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失墜  作者: ゆかこ
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「さっきも言った通り、この子はうちの、実の娘。それに関してはなーんも嘘とかないから。言ったまんま。この子が生きてるほうの娘で、この子の双子の姉が、亡くなったほうの子」


 誰よりも強くはっきりと、麻に視線を向けながら彼女は話す。


「その子の名前――幸穂っていったの。荒井幸穂。いい名前でしょう、幸穂はまだ小さい頃に死んじゃったけど……名前に見合う、いい子だった」


 床を睨みつけるようにして、菊果は笑った。麻は寒気もする思いでびくりと肩を揺らす。誰もが信じられない、といった表情で俯いていた。その間にも、窓の外の木々は切なくさざめく。


「本当にかわいい子だった。明るくて、話好きで。うちはさ、自分がこんな立場やったし…。娘には、花柳界とか水商売とか風俗とか、売春とか。そんなこと、絶対して欲しくなかった。それで、明るく楽しく生きてほしかった。幸穂がもし生きてたなら、それを叶えてくれてたと思う」


 だけど。

 菊果は麻を再び見据える。


「あんたは違う。うちと同じ、醜い汚い娼婦崩れ。汚らわしい血の流れる、恥の欠片。あんたはうちの恥。うちもあんたの恥。うちら母娘は、荒井の名を、幸穂を、汚す最低の存在。うち、何間違えたんかな。あんたをこんなにするつもりはなかったのに。なのにあんたはまんまとうちの言いつけなんか聞かんと。宮村の家に残って女中として働いて、普通に結婚しろってあんだけ言ったのにね。あんたが今ここで、その肉体を売ってる理由は何? 金のため? 逃げたいとでも思ってんの? それとも、そんな汚い存在になってまであんたは、快楽と男が好きなの?」


 麻は驚きと困惑で、先ほどよりさらに大きく目を見開いて、口をぽかんと半開きにさせた。菊果が吐いた言葉たちは、耳でもふさぎたくなるような、穢い罵りの言葉だった。結局、菊果は母親として娘を恨んでいたというのだ。涙が、あふれた。信用していた、愛していた。それなのに! 身も裂かれる思いで、麻は自分の肩を抱きしめた。今すぐにでも、菊果の背中にすがりたいのに。けれどもそれは恐らく許されない。否、絶対に許されないことだろう。菊果は、何よりも自身とその娘を軽蔑していたのだ。泣き叫んでそこら中にあるものすべてを投げ壊したいほどの大きな感情を麻は抱いたが、あえてそれを出すことはしなかった。黙って、菊果の話の続きを促す。


「…まあ、それはいい。どうだっていい。ともかく、16で娘たちを産んで以来、結構幸せだった。結婚は許されなかったけど、夫と思える男性がいて、娘達がいて。それも、壊されたけどね。置屋の女将に娘達を売れって言われたの」


 にこりともせず、言う。陽は耐えられぬように顔を両手で覆い、その場にしゃがみ込んだ。

 

「仕方なかった。だって、置屋の命令には逆らえないから。それで麻を宮村の家に売ったのよ。だけれど幸穂は絶対に売らせないって、夫が連れて行った。――思えば、その頃から幸穂とゆう子の差はついてたんかもね」

 

 再び軽蔑のこもった目で麻を睨みつける。それを見たまなみが俯いた途端に、彼女の大きな目から涙がこぼれた。拳をきつく握り締める。今にでも、麻を抱きしめたい。大丈夫だと安心させたい。愛を、感じさせてあげたい。姉として信頼していた女に、突然母親だといわれた上にこんな罵倒まで受けるなんて――。できるならば菊果を今この場で殺してしまいたい程の怒りと感情だった。


「私は…、ゆう子じゃ、ないです」


 震える目で麻がまごつきながらも呟いた。菊果は少し笑う。


「やんねー。荒井ゆう子は、もう死んでるんやし」


 けらけらと、彼女はあの笑顔で笑った。まなみは一層この女がひどく憎らしくなった。なんて、なんてことを言うのだろう! 娘に向かって、よくこれだけのことがいえたものだ。菊果の態度は、今まで彼女が麻に注いできた友情也も偽りであったことを示していた。麻は、ただただ震えながら顔を背けた。見ればワンピースの裾をがっちりと握っている。あまりの悲壮感に、百合までもが俯いた。

 

「ま、ともかく。それで幸穂と、旦那が去ってしまって。それで、旦那が所属していた組織ってやつのこと、聞いた。それがさ、あんたらの敵の、ナントカっていう組織っぽくて。だから、うちもこの子も。敵の身内ってこと。あ、けどこの子はここの商売道具なんやしうちもこっちの身内か。いや知らんけどさ。でもどちらにせよ、うちはあの組織にこの上ない気持ちがありますから」


 ただならぬ菊果の表情に、誰もがその気持ちとやらは好意でないことを悟っていた。当然だ。


「でね。状況考えたら、この話はとんでもない暴露になってるんやろうけど。常葉の一族は、もとからあの組織の関係者らしいね。あ、けどキャリー・ウールマンの長男……。耀さんよね。彼だけが裏切って此処に居るみたいね。結局彼は、うちの家族をめっちゃくちゃにしてくれたけど」


 あの、組織は。

 正義感の強かったうちの夫の心に悪意を抱いて、その良心を蔑ろにした。


 それこそ悪魔のような瞳で、きっぱりと菊果は言い放った。

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