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7:砂塵の中に灯る

  遺跡の最奥、崩れた天井から光が斜めに差し込むその場所で、レイは静かに立っていた。

 瓦礫に囲まれた端末の中枢部は、長い眠りから目覚めたばかりのように淡く点滅している。埃と油の匂いが混じる空気の中、わずかに響く電子ノイズが、静寂を緊張に変えていた。


 レイの白く細い指先が、端末の接続ポートにそっと触れた。

 彼女の瞳には、迷いも恐れもなかった。

 ただ穏やかで、どこか懐かしささえ感じさせる微笑が浮かんでいた。


 その瞬間、施設全体が低く唸り、床の下から振動が伝わってくる。パイプが軋み、機械が目覚めの咳をするように震える。


 「レイ……待て、まだ話は——」

 ヒースが駆け寄ろうと一歩を踏み出す。しかし、その声は届かなかった。


 次の瞬間、端末が閃光を放ち、レイの身体が光の粒子に包まれていく。

 白銀の髪が揺れ、彼女の姿が徐々に淡くなっていく中、彼女はそっと振り返った。


 「ヒース……お願いがあるの」

 その声音には、どこか幼さすら感じさせる無垢な響きがあった。


 「最後のお願いしてもいい?」


 ヒースの足が止まる。

 手が、震えていた。

 顔を上げた彼の顔は涙と鼻水でくたくたになっていて、また涙の出る顔を堪えようとして歪んでいた。

 「あぁ、自分はねぇ、君の望むことだったら、なんだってするよ」

 鼻水を啜って、かすれた声で、それでも彼は応えた。


 「そんな事言ったこと無かったくせに、強がるね」

 彼女はいつもの笑顔を見せている。

 「お願い、私のことを忘れないでね」

 「たとえ私はもうここにいなくても、ずっとあなたのことを心の中で愛し続けてほしい」


 涙を堪えようとして、それでもあふれ出る、ヒースはそっとアークの接続を完了させる。

 

 機械が最後の命を受け取り、静かにその役目を始めた。


 軋む音と共に、施設の天井が開き、直上に物々しい巨大な円筒形の装置が現れる。

 このホールも、否、この施設全てが、この装置を使うためのものだったのだ。

 その名は「軌道修正用重力偏向装置(重力ネハンジェネレーター)」

 

 機体の側面から淡い光が放たれ、空へと巨大なエネルギー波を撃ち上げる。


 上空。漆黒の空に、温かいの光が貫くように走り続ける。

 それはまるで光り輝く巨塔のように、まるでレイの祈りの形を体現したようだった。

 

 ヒースは膝をつき、それを見上げている。

 涙がついて眼鏡はぐちゃぐちゃになっており、そんな崩れた視界で、温かい光を前に彼は思い切り歯を食いしばる。

 はは、ははは!!!!

 彼は精一杯笑顔を作ろうと必死だ。

 

 もう1時間は経っただろうか。

 地平線の向こう、星の合間に沈みかけていた巨大な隕石の軌道が、わずかに、だが確かに逸れていく。

 世界の終焉は、その一瞬で遠のいた。


 だが、その代償はあまりに大きかった。

 アークは静かに焼き尽くされ、回路の一つ一つが崩壊していく。

 レイの身体から光が失われ、動きが完全に止まった。


 「俺はなぁ、お前の選択を頑張って尊重したけどさぁ」

 「お前が言ってた“幸せ”は、俺の幸せじゃなかったナァ」

 ヒースは、崩れ落ちるようにして座り込み、レイの冷たくなった手を握った。


 「あぁ、僕はまた」

 「ひとりぼっちになったよ」

 彼の声は、まるで底の抜けた容器のように、空しく響く。


 その時、クロッサー68000のホログラムが淡く揺らぎながら現れた。

 「……ヒース」


 クロッサー68000のホログラムが、静かに光の揺らぎを強めた。


 「君は選ばされたんじゃない。選んだんだ」

 「彼女の願いを、受け止めることを」

 少しの間を置き、クロッサーはゆっくりと言葉を紡いでいく。


 「ペフカはね……いや、レイは、君と過ごした時間を、データのひとつとしてじゃなく“心”に刻んでいたと思うよ」

 「世界は救われた。それは事実だ。だけどそれよりも」

 「彼女が守りたかったのは——君自身だ」

 ヒースは、返す言葉を見つけられずにいた。

 ただ、レイの手を離すことができずにいる。


 「悲しいよね、喪うっていうのは。でも……ヒース」

 クロッサーの声は、少しだけ優しくなる。

 「彼女は、君が未来に何かを“直してくれる”って、最後まで信じてた」

 「それが、君が君である理由だろ?」

 ホログラムがふわりと揺れ、静かに明滅を始める。

 「彼女が君を好きになったのは、“そういう君”だったからさ」

 ヒースはその言葉に何も返さなかった。頷くことすらせず、ただ俯いていた。


 レイはもう、返事をすることはない。

 そこにあるのは、静かに横たわるただの機械の殻だけだった。


 ヒースは彼女を両腕に抱き上げる。

 その動作は、まるで眠っている恋人を起こさぬように優しく、丁寧だった。




 外の世界は、変わらぬ砂と風の音に包まれていた。

 空には、かつて常に存在していた巨大な影が、もうなかった。


 星が、無数に広がる夜空。

 世界は、生き延びた。

 その光はどこまでも静かで、冷たく、それでいて優しかった。


 ヒースは、彼女を抱えたまま立ち尽くす。

 風が彼の外套を揺らし、髪をかすめ、耳元を吹き抜けていく。


 「レイ」

 呟いたその名前は、誰に届くでもない約束。

 だが確かに、彼の胸の奥に刻まれていた。


 ヒースの足元に、夜の砂が大きく渦を巻いた。

 その細く鋭い粒たちは、彼の裾を揺らし、髪を撫でた。

 ヒースは、それらすべてを拒まず、彼女を抱いてただ黙って歩き続ける。


 やがて彼の影は、黒洞々たる夜の底へ、音もなく、舞う砂に溶けるように消えていった。

 

 だが胸の奥にはまだ、かすかな熱があった。

 それは、世界が終わらなかったことを知る、たったひとつの証。

 

 ——砂塵の中で、彼の心に火は灯る。

 

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