野宿
河から少し歩けば、イネノの懸念通り道は上り坂が多くなり、木々もさらに鬱蒼としてきた。距離が近くなったせいもあるのか、学校がかえって見づらくなる。山道を辛そうにしているイネノにさらにずっと魔法を使わせ続けるのも申し訳ないので、ダナンは自分が定期的に木に登ると申し出た。
「あ、それだけど。もう木のうえから見なくても、目指す方向が分かるから大丈夫」
「そうなのか?」
「河を超えてから、こちらへやってくる力の流れを感じるんだ。その源が、たぶん、学校だ」
河を超えてから数度、方向を確認している。何回目かに確信したらしい。
「水の流れみたいな?」
「水ではないかな、熱いから。流れ方も川のように何かに沿うようなものではなくて、すごく大きい力が溢れてしまったみたいな感じ。瓶に水を注ぎすぎたみたいに。だから、力の強くなっていく方へ進めばいい」
いまはだいたいこちらへまっすぐ、とイネノが指をさす。相変わらず道も何もないのでとりあえず最短ルートを進むことにする。歩けないような場所があったらその時にまた考えればいいだろう。河を渡ってからいっそう足元も悪く木々も鬱蒼としている。確認に手間や気をかける必要が少なくなるのは楽だ。
「了解。じゃあオレが先に歩くから、はずれたら教えて。オレの足跡を踏むようにすれば、歩きやすい」
「ありがとう」
「こちらこそ。早いとか遅いと疲れたとかは、すぐに言って」
ダナンは無理のなさそうな速度を確認しながら歩いた。確かにイネノは山道には慣れていないようだが、体力がない、と嘆くほどではないようにも思う。普通だ。
その後は黙々と歩き続け、特に問題が起こることもなく、日暮れを迎えた。知らない夜の山を進むのは危ない。ちょうど切り立った山肌と大木で囲われた洞のようになっている場所を見つけたところで、ふたりはさっさと野営をすることにした。ここならば夜風に吹かれることはなく、火を絶やさないようにすれば温かさを保てそうだ。
ダナンは近くの倒木から焚き火用の枝を採った。山刀一本でさくさくと薪に使えそうな部分を集めて太いものは扱いやすいように割っていくダナンに、イネノが感嘆の声を上げる。
「この木はもう十分に水分が抜けてるから、そう難しいことはないよ。やってみる?」
「いいの!?」
目を輝かせて、イネノは山刀を受け取った。特別に刃を少し幅広に作ってもらい、作業しやすいように持ち手を工夫し、丁寧に手入れをして切れ味は抜群のダナンの愛用品だ。あまり山刀を扱ったことがないらしいが、少し教えるとイネノは器用に刀を扱った。力はあまりないようだが、丁寧に作業をするし、力の使い方がうまい。
小さな焚火ならば一晩じゅうぶんに持つだろうという量の薪を抱えて洞に戻る。イネノが枝で、丸を描いた。
「このうえが、火が保ちやすいよ」
「さっき言ってた、熱い魔力のうえ?」
「そう。この力は、火を守る」
ダナンは地面を触ってみる。温度的には変わらない気がする。あちらに向かうほど強い、と言われたけれどもちろんわからなかった。
「魔法に使う魔力自体にも、特性があるんだな」
土を整えて、薪を組みながら、聞いてみる。
「まったく無色の魔力っていうのは、あまりないね。でも、効率の悪さは多少あっても、この力で例えば氷の魔法はできないっていう訳でもないけど」
「そういう魔力って、どうやれば分かるようになるんだ? 河で精霊に気づいたのも、イネノは早かったよね」
「うーん、まずこれが魔力です、というのをしっかり認識するところかな。それからさらに、この魔力はこう感じる、というのをたくさん経験する。その後どこまでどう感知できるかは、どうしても個人の資質による部分も大きくはあるんだけど」
これが魔力です、か。自分の魔力がどういうものでどのくらいあるのかも、ダナンは正確には知らない。いくつかの、初歩的な魔法を教わったことがあるだけだ。その時に、正しい指導を受ければある程度の魔法は使えるようになるでしょう、とも言われたので、魔法の使える部類には滑り込んでいるはず。
「ふつうに暮らしていると、いろいろな魔力に触れる機会はないからなあ」
「そんなことはないよ。目に見えないし、名前を知らないから、みんなないと思っているけど、魔力自体はあちこちにあるんだよ。それを知ることがまず、魔術の基礎の基礎だね」
薪を組み上げたところで、火起こしを使う。入学案内の封筒と枯葉を焚きつけにして火をつけると、木の爆ぜる音がだんだん大きくなり、煙が立った。おお、とイネノが歓声を上げる。今まで外で焚火をするようなことがほとんどなかったらしい。イネノはけっこう、箱入りの良いところの子な気がしている。
「魔法を使える人でも、そこまで細かく分からない人も多いけれどね。自分以外の魔力を気にしてもしょうがないって。僕は魔法を使うのに自分の魔力以外を使うのが得意だから、どういう魔力かを把握するのは大切なんだ」
薪にしっかりと火が移る。確かにふだんよりも火の付きが良い気がする。春先の山のなかは冷えるが、これなら凍えずに夜を過ごせるだろう。
「じゃあイネノはこの魔力を使って魔法が使えるわけだ」
「ううん。これは、僕の使えない力」
「えぇ」
あっさりと否定されて、ダナンは思わず気の抜けた声がでる。イネノがそれを聞いて笑った。なかなか、魔法と言うのは難しい。
道々集めた山菜ときのこなどを広げ、ざっと布で拭う。袋にあった干し肉と米を足して、笹の葉に包んで蒸し焼きにするつもりだ。河辺に小さい竹林があり、筍も手に入ったのはありがたかった。これはそのまま焚火に突っ込む。
「ダナンは、どうしてそういうことができるの?」
「そういうこと?」
「野外での過ごし方、みたいな。山道にも慣れているし、植物にも詳しいし」
「住んでいるところが山のなかだし、いろいろ旅をしていたから自然に身に付いた感じ。イネノは街育ちっぽいね」
「うん、初めて生まれ育った街の外へ出たよ」
そう珍しいことではない、というよりも、この年で何度も旅に出たことがあるダナンの方が珍しいだろう。
「じゃあ街に行くことがあったら、その時は頼らせてもらうからよろしく」
それ楽しそうだね、とイネノが笑う。
「ダナンが声を掛けてくれてよかった。ダナンがいなかったら、ここまで進んでこられなかったよ」
「そうかな」
ダナンが首をかしげると、合わせるようにイネノも首を傾げた。
「オレがいなかったら、いなかったなりに、イネノのやり方で、学校に向かっているでしょ。もう着いていたかもよ?」
イネノは何かにつけ、ダナンをすごいと言う。ダナンが取る方法をイネノでは取れないという意味ではそれは「すごい」のかも知れないけれど、イネノは別の方法をとって目的を達するだろう。
「魔法でも火起こしでも、火は点けられるからね」
ダナンのことばに、目を見開いて、二、三度またたいて。イネノは大きくうなずいた。
「ああ、そう、そうだね。きっとそれなんだよ」
「なにがどれ?」
「僕はずっと、僕以外のやり方を知りたかったんだ」
森を抜けたあたりでさ、なんでこの学校に来たのかって、話をしたじゃない? という言葉に、そういえばそんな話をしたなとダナンが思い出す。
「僕に与えられたもの、僕の得たもの、それを誇りには思っている。だけど、それだけだときっと、ずっと不安だから。あるものだからそうするんじゃなくて、他の方法も知って、学んで、そのうえでどうするか、決めたかった。だから、この学校に入ったんだと思う」
晴れ晴れと、イネノが笑った。
「なんかずっともやっとしてて。言葉にできてすっきりした」
「それ、入学前にやっておくべきじゃない?」
「ダナンだってできてなかったでしょ」
「確かに。オレもちゃんと言語化できるようになったらイネノに言うよ」
「うん。楽しみだな」
ほんとうにうれしそうにイネノがそういうので、ダナンはつられて笑いそうになった。イネノはひとつひとつの動作が感情に素直で、それはダナンには少しまぶしいようにも感じられた。
皿替わりに剥いだ木の皮に、蒸し焼きを乗せる。箸も削っておいた。
「突然放り込まれた山のなかの食材で、こんなにちゃんとした夕飯を食べられるなんて」
「夕飯って程のものじゃないよ。せめて鍋があれば、多少なりとも料理らしいものが作れたんだけど。あと塩」
干した肉から出た塩分だけだと少し物足りない。ダナンとしては反省点の多々ある夕飯だが、イネノはきらきらとした目で口に運んでいる。
「いや、すごいよ、美味しい」
ダナンは料理が好きだ。正直これでここまで褒められてはかなわない。こんどきちんとした調味料と調理器具で、もっとおいしいものを食べさせねば。
「見ていて思ったのだけど、魔法はちょっと料理に似ているかも。魔力が食材で、調理方法が魔術。食材を見つけて、作り方通りに、料理にする」
「なるほど」
聞けば聞くほど奥が深すぎて分からん、と思っていた魔法が、何だか急に身近になった。
「じゃあ、イネノは料理もうまいのかな。今度教えようか」
「うまいかは分からないけど、やってみたいなあ」
これは包丁も握ったことがなさそうだなとダナンは察する。野山になじみがなさそうで、火や料理などの生活能力もなさそう。どこかの御曹司なのかもしれない。それにしては砕けた態度だが。
食事のあいだに日の残りは落ち切って、あたりからは夜に活動するものの気配が立ち上ってくる。今のところ、危険な動物や魔物の気配はない。教師も、さほど危険なものはいないようなことを言っていた。
「念のため、かんたんな結界を張っておくね。悪意を持ったものや危害を及ぼすものが入らないように。もし踏み入るものがいたら、気付けるように」
イネノが柏手を打ってから何かを呟き、両手を地面に当てる。そこから円状に、温かいものが広がっていく感覚があった。これがイネノの魔法、とダナンは意識してみる。
「ありがとう。無理はしてないの?」
「こういうのがいちばん得意なんだ。このくらいの範囲で隠匿と関知の効果だけだと、僕の場合はなんの影響もないよ」
それでも一応、3時間ごとに交代でどちらかが起きて火の番をすることにした。じゃんけんで勝ったダナンは、それじゃ遠慮なくと横になる。ふたりのあいだにイネノが懐中時計の蓋を開けて置いた。時計があるのは助かる。ダナンは大体の時間感覚があるし、いつ起きる、と念じておくとその時間に起きることができるけれど、感覚は狂わされることもあると知ったので、頼れるものがあるのは安心だ。
「おやすみ」
目を閉じてすぐに、ダナンは眠りのなかに引き込まれた。