眠る都市
彼女は見事に、数分で心の整理をつけた。この数十年分の、怒りや葛藤や悲しみを、少なくとも表面上にでないように。呼吸を整え、顔を覆っていた手を離し、椅子から立ちあがり、頭からかぶっていた布を肩に落とす。その布が、姿や声を歪めて隠していたのだろう。現れたのは、20代半ば頃の女性の姿だった。
「それならば、詳しいはなしをしよう」
確かに、ウノメに似ている。特に、声はそっくりだ。
「長くなりそうだけど、どうする?」
ダナンはテルホとイネノを見た。夕食後に集まって、すでに3時間近くは経っている。このままだと日付をまたぎそうだ。
「こうなっては、スミたちには蓋を閉めて解散してもらう方がいい。朝に迎えに来てもらうのはどうだろうか」
テルは、自分たちはここで夜を明かしてもやむなしという覚悟を決めたようだ。ダナンもイネノも否やはない。
「それがいいとオレも思うよ」
「うん、いったんこちらの状況を、図書館の1階で待つスミたちに伝えます」
「よろしく頼む」
イネノは両耳に手を当て、うつむいた。スミ、スミ、と呼び掛ける。
「スミには、こっちは無事だけど、まだ時間がかかるって連絡したよ」
しばしの沈黙の後、イネノはそう言って顔をあげた。謎の同室者の一件から、イネノとスミはお互いの負担にならず都合の良い、念話のような魔術を構築したらしい。
「蓋を閉めて帰っていいって伝えてもらったんだけど、夜明けまで待ってくれるらしい。本はたくさんあるので、だってさ」
さすが図書部員。本の虫ぞろいらしい。ダナン達の会話を聞いていた彼女が、感心したようにあごに手を当てた。
「うえにいるものと会話をしていたの? いまは、おもしろい術があるんだね」
「一般的なものではありませんが。イネノの術は特別です」
ダナンには詳しいことは良く分からないが、かたちの定まらない声や思念というものは、物質よりも移動させるのが難しいらしい。長年近くで育ったスミとイネノだからこそ、なんとか作り上げられた術。そこまで説明はしなかったが、彼女は特に追及はせず3人を見た。
「私はサノメという。さっきも言ったけれど、私たちは名前を記録に残してほしくない。だからこの名前はここだけのことにしてほしい」
「分かりました」
「では、案内しながら話をしよう。この先は都市と呼ばれている。そんなたいそうな名前で呼ばれるほど、大きくはないんだけどね」
図書部の記録によると、玄関から先にあるのは、従者の間、謁見の間、都市、御殿。ここから先は暗いからと、彼女に渡された手燭をそれぞれ手にして、来たのとはほぼ反対側にある扉へ向かう。そこには家の扉ではなくて、城壁の門のような造りの扉があった。サノメは、その扉ではなく、横にあるひとひとりが通るのがやっとの木戸を開いた。
まずはとサノメに続いてダナンが木戸をくぐる。暗い。手燭の灯りで見える範囲では先が見えないような、広い空間だった。都市、という名に反して、建物のようなものは何もない。がらんどうの洞窟のようだ。ダナンは手燭をうえに掲げた。音の反響からも空気の感じからも天蓋があるのは分かるのだが、火を掲げても見えないほどに高い。いったいどうやって作った空間なのか。
「入るぞ」
「いいよ」
とりあえず危険は感じない。テルが足を踏み入れ、イネノが続く。入ったとたんにイネノが身を震わせた。
「イネノ? どうした?」
「熱い」
呟きからして手燭の油でも跳ねたかと思ったら、そうではなさそうだ。呆然とした顔をして、奥の方に顔を向けていた。手に持った灯りが細かく揺れている。
「……炎だ。なんて温度」
「入っただけで、感知したのか。何重にも結界をかけて力が漏れないようにしているのに」
サノメがイネノをまじまじと見つめる。さっきの部屋より随分と冷える、と思っていたくらいのダナンがテルに目線を送ると、軽く肩をすくめられた。どうやらテルにも何のことやらという感じらしい。まわりの様子には気を向けないまま、イネノは先のくらがりに一心に目を凝らしていた。
「ここにおられるのは、火にまつわる方ですね?」
「そう、私たちの主は、火と熱の精霊だ」
聞いたことがない、とテルが呟いて首を傾げる。ダナンも有名な精霊はいくたりか知識があるが、学校に眠る火の精霊の話は聞いたことがない。
「そもそも火の精霊は、珍しいよね」
「ああ。火は強い力を持つが、長く存在するのは難しいから」
精霊がどのように生まれるか。もちろん人には分かりようがない。自然に由来して生まれる意志のかたちというざっくりとした定義があるだけだ。ただすべての自然物が精霊と化すわけでもなく、どれがどのように精霊となるのか、人には理解しえない。
どうやら、大きな力を持つ自然現象が、幾星霜にも渡り存在し続けることで、魂のような何かを持ち、動かぬものが動くのだ、ということが分かっている。気が遠くなるほどの月と日のめぐりを貯めこめる自然物が精霊と化す、と表現されたりもする。そして火は、時に大きくなるが、雨雪には勝てず、辺りを燃やし尽くせば消える。
「奥へ進むよ」
サノメのことばに、イネノが腕で顔をぬぐった。まるで、汗がしたたり落ちてくるのをとめるかのように。
「恐れずとも、べつに今は、誰かを害したりはしない。眠っておられるから」
「はい、大丈夫です」
数歩、サノメが砂地を進む。石造りの床はなくなって、砂地になっている。サノメは足音がなく、足跡もつかない。人ではないと言っていたが、精霊でもないようにダナンは感じる。どういう存在なのだろう。
「歩きにくいから、私の歩いたあとを付いてきて」
ダナンは素直にサノメの後を追った。ダナン達の歩みは彼女と違って、ひとあしごとにぎゅうぎゅうと音を立てる。地面は平らではなく、手燭の光にごつごつとした影が浮かび上っていた。道、というほどではないけれど、サノメは歩きやすいところを選んでいるようだ。
「少し分かってきた。確かに熱い」
ダナンは手を伸ばした。つかめない。踊るような跳ねまわるような力だ。大きな焚火か、いや、それよりももっと熱い。
「図書館なんて火気厳禁なのに、そこにここへつながる鍵を置いてたんだな」
「たしかに物質としての本は火と相性が悪いけれど、知識は火の属性だよ」
「蒙昧は、照らされるものだ」
ふたりのことばに、なるほど、とダナンは頷いた。自分の無知に呆然としたときに差し掛けられる火、それは優しく、賢く、頼もしく、そして時に身を焦がすほどに容赦がない。
しばらく進んだところで、テルが足を止め、横にあったものに火をかざした。あちらこちらの地面から枯れ木のようなものが飛びだしていると思っていたが、違った。人工物の曲線をもっており、横に飾り彫りが施されている。
「これは、もしかして、屋根か?」
「あたり」
テルのことばに、サノメが足を止め、振り返って応える。
「都市、というのはね、この下にあるんだ。埋もれている」
手燭から落ちた光が、砂地に楕円の模様を描いている。埋もれた都市のうえに、立っている。都市を埋めたものは、なんだ。サノメが、近くに飛び出ている木の柱だったらしきものに手を添えた。
「この山は、中腹にほぼたいらになっている部分があるでしょう」
「まさにこの学校が建っているところですね」
「そう。むかーしむかしには、もう少し低い位置に平坦な広がりがあって、巨人の腰掛けと言われていた。大地を作るのを手伝った巨人が、積み上げたこの山に腰を下ろして一休み。そして足を洗おうと、手でぐるりと辺りを撫でて、河を作ったって」
切株にほんの少しだけ背もたれをつけたようなかたちの、腰掛け。そして山の裾野を撫でるように流れる河。ダナンとイネノが入学試験で渡った、嘶く流水の君の大河だ。
「そこが、いまは埋もれた土地。私たちの故郷だ。たいらと云ったって、あたりは山深く耕作にはあまり向かない。そのころは交通も未熟で、交易なんてとんでもなくて。住みよいところではなかった」
はなしながら、サノメはまた歩み始める。
「それでも私たちがここに住み続けていたのは、ひめさまがいらしたからだ」
「ひめさま」
「私たちが仕える、火山の精霊。いつまでも熟すことも老いることもない常に新しいお方。ふだんはお眠りになられている、私たちの嬰児」
なるほど、幾星霜を耐えうる熱と火だ。いまだこの山には、高温度の炎が赤子のまま眠っているのか。都市とともに。




