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「あなたの言ってる意味が、よくわからないわ」
百合がきつい言葉を投げかける。菊果は目を伏せたまま、答えるように何かを囁いた。そして言う。
「うちは。あの女に、家族を殺されたから。だからうちもあの女の家族を殺した。それだけ」
さらりと言いのける。途端に、部屋の空気は変わった。まなみと伊里は硬直したまま、まるで時が止まってしまったかのように動かない。麻は小さく震えている。そして陽は相変わらずの憂鬱そうな視線を動かすことはせず、依子は百合の膝に縋ったまま、こくりと喉を鳴らした。
「だから――。うちの夫と娘が。あの女…キャリー・ウールマンに殺されたから。だからその息子と娘と、夫を殺してやっただけ」
「待ちなさい。そのキャリー・ウールマンがあなたの夫を殺したって?」
飛行機事故で、キャリー・ウールマンは死んだ。ではなく、殺された! あぁ、やはり自分の身の回りではこんなことばかり起こる。麻は項垂れた。思ったとおりだった。けれども百合は彼女よりもはるかに冷静で、当然ともいうべき疑問を投げかけた。
「じゃあ、あなたの死んだ家族は……。それよりあなた、花柳界の人間なのに。夫、って……」
「おかしいと思います? うちにだって、配偶者ぐらい、いる。娘だって」
「そうかもしれないけど……」
百合が腕を組むと、菊果は何かを決心したような表情で、顔を上げた。そして麻を指す。
「死んだのは、長女だけですけど。この子も、うちの娘」
へ、と。その場にいた誰もが、驚きと困惑の間抜けな声を漏らした。
(は? 私が? お姉さんの、菊果さんの娘? そんなばかなことがあるわけない、ありえない。だって私が小さい頃から私は菊果さんをお姉さんと呼ばされたし、第一、私の両親はもう死んでいると聞いていた。それに、それに。顔だって、声だって、何一つ似ていないし。否、そんなことはどうでもいい。だけれど、私が菊果さんの娘のわけがない。絶対に、ない。ありえない)
麻は心のなかでどぎまぎとごまかすように何かを一心に呟く。けれども、それらは何の意味もなさなかった。ただ重く、菊果の発した「娘」という単語だけが耳に残った。
「戸籍上は、もう違うけど。この子は正真正銘うちがこのお腹を痛めて産んだ実の娘。麻――、ううん、ゆう子はうちの娘」
空気が凍った。伊里だけは事情もよく分からず、首を傾げる。けれどもまなみは驚きの果てに目を見開いて涙まで流し、俯いていた陽の顔はぽかんと上がった。依子はくちびるを強くへの字に結んだまま、荒く呼吸を繋ぐ。そして百合は、真っ直ぐ麻の瞳を見据えた。みなからいっせいに視線を浴びせられた麻は、愕然とその場に座り込む。何よりも、ゆう子という名に反応させられた。
*
「ねーねー、麻ちゃん」
「なんですかー」
とある昼下がり。畳の上でまどろんでいた麻に、菊果が声を掛けた。
「あのさー。麻ちゃんのほんとの名前って、『ゆう子』なんだって」
「ゆう子? へ? 私が?」
「そ。麻ちゃんの本当のお母さんがつけた名前が、ゆう子。『麻』ってのは宮村のお養母さんがつけたんだってー」
ふーん。麻は興味なさげに呟いたものだ。本当のお母さんなんて大嫌い、だって私を捨てたんだもの。ひどい。だから私のもとの名前がなんであろうと、私は、宮村麻なんだから。
そしてその後。母親による二度目の裏切りはすぐにやってきたのだった。
*
ふと、思い出した記憶。それは菊果に、名前がゆう子であると告げられた数年前のことだった。あの頃の麻はまだ幼く、あの置屋で下働きとして働いていた。そしてその後、ここへ売られたのだ。苦い記憶だった。唇をかみ締めると、その痛みが彼女を我に返した。
「……で?」
「そう。今日は全部、話そうと思って」
傍らにあった椅子に、菊果は腰掛けた。