頃、セイビスは怪物捕縛の準備を開始していた。
「ターゲットの近くで罠をはれ!」
「若様はサンルームで婚約者様とお茶を召し上がっていらっしゃいます!」
よりによって婚約者様がいらっしゃってる日に暴走するとは。早く仕留めねば、若様が変態シスコン野郎と誤解されて破談になってしまう!
若様には選び抜かれた護衛や側仕えが付いている、しかしレクサンドラは想像の斜め上を軽々と超えてくるのだ。以前、公爵家で開催した園遊会で、出会いを求めて、いもしない猫を助けるために木の枝に登り、降りれなくなって大騒ぎした事例がある。
「どいて、セバスチャン!イケメンに抱き止めてもらうから!クッションを並べないで!」
「セイビスです。この裏庭は立ち入り禁止となっておりますので、どなたも現れませんよ」
その姿は南方に生息している「ナマケモノ」そっくりであった。とにかく何をしでかすか分からない。
しかし、セイビスがサンルームに到着すると、予想に反して、和やかに若様と婚約者のご令嬢は談笑していた。そこへ侍従が現れ、セイビスに耳打ちする。
「ランドリーメイド三名が“ロックフォード騎士団の入団試験にとんでもない美形の男が参加している”と偽情報をお嬢様の前で噂したとの事です」
「でかした。家政婦長に言って、その三名に特別有給休暇を出してやれ。それから私のポケットマナーから金一封を出す」
レクサンドラは騎士団の訓練場に突撃し、試験の見学を強行。ただし受験者は皆、ゴリンゴリンのゴリマッチョばかり。噂の美形の姿はなく、すごすごと自室に戻ってきた。
そして、その夜。話しを聞いた奥様に嗜められた。
「間違いなく、貴方達兄妹は私が生みました。愚かな妄想に走るのはやめなさい」
「でもっ、血が繋がっていたとしても、お兄様のアタシへの愛は止まらないわ!」
だから、なんて惚れられてるのが前提なんだ。若様は理想が高いのだぞ。
当の若様は雅な微笑みを浮かべると、割とキツめにレクサンドラを拒絶していた。本当に嫌なんだろう。
「血縁関係があろうがなかろうが、レクサンドラを恋人にしたいとも思わないし、結婚なんてごめん被るよ。気色悪い事を言わないでくれ」
はっきりの嫌いだと言われたレクサンドラだったが、落ち込んではいない。
「やっぱ、倫理的にナシよねー。そうだと思ったのよ、いくら可愛い妹でも、さすがにそれはないわよねぇー」
ロックフォードの怪物は「反省」という言葉を知らない。その脳は異常な自己肯定感の高さで構成されていた。何なのだ、そのブレない前向きさは。
「じゃあ、残っているのは……」
晩餐後、レクサンドラは自室で焼き菓子をガリガリとかじっている。マナーの講義も放棄していたので、優雅さの欠片もない。口元に菓子クズを付けたレクサンドラはずらりと並んだ侍女の一人に目をやった。
「ジョセフ、アタシに何か言うことなぁい?」
「ジョセフィンです。お嬢様」
ジョセフと呼ばれた侍女は歩み出ると言った。
「では、ご報告致します。来週でお暇を戴く事になりました」
「ええ、そう、おひま……やめんの!?うっそお、何で?」
「妊娠しましたので」
「はああ?変な冗談言わないでよ!」
「本当です。夫も私と生まれてくる子供を第一に考えようと言ってくれてますので」
「夫!?BL!?この世界、男も妊娠できんの?!」
レクサンドラがまた訳の分からない事を言い出した。暴れて身重の女性に何かあったらいけないとセイビスは二人の間に立つ。
「ジョセフィンは紛れも無く女性ですよ。男性は彼女の双子の兄のジョセフです」
「セイビス様……」
ジョセフィンが気遣うような視線を向けてくるので問題ないと伝える。
「ジョセフィン?ジョセフィン?あー!」
「思い出しましたか?」
「何で、勝手に交代してるのよ!アタシの侍女はジョセフだったでしょ!」
「ちゃんと、ご説明しました。男性を侍女にする事は宜しくないので、ジョセフィンと配置変えをすると。お嬢様も“あー、ハイハイ、そうゆうことね、おっけー”と仰っていたでしょう」
「そ、それは、対外的に“ジョセフィン”って言ってるだけで、中身まで変わってるなんて思ってなかったのよ!」
レクサンドラはジョセフィンが辞めるなら、ジョセフを戻せと言い始めた。
「ジョセフは王都以外で騎士をしております。妻も子もいるので配置変えは難しいでしょう」
「何ですってえ!?恩あるアタシに内緒で結婚!?」
ギィギィうるさいので、セイビスはもう完全にネタバラシをする事にした。
「彼らはお嬢様に恩義などありません。ジョセフィンもジョセフも孤児ではないのですから」
「ええええ!?」
遡る事10年前。その頃、レクサンドラは公爵夫妻から貴族と関わるような外出は禁止されていた。だが、その代わり、王都へと繰り出すようになる。旦那様方も幼い娘を完全に閉じ込めるのは、胸が痛んだのか、必ずセイビスと護衛や側仕えを連れて行く事を条件に許した。
最初はカフェでお茶をしたり、平民でも裕福層向けの小物屋やジュエリーショップなどで買物をするなど、割と普通のお忍びの外出といった様子だった。ところがだ、王都の教会に併設されている孤児院を発見した時から、常軌を逸した行動に出た。
孤児を引き取ると言い出したのだ。だが、我が国では孤児を迎え入れる事が出来るのは成人してからだ。当然だ、子供が子供を育てるなど認められない。しかしレクサンドラに説明しても聞き入れはしない。
「法律がなんです!わたくしは、哀れな子供を救いたいだけですわ!」
だから、国がダメって言ってんだよ。ただをこねるレクサンドラを無理やり馬車に押し込めて屋敷に帰ると、とんでもない事が発覚した。
レクサンドラはセイビス達の目を盗み、気に入った少年を馬車内の座席の下に隠して連れ帰っていたのだ。誘拐だぞ、お前。
「おとうちゃん、おかあちゃん……」
「大丈夫よ、アタシがいるわ!」
ほろほろと涙を溢す少年をレクサンドラは抱きしめたのだが、少年は見るからに怯えている。無理やり連れてきたとセイビスは確信した。
少年に身支度をさせると適当に誤魔化して、レクサンドラから引き離し、話を聞くと、やはり有無を言わさず馬車に乗れと命令されたと言うではないか。
「いいから乗って!アタシが大丈夫って言ったら大丈夫なのよ!」
しかも、少年は孤児ではなかった。教会では、行商や出稼ぎなどで、親が長期不在となる際、孤児院で一時的に子供を預ける事が出来るのだ。
「お、おれ……おとうちゃん達は帰ってくるって言ったんです。だ、だけど……」
レクサンドラの中で少年は両親の死を受け入れられない哀れな子供とされ、攫われてしまったのだ。
「怖い思いをさせて、すまない。二度と君の前に姿を見せないようにする!約束する!」
レクサンドラは罪もない子供にトラウマを植え付けた。すぐにセイビスは少年を孤児院へと送り届け、公爵夫妻に報告。この誘拐騒動を重く見た旦那様はレクサンドラをロックフォード領に移動させた。
これで少しは落ち着くかと思われた。しかし、この頃はまだ、お嬢様は8歳の幼い少女。皆、レクサンドラの異常さを甘く見ていたのだ。
孤児を引き取るという事に執着したレクサンドラはカントリーハウスを抜け出し、一人、領都の孤児院へと突撃した。そして、目ぼしい少年を連れ去ろうとするのだ。何度言ってもやめない。
「助けを求めている子供がそこにいるのよ!」
誰も求めてねぇよ。しかも、狙うのは本当の孤児ではなく、預かっている子供達ばかり。レクサンドラが気に入る子供は見た目が良い。一時的に孤児院に滞在している子供達の方が、孤児達よりも身なりが整っているのだ。
レクサンドラは怪物だ。こいつを抑え込むには正攻法ではダメだ。セイビスは一計を案じる。
セイビスは公爵家に支えている一族の中で、使用人見習いになれる年齢で、機転がきき容姿の整った子供を探してもらい、偽の孤児と仕立てる事にした。
その時、抜擢されたのが男女の双子のジョセフとジョセフィンだ。彼らは12歳だった。
案の定、美少年のジョセフにレクサンドラは食い付いた。ジョセフだけを連れて行こうとしたので「兄と妹を引き離そうとするなんてヒドイなぁ」と大きい声で呟くと「あ、別に忘れたんじゃないわ、あなたも来ても良いわよ」などとレクサンドラは無神経さを炸裂させた。
こうして、セイビスは怪物を騙す事に成功した。しかし予想外な事が起きる。レクサンドラはジョセフを侍女にすると言い出したのだ。
「ジョセフは侍従見習いです。侍女見習いはジョセフィンでしょう」
「侍女になった方が、アタシと一緒にいられるし、その方がジョセフも喜ぶわ!」
言い出したら聞かないレクサンドラは、ジョセフに侍女のお仕着せを着せて大騒ぎだ。
「かわいーん!女の子みたーい!」
ジョセフの瞳には既に輝きが失われていた。
「どんな形でもロックフォード家のために働きたいのです」と話していた健気な少年だったのに。
レクサンドラはお気に入りのジョセフを常に連れていたが、すぐに女装は限界となった。成長期だ。元々、高身長の家系だからか、ジョセフはニョキニョキと背が伸び、筋肉が付いてきた。とてもじゃないが女の子には見えない。本人も精神的にキツそうだ。
「もう、無理です……」
「そうだよな、申し訳ない」
8歳の少女が少年に女装をさせるなどという、変態的性癖を発揮させるなど誰が予想しただろうか。セイビスは己れの甘さを痛感する。いや、そもそも美しい少年を怪物に当てがおうとした事自体が過ちだったのだ。
ただ、ひたすらセイビスは己れを恥じた。
そして、決意する。
もう誰もあの怪物の犠牲にはしないと。
翌日、強制的にジョセフを怪物から引き離すべく、妹のジョセフィンを侍女に変えた。文句垂れようが、ここは譲らん!と思っていたが……
「少年を女装させて侍女見習いにするというのは外聞が悪過ぎます。本日から、お嬢様の侍女見習いはジョセフィンです!」
「あー、ハイハイ、そうゆうことね、おっけー」
意外にもアッサリと受け入れたので、驚いていると、後でジョセフィンから「お嬢様は私の事をジョセフだと思ってるようです」と聞いた。ジョセフは声変わり始まっていたし、ジョセフィンは女の子らしい声だ。顔が似てるからと言って何故気がつかないのだ。
「そう言った理由により、ジョセフィンにもジョセフにもお嬢様に恩義は御座いません」
セイビスは呆然としているレクサンドラに言い放つ。ちなみにジョセフは女装を強制されたため、レクサンドラを嫌っている。
レクサンドラはしばらく黙っていたかと思えば、次の瞬間、ガアアーー!という咆哮を放ち、地団駄を踏み始めた。
「何で!何で!何で!何で!何で!何で!何で!」
そして、あたりにある物を投げ始めたので、セイビスは一旦、部屋にいる側仕え達を避難させようしたが、レクサンドラの放った花器がジョセフィンに向かって飛んでいくのが目に入り、ジョセフィンの前に体を滑り込ませる。
「あぶな……ゴッ!」
ジョセフィンを庇ったセイビスの頭に花器が当たり、床に砕けた破片が飛び散った。ぬるりとした液体が頭を伝って降りてくる。見れば眼鏡も吹っ飛んで割れていた。
「キャーセイビス様がお怪我を!」
「誰か、お医者様を呼んで!」
「いや、見た目ほど酷くない」
「では、これを使って下さいませ!」
ジョセフィンに渡されたハンカチで傷を押さえていると、突如、全身に悪寒が走り、冷や汗が出てきた。振り返ると、レクサンドラがギラ付いた目で自分を見ている。しまったと思った時には遅かった。
「眼鏡取ったらイケメンきたあああ!」
絶叫して飛び掛かってる怪物をかわすと、無様にもゴロゴロと転がっていく。
不味い事になった。セイビスは顔がとても良い。レクサンドラに仕える事になった当時、執事をしていた父は「万が一という事もある。これを外してはならない」といって、分厚いレンズの眼鏡を渡した。それは、かけている本人の視界には影響はないが、側から見ると非常に目が小さくみて、アンバランスな印象を与える。
「えぇ、もぉ、ヤダァ。イケメンいるじゃあん」
獣に発情されるという気色の悪さに吐き気がした。父の判断は正しかったのだ。
「大丈夫よぉ、セバスの気持ちは分かってるからっ」
「チャントスです」
愛称が省略され、さらに親密な印象になった。もはや名前さえ、呼ばれたくもないセイビスは家名を名乗った。
「才気あふれる美少女に長年尽くしていたら、美少女は才色兼備へと成長し、その忠誠心は気が付けば愛に変わる……なんてね。デゥッフ」
「私は妻を愛しているので、冗談でも、そのような世迷い言を吐くのはおやめください」
「もう、妻だなんて気が早いわよ!でも、わたくしの答えは決まっているわ」
「……愛する妻と結婚しているので、レクサンドラ様と結婚する気はありません」
「そう、結婚……はああ、結婚!?身分違いに悩んで妥協しちゃったの!?諦めたら、そこで試合終了なのよ!今からでも遅くないわ、早く離婚してくるのよ!」
やはり怪物は言葉を操る事は出来ても、話を理解する事は不可能らしい。レクサンドラにまとわり付かれたジョセフをはじめとした男性達は、これほど不快で恐ろしい思いをしたのかと痛感する。
セイビスは薄笑いをやめて「無」となった。
「私は、レクサンドラ様を、愛して、おりません」
「え、でもぉ」
「私は、レクサンドラ様を、全く、全然、少しも、愛して、おりません」
「……いや、可愛いお嬢様に仕えてたら、いつのまにかってのはあるんじゃなあい?」
「それは、全使用人に対しての侮辱です」
場合によっては主人にそう言った想いを抱く者もいるかもしれない。しかし、それは相手が尊敬でき、魅力があればの話だ。
「少なくとも、レクサンドラ様に仕えている使用人にそのような感情を抱いている者はおりません。断言します」
セイビスの周りにいる男性使用人も護衛騎士達も同意するように頷いた。その断固たる空気感は、さすがのレクサンドラにも伝わったようで……
「ホンギャアアーー!」
再び、絶叫した。
そして、地団駄からの大暴れ再開。
「皆、避難しろ!ここは私が引き受ける!」
「セイビス様を一人残しては行けません!」
「貴方はお怪我をしているのですよ!」
「私一人ならどうとでもなる!ジョセフィンを頼む!」
「クッ!必ず戻って参ります!」
「どうか、ご無事で!さ、ジョセフィン来るんだ!」
「セイビス様ー!」
使用人と護衛騎士達が荒ぶる怪物から避難を開始した時、奇声を挙げていた怪物は人語を話した。
「せっかく転生したのに、どうして溺愛されないのよおおー!」
その言葉に皆は固まった。
「お嬢様、今何と?」
「へ?」
急に皆から注目を浴びたレクサンドラは、コホンとわざとらしい咳払いを一つすると、それはそれは見る者を苛つかせる得意顔をつくった。
「実はわたくしには、前世の記憶があるのです。それも、異世界の。ふふっ」
セイビスは深く長いため息を吐き出したい衝動をこらえる。
「なるほど、分かりました」
「驚くのも無理ないわ。突然こんな事を言い出したら信じられないでしょうけど、本当なのよ」
「かしこまりました。お嬢様は異世界転生者でいらっしゃいますね。では、皆は部屋を片付けくれ、それから旦那様にご報告を」
「ちょっと!本当なのよ!」
「疑ってはおりませんよ。むしろ、納得がいきました」
「え?え?え?」
転生。
この世界には魂というものがある。魂は肉体に宿り、その生を全うすると、また別の肉体に宿る。それを繰り返し、何度となく生まれ変わることだ。
稀に、生まれ変わる前の記憶を持ったまま生まれてくる者がおり、彼らは転生者と呼ばれている。割合は100人に一人だ。ただ、その記憶は断片的であったり、生涯を覚えていたりと様々だ。そして幼い頃は覚えていても、大人になるにつれて忘れてしまう者もいる。
その中には、この世界ではなく、異世界の記憶を持った者もいた。異世界転生者と呼ばれる彼らは、普通の転生者よりも遥かに少ないが、その殆どが高度な文明の世界の叡智を携えていた。知識、教養、技術、文学、美術、音楽、料理など。その叡智はこの世界に素晴らしい恩恵と発展もたらしていく。
もう亡くなられてしまったが、この国にも二人の異世界転生者がおり、前世は奇跡的にも同じ世界の建築士と大工という職人の棟梁であったという。彼と彼女のおかげで、国の建築技術は飛躍的に発達したのだった。
しかし、尊敬すべき異世界転生者がいる一方で、周囲に害を及ぼす異世界転生者も存在している。彼らは自分達を特別視し、この世界の勇者だ、主人公だ、聖女だ、ヒロインだと公言し、時には犯罪まで犯す。
己を勇者だと言っていた男は、教会が禁忌としている重婚を強行、相手の女性達は詐欺同然の手口で騙され、重婚の禁を犯してしまった。あげく、友好条約を結んでいる魔族の国に、ならず者を率いて不法入国。あっさり捕縛されたものの「復讐物だな!逆行したらお前ら覚えてろよ!全員俺の奴隷にしてやるからな!くそお!なんでスキルが発動しねぇんだよおお!」と喚いていたという。
頭おかしい。
倫理観が異なるとか言う以前に、倫理観自体がない。奴は生まれ変わる前、相当野蛮な蛮族だったに違いない。
異世界転生者達は、全く異なる世界で生涯を終えた。そのため、自称勇者程ではなくとも、この世界の価値観や常識に馴染めず苦悩する事も多いという。彼らの知識が悪用されたり、第二の勇者が誕生しないよう、国は全ての転生者に報告を義務付け、必要ならば支援をしている。この法律は貴族、平民関係なく、国民なら知っているはずの常識だが、レクサンドラは頑なに勉強を放棄していたし、その性格から人付き合いはなかった。そのため、転生者が他にも存在している事や報告義務がある事を知らなかったのだ。
レクサンドラが異世界転生者である事は王家に報告され、取調べ……ではなく、調査のため研究施設に約3ケ月程滞在する事となる。重要機密が扱われる施設のため、ロックフォード家からは誰も付き添う事はない。その3ケ月はこれまでにないほど平和だった。
そして、この日。ロックフォードの怪物レクサンドラは満を辞して屋敷に戻ってきた。
「デュッフ。色々聞かれて困っちゃったわ」
帰宅して早々に、ニヤけた顔を披露している。レクサンドラを担当した研究員がかなりの美形だったらしい。
「転生の事って、伏せられてる訳じゃないらしいわね。あーん、才色兼備の公爵令嬢の秘密が社交界中にバレちゃった。アタシってば、どうなるの?縁談が殺到しちゃったらどうしよう」
施設では転生者についての基本的な話は聞いたであろうに、未だレクサンドラは自分を特別な何かだと思っていた。
「早速ですが、旦那さまがお呼びです」
「え、ヤダァ。早速、結婚の話ぃ」
結局、人は変わらないものなのだ。
「大変よ、セバスチャン!」
「チャントスです」
父と公爵と話を終わらせたレクサンドラは乱暴に部屋の扉を開けた。
「お父様ってば、アタシを田舎に押し込めるつもりなの!」
「存じております、ようございましたね」
「何にもよくないわよ!アタシは異世界転生者なのよ!国の宝よ!叡智よ!王家が黙ってないわ!」
「ハハ。勿論、王家の許可も御座いますので、ご安心ください」
「な、なんですってぇ」
王立研究所の職員の調査により、レクサンドラは確かに文化的水準が高く高度な文明世界で生きた記憶があった。しかし重要な知識も情報も技術もない事が分かった。レクサンドラは豊かな社会でそれらを享受するだけの人生だったようだ。ただし人畜無害とは言い難い。場合によっては、周囲に害を及ぼす思考を持ち合わせている事が判明した。
「お嬢様は常々仰っていたでしょう“あー貴族なんて堅苦しいわよねぇ。アタシはもっと自由に生きたいのよ。そう、田舎でスローライフとかね!うん、やっぱりスローライフよ、スローライフ”と」
そして、レクサンドラは聞いてもいないのに「すろうらいふ」なるものが何かを語り出した。この「すろうらいふ」については、レクサンドラが問題を起こして旦那様や奥様、若様方に叱られる度に、反省する事もなく、しつこく何度も話していた。
「旦那様は異世界転生者であるお嬢様に、この世界の貴族としての義務や価値観を押し付けてしまった事を大変後悔しておられます。そして、決断したのです」
レクサンドラの思考を矯正する事はもはや不可能だ。
「お嬢様の夢を叶えてさしあげようと」
ならば、誰の迷惑もかからない場所に送り込むほかない。
「べ、別に結婚くらいしてあげてもいーんだけど。ほら、異世界転生者って貴重だから、アタシと結婚したい人が沢山いるんじゃない?」
「僭越ながら申し上げますと、お嬢様の前世は特に優れた知識や技術は持っておられないと聞きましたが」
「はあ?空飛ぶおっきな乗り物とか、馬がなくても動く馬車とか、ワンタッチで世界の情報を調べられる板とかあるんだけど!?」
「飛行機に自動車にすまーとふぉんで御座いますね。お嬢様はそれらを再現する事が可能なのですか?」
セイビスが尋ねるとレクサンドラはグウとうめいて黙り込む。使えたとしても、造ることは難しいだろうし、現代の技術では製造は出来ないだろう。
「てか、なんで飛行機とか知ってんのよ!」
「100年ほど前に生まれた異世界転生者が執筆した“異世界見聞録”にございました」
「何それ!?」
異世界見聞録。100年以上昔に出版され、今なお売れ続けている書籍。その作者もレクサンドラ同様、優れた知識や技術は持っていなかった。しかし、彼はこの世界の価値基準に合わせ、魅力あふれる異世界の物語を世に広めた。その一つに異世界見聞録がある。それは物語ではなく、彼が前世で生まれ育った世界について書かれている。勿論、国の検閲を経て、公開可能な異世界の情報が掲載されており、精査された内容ではあるが、その本には摩訶不思議な世界が広まっており、多くの読者を惹き付けている。
「へ、へぇ。でもさ、アタシ、公爵令嬢よ。このまま田舎に引っ込んでも、みんな放っておかないんじゃない?」
セイビスはこのままレクサンドラが勘違いしたままでは、田舎に押し込められても、またいずれ問題を起こすのではと気が付いた。
「お嬢様は異世界の価値観が根強く、これまでのような説明ではご理解頂けないと愚考します。誠に申し訳御座いませんが、直接的な表現にてお話しさせて頂きます」
「御託はいいから、ハッキリ言って」
「はい、端的に申し上げますと、お嬢様は貴族令嬢として無価値です」
「は?ちょっと!不敬よ!セバス!」
「はい、ですが、お嬢様に自分の正しいご評価を理解して頂く」
「アタシのどこが価値ゼロだっつーのよ!」
「まず、言葉遣いです」
「やろうと思えば上品に出来るわよ!」
レクサンドラの前世は中年までの記憶があるという。商会のような組織で勤め人をしていたとの事。きっと自分の気分次第で、丁寧な言葉遣いは可能だと考えているのだろう。
「いえ、お嬢様の令嬢言葉は幼少期であれば許されますが、成人した御婦人としては粗野な部類に入ります。マナーを学んでいないので所作も姿勢も酷いものです。また貴族の常識も把握しておられないでしょう。それでは貴族夫人としては嘲笑の的で御座います」
「で、でも、アタシにはこの研ぎ澄まされた頭脳があるわ!」
やはりこの件も勘違いしていたのか。セイビスは嫌悪感を出さないようこらえるのが精一杯だ。
「お嬢様は社交界では無学と見なされています」
「なっ!」
「幼い頃から教育係の講義を受ける事なく、遊んでおられたでしょう。何より、貴族子女であるなら王立学園に通わねばなりませんが、お嬢様は入学さえ叶いませんでした」
「ちゃんと、試験受けたし!」
「一次試験で不合格でした。これは、高位貴族ではあり得ない体たらくです」
「かつてない好成績だったから、試験だけで飛び級したんじゃないの!?」
王立学園の一次試験は母国語、数学、一般教養の三科目だ。これら3つであれば、もしかしたら合格するのではないかと淡い期待を持っていたが、結果は散々なものだった。
流石にショックを受けたようでレクサンドラの顔色は悪い。
「何で、何で、何で……何で今更、そんな事言うのよ!」
「言いましたよ、お嬢様がお小さい頃から公爵家に相応しい教養とマナーを身に付けるようにと。その度にお嬢様は何と仰いましたか?」
レクサンドラは「アタシの頭の良さがバレたら能力を搾取されるわー」などと言って、講義から逃げ回っていた。
「それに、お嬢様には人脈や人徳もお持ちでない」
「アタシはちゃんと皆んなに優しくしてたわよ!」
「お嬢様の親切は周囲からすると迷惑なものでしかありませんでした。その証拠に、お嬢様に恩義感じて接触してきた者はおりませんし、感謝の手紙や言葉を受け取った事もないでしょう」
ちなみに奥様は一門の当主の妻として、派閥内の貴族女性達を取りまとめ、諍いなど起きぬよう統率しており、時に個人的な相談事にも対応しているため、人望は厚い。
公爵夫妻やレクサンドラの兄にとってイかれた娘は悩みの種であったが、見捨てるつもりはなかった。しかし、王立研究所の報告書によれば、レクサンドラは前世の価値観、常識、倫理観に固執しており、矯正は困難。さらに、レクサンドラは自己愛が非常に高い。何かのきっかけで、国に不利益をもたらす可能性があるとの事だった。
この世界の貴族は王家と国家を優先させなければならない。レクサンドラに貴族としての人生を歩ませる事は不可能と判定された。ただしロックフォードが責任を持って監視している限りはレクサンドラの命は守られる。
「とにかく、アタシは田舎なんて行かない!これから勉強すればいいでしょ!」
「もう遅いのです。通常ならば幼少期から貴族としてのマナーと教養を身に付け、同世代の貴族子女達と友誼を結び、高位貴族ならば婚姻していなければなりません。これから学び始めてもお嬢様が一人前の貴族になる頃は何歳になっておられるでしょう?30を超えて40近くになっているかもしれません」
「あー!うるさい!うるさい!うるさい!」
レクサンドラが成人となる18歳まで、何度旦那様や奥様、若様が苦言を伝えたか。レクサンドラの周囲にいたセイビスの父や側仕え達。皆揃ってレクサンドラに言葉を尽くした。全て届いていなかったのだ。
「お嬢様の前世の世界の言葉ではないかもしれませんが、異世界にはこのような、ことわざがあるそうです」
【郷に入れば郷に従え】
「な!」
「お嬢様が前世でどれほど完成された存在だったのか、私には見当も付きません。しかし、生まれ変わってもなお、前世の価値観を貫き、ご自分の思うままに振る舞うべきではありませんでした。この世界にはこの世界の価値観や常識が御座います」
レクサンドラは口を閉じたり開いたりと忙しいが、言葉は出てこない。
「それから、お嬢様のように、ご自分を中心に考え、他人の事には考えが及ばない方を“じこちゅう”と言うらしいですよ」
セイビスは言い終わると深く頭を下げた。
「どうぞ、念願の“すろうらいふ”をお楽しみ下さい」
こうしてレクサンドラはスローライフという名の蟄居となった。
レクサンドラに付き従うのは引退した影の老夫婦だ。夫婦は表向きはレクサンドラの執事と侍女という立場だが実際は監視役だ。1ケ月後、レクサンドラは騎士達に守られつつ公爵家から出発した。
向かうのはドゥ・イナクァ村。
ドゥ・イナクァは一見すると、人よりも家畜の方が多いのどかな村だが、ロックフォード家の影達の訓練施設がある森の中心にあった。そう、住民達は皆、影の訓練生である。外部の人間が訪れる事はない。
その後、セイビスは次期ロックフォード公爵夫人となる若奥様付きの執事となり、生涯公爵家に尽くした。愛妻との間には三人の子宝に恵まれ、幸福に暮らしたという。
それから……
「セイビス、相談がある」
「はい、旦那様」
先日、当主となった若き公爵の眉間には深い皺がつくられていた。
「ドゥ・イナクァからの報告書なのだが、レクサンドラが、最近“まだ、おねしょたが残ってる”などと言っているようだが、意味は分かるか?」
「至急、お調べ致します」
「頼む、ろくな意味ではないだろう」
などと、たまにロックフォード家の人々を困惑させるくらいにはレクサンドラもしぶとく生きていた。
短編なのに、めちゃくちゃ長くなってしまって申し訳ありませんでした。最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございます!
それから、おねショタは実現しませんのでご安心ください。
現在、人物紹介などを【短編の後書きとか解説とか 】に執筆中。公開の際は、活動報告にてお知らせします。




