10
「あら、メイドさん? 可愛らしい」
麻が城の玄関前で掃き掃除をしていると、怖ろしいほどに美しい女が彼女に近づいた。麻は呆れたようにその姿を見、ぺこりと会釈した。身なりからして、相当な身分の持ち主なのだろう。ふわふわと背中に流れる髪は童話の姫の如く金色に光り、輝くような空色のスリップドレスが彼女に良く似合っている。本当に人形のようだ、と麻は自らの真っ白で飾り気のない地味なワンピースを思わず見下ろした。
「ようこそいらっしゃいました。どうかお気をつけてお帰りくださいませ」
城にやってきたすべての客に言わねばならない、重要な台詞だ。この社にくると、まず教育は徹底的にこの文句や礼儀作法を叩き込まれる。この女は女優か何かだろうか、という好奇心は胸のうちに秘め、再度深く頭を下げた。だが、麻を見下ろすその視線はひどく鋭い。そのことに瞬時にして気がついた麻は、ゆっくりと顔を上げた。見てみれば、その女は突き刺すように自分を睨んでいるではないか。その視線は明らかに憎悪の対象となるものに向ける類のものだった。また何かやらかしてしまったのだろうか。麻は相手に聞こえぬように、小さなため息を吐いた。
「……あなた、名前は?」
女の日本語には微かな仏語の訛りがあることに気がついた麻は、女と同じく目を光らせ、きっぱりと戸惑うことなく言い放った。
「宮村麻と申します」
「ミヤムラ、アサね」
女は自らの名前は出さずに、麻の言葉を聞き、小さく頷いた。高慢で自己中心的な性格は金持ちの令嬢によくあることで、ここにくる客はみなほとんどそのようだ。しかし、この女には何かもっと特別なものがあった。私はただの馬鹿ではない、とその真摯な表情と鋭い視線が語っているのだ。どうやら女は麻の威嚇するような表情にも気がついたらしく、明らかに作り笑いと分かる笑顔を作った。
「私はレーナ・マローネ。ねえ、アサ、お茶でもいかが? お仕事を邪魔しては悪いかしら」
やはり、この女はフランス人らしい。苗字とアクセントからはっと気がついた麻は、目下の者としての礼儀は忘れず、どうもと頭を下げた。レーナは気にしないで、という風に首を横に振ったが、手を差し出すと同時に彼女の鼻がぴくりと麻をあざ笑うように動いたのを、麻は見逃さなかった。それに、邪魔しては悪いなどと謙遜しておきながらも、麻に拒否権は与えていない。やはり性格は相当曲がっているようだ。女王のような美しさを持つレーナに比べ、恐らく自分は子供のように幼稚で情けない表情をしているのだろう。古い箒を後ろ手に隠し、麻は意味もなくにこりと笑った。そしてレーナがまた、あの挑戦的な微笑を返したのを確認すると、再び彼女を城内に招き入れた。