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「あと、聞かれる前に言っておくけど…」
俯きがちに菊果が再び口を開く。まなみがふと隣を見てみれば、麻の肩は弱弱しく震えていた。泣いている、のか。いや、それとも。この状況で、少しばかり私よりも強いこのひとは、何を考えているのだろう。ただただ絶望に打ちひしがれているのか。それとも怒りや悲しみを単純に感じているのか。もしかすればあまりの衝撃に考えることさえできていないかもしれない。ちらりと様子を伺うようにまなみが麻の手をそっと取ると、麻は握られた右手を虚ろに見つめた。部屋のなかの空気が、また一段と冷えていくような気がする。白いワンピースは、翻らなかった。
「うちは、知らない。なんであの人が殺されたのか、なんで幸穂が一緒に殺されたのか。たぶん、何かに反抗したんやろうけど。でもその辺は何も聞かされてない。気づけば、遺体ともいえないような骨の破片が……、たくさん送られてきた…」
先ほどまでの残酷すぎる態度が一変し、菊果自身も耐え切れないような仕草で、顔を両手で覆う。誰もが、息を呑んだ。悲劇の母娘の姿は、あまりにも痛々しかった。
「うち、許せない。それこそ皆殺しにしてやりたいと思ったほどに。だけどそんなことをしてる暇があるなら、もっと確かで正確な復讐をするための準備をしようと思った。そのこと自体が起こったのは、うちが母親ってことを隠して麻といたときのことなんやけど」
それでね。
「この子、使えると思った。顔だけなら幸穂にそっくりやし? ま、可愛げはないけど色気はあるから存分に利用できるなって。現にこうしてるし。うちの勘はさ、鋭いんよ。やからこの子は使えるって思ってここまで持ち上げてきた。でも、案外役に立たんかった、いざとなると泣いてばっかやし何もできんし。正真正銘の役立たずだったのよね、この子。うちとあの人の間に生まれて、幸穂の妹だったのになーんでこんなアホなんやろうって。悔しかった」
ねぇ。いっそ、あんたがあの人と一緒に行ってれば良かったのにね。そしたらうちはさ、幸穂を失わなくて済んだのに。あの子は誰にも代えられない、かけがえのない子だった。宝物だったのに。それなのに、今あるのはあんただけ。何の役にも立たないただの泣き虫で頭の悪い男好きで淫乱で金食い虫なバカ娘だけ。うちはどこで間違えたんやろうかねえ、人生。大きな失敗に気づいた頃にはもう遅かったよ。
それだけ一気に喋ると、菊果は満たされたように深い溜息をついた。長い間溜め込んでいたものがすべて流れ出た瞬間だったのだ。麻は放心したように動かない。残された者たちはなす術もなく黙り込み、まなみに至ってはその場にへたり込んでいた。麻だけが、硬直したように壁に背を預けたままぽかんと口を半開きにさせている。そんな彼女の眼前に、さっと菊果が歩み寄った。覗き込むように、大きな瞳を見つめる。
「あんたなんか、最初から死なせておけば楽だったのに」
吐き捨てるようにそういい、菊果はぱっと麻の頬に両手で触れた。
「あの飛行機はね、うちが落とした。どうにでもなるもんよ、あんなもん。ちょっと権力のある馴染みのお客さんに言うたら、すぐ」
にこりと笑う。室内の人間がみな唖然としている間に、さっと菊果は麻の隣で腰を低くした。
「あなたの名前。…ほんとは『麻』でも『ゆう子』でもなくて、『憂子』にしようと思ってたって言ったらどうする?」
「ま、色々役所が厳しくてゆう子になったけど、結局。よかったね」
あきれるほどに綺麗な笑みを浮かべ、菊果は麻の瞳を覗き込む。
「ばいばい。ゆーこ」