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微かな

 ダナンとイネノとテルは、布を頭からかぶった人物に招かれて、部屋の奥へ通されていた。その得体の知れなさとは対照的に態度は友好的で、害意も敵意も見えない。

 本棚のあいだを抜けた先は、誰かの部屋のような雰囲気だった。衝立で空間を仕切り、石畳のうえに敷布を広げている。簡素な文机と小間物を置いた棚が奥に、その手前に背の低い円卓と背もたれのない椅子がばらばらといくつか置かれている。3人の勧められたその背もたれのない椅子は、石で造られていた。あちらこちらに置かれた灯りによって、石の側面に細かに彫られた模様に影がおち、美しい。

 自己紹介がてら、ダナンが代表して簡単にここに来るまでの経緯を説明する。ありていに言ってしまえば、ほとんど何も分からずここに来ました、ということを。

「記録を、抹消!」

 しばらくの沈黙ののち、心底呆れたようにそう言われ、ダナンは素直に頭を下げた。

「申し訳ありません」

「私に謝る必要はないけどさ。謝ってどうにかなる話でもなし」

 ひらひらと、指先まで袖に覆われた手を振る。背丈はダナンより少し高かったが、線は細い。声には妙なひび割れがあり、老若男女の区別がつけられない。

「こうも長い間、誰も来なかったから、まあそんな気もしていたしね」

「定期的に伺うべき場所なのですね?」

「そうだね。ああ、いや、違うな。そうだったんだよ」

 言い直して、彼、もしくは彼女は小さく乾いた笑いをこぼした。今まで会話をダナンとイネノに任せていたテルは、自分が話しても問題がなさそうだと判断したらしく口を開く。

「今までのことを、教えていただけるだろうか」

「良いよ。あなたが統轄部の長であることは間違いがなさそうだからね」

「まず、あなたのお名前は」

「好きに呼んでくれて構わない」

「人では」

「ないよ」

 テルの問いかけに、あっさりと応える。腕をあげて、入ってきたのとはちょうど反対側にある扉を指し示す。

「私はただの、従者だ。私の主は、この先に眠っておられる。数年に一度は、鎮めの祭祀が必要な方だ。悪気はないのだけれど、とても大きな力をお持ちなので、力が溢れて人々を脅かさないようにその力を儀式で散らさねばならない。それはあなたたちの学校ができるまえから、連綿と続けられてきた」

 かなり古くからの存在のようだ。この地から力が流れていると、前にイネノが言っていたことをダナンは思い出す。そういうものの存在が、この地に力を与えているのかもしれない。

「この学校はそれを承知で、この地に造られた。その祭祀を引き継ぐと約束をしてくれたので、我らも協力をしてきた。前回の担当者、お前たちの言う統轄部の者たちがそれをしくじった。だからお前たちは、この土地を去ったほうがいい」

 感情を交えず、簡潔に、淡々と、告げられたことばに、ダナン達は息をのんだ。図書部に残された、図書を避難させるようにという文言。それはこのことを指していたのか。ろうそくの火があるかなきかの風で揺れているのを、しばらく全員が黙ったまま見つめる。

「やり直すことは、どうあっても、できない?」

「祭祀に必要なものを、前回の鎮めで失った。もう鎮めは行えない」

「それは代替が効かないものなのですね」

「効かない。もしかしたら、死に物狂いで探して試せば、何か他の方法があったのかもしれない。けれど、記録は抹消されて、このあいだ何もされていないのだろう?」

 汚点を隠すだけにして放棄した当時の統轄部の長にあらん限りの文句を言いたい。ダナンがそっと横を見ると、テルも微かに眉を寄せている。

「もう主の目覚めまでに時間はそう残されていない。次に主が目覚めれば、この辺り一帯は人の居られる地ではなくなる」

 最初に掛けられた、この地をあきらめるべき、という忠告がダナンの頭のなかでよみがえった。

「もっと詳しく、あなたの主のことをお伺いできないだろうか」

「詳しく話して何になる。鎮めの祭祀を我らが作り出すのにどれだけの対価と時間と努力があったか。それをここから長くても数年で、別の方法をいちから作り出すのは無理だ。今からお前たちにできることは、この地をあきらめて、すべての人を逃がし、できうる限りのものを他所へ避難させることだけだよ」

 簡潔な説明をする声は、相変わらず平坦だ。この人のなかの怒りや憤りは、たやすく噴出するほど近くはなく、無分別に当たるほど浅くもなく、ただ根を張って崩れないのだろう。そのなかで、何を問い、するべきか。

「間違っていたら申し訳ないのですが」

 思案していたダナンの横で、イネノが静かに声をあげる。

「あなたは、ウノメさんのお姉さんではありませんか?」

 初めて相手が、ことばに詰まった。とん、とん、とん。袖に覆われた指が、机を数度叩く。動揺を逃がすような仕草に見えた。驚き動揺しているのは、ダナンも、そしておそらくテルも同じではあったが。

 ウノメ。そうだ、ウノメのことがきっかけでここに来られたのだ。予想外に学校のことを出されすっかりそちらに気をとられていたダナンやテルと違い、イネノだけは徹頭徹尾、彼女のためを考えてここにいた。イネノらしいと、ダナンは思う。

「ウノメ……ああ、ウノメ」

 そこに込められた感情はなんだろうか。

「その名前は、失われた記録にだって、記述されていなかったはずだよ」

 姉であるか否か。彼女は答えなかったけれど、そうなのだろうと、直感的にダナンは察する。

「ご本人から、聞きました」

「まさか、ウノメと会ったのか?」

「そう名乗る人に、お会いしました。人の体を、持ってはいませんでしたが」

 いまこの鍵に居ます、とまではイネノは告げなかった。ダナンは黙ったままイネノに会話を任せる。テルもじっとふたりの会話を聞いているだけで遮ることはしなかった。

「僕たちから見ると、ずいぶんとむかしの服を着ていらっしゃいました。少し混乱があり会話の難しいところはありますが、たいへんに誠実な方とお見受けします。お姉さまとひめさまに会いたいと、そうおっしゃっていました」

 ゆっくりと、イネノが話す。途中から彼女は、両手で顔を覆っていた。肩が震えている。

「あなたはそれを、ここに連れてこられるのか?」

「はい」

 一分の迷いもなく、一瞬のためらいもなく、イネノが首肯する。

「祭祀に必要で、前回欠けてしまったのは、ウノメさんのことなんですね」

 そのイネノの問いかけは単なる確認で、そうであることはみな確信していた。数度、彼女が大きく息を吸って吐くのを、ダナンたちは黙って見守った。人ではなくとも、呼吸があるのだなとどうでもいいことを考える。

「ああ。それがほんとうにウノメであるならば」

 手の隙間からは、思ったよりも落ち着いた声が聞こえてきた。

「お前たちは希望を持ってきたことになる。この地にも、主にも、私にも」

 ほんの、微かなものではあったとしても。

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